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アニメ『T・Pぼん』が描く名もなき者の歴史──時をこえてよみがえった藤子・F・不二雄の隠れた傑作

松谷創一郎ジャーナリスト
Netflixシリーズ『T・Pぼん』より(2024年、Netflixより)。

よみがえった隠れた傑作

 1970年代後半から80年代中期に描かれた藤子・F・不二雄のマンガ『T・Pぼん』は、長らく隠れた傑作として知られた作品だった。それがこのたび、約40年の時を経てNetflixでアニメ化された。5月にシーズン1の12話が、7月に完結編となるシーズン2の12話が公開された。

 大ヒットとまでは言えないものの、そのクオリティは藤子F作品のアニメ化としては最高水準と言っても過言ではない。しかも今回のアニメ化で特筆すべきは、未完のまま終わった原作のテーマをより明確にさせたことにある。

藤子Fにとっての『T・Pぼん』

 物語の主人公は中学生の並平凡(なみひら・ぼん)。「並・平凡」を意味するその名が示す通り、彼はごく平凡な少年だ。ある日、思いがけない出来事から「タイムパトロール」という特殊な仕事に就くことになる。そして、先輩隊員のアメリカ人・リームの指導のもと、彼は歴史上の名もなき人物を救う使命を担うこととなる。

 しかし、その任務には重要な制約がある。それは歴史改変につながる人物は救えないことだ。この限定された条件の中で、ぼんは葛藤しながらも、太古の1億9000年前から現代に至るまでのさまざまな時代でひとびとを救っていく。

 『T・Pぼん』が連載された70年代後半から80年代中期は、藤子Fにとって大きな転換期であった。『ドラえもん』の映画シリーズが大ヒットを続け、児童マンガ家としての地位を不動のものにした時期だ。

 そんななかで『T・Pぼん』は、中高生向けの少年マンガ誌『月刊少年ワールド』と、その後継誌『月刊コミックトム』(ともに潮出版社)で発表された。

 内容は、タイムトラベルをテーマにしたSFでありながら、戦争や暴力など残虐な描写も多く含まれる。『ドラえもん』のタッチで描かれるシリアスな題材というギャップが特徴的だが、『SF短編集』ほどのダークさはない。むしろ、同時期に連載されていた『エスパー魔美』に近いテイストだ。

 それは藤子Fが得意とするSF要素を含むが、そこに歴史の要素を強く盛り込んでいるのが特徴だ。途中から連載が不定期になったものの続いていたのは、作者の趣味的な側面も多くあったからだと想像される。

 作品内容では、ぼんの相棒となるタイムパトロールが途中で変更になる特徴もある。シーズン1では未来人のリーム、シーズン2ではぼんと同時代を生きる近所の中学生・ユミ子が相棒となる。この変更は、連載誌の休刊による一時休載が影響していると考えられる。

庶民による庶民の物語

 今回のアニメ化は、原作の全35話のうち22話をかなり忠実に映像化し、最後の2話をオリジナルストーリーで構成している。素晴らしかったのは、この最後の2話だ。そこでは、未完のまま終わった原作が提示しきれなかったテーマを明確に示している。

 最終話の後半、ミッションを終えたぼんは、次のようなモノローグを語る。

「歴史的な大きな出来事のまわりには、いつだって名前も知らないような平凡な人たちがいて、毎日泣いたり笑ったりしながら平凡に暮らしている。歴史っていうのは、大勢の目立たない人たちが積み上げてきたものだ」
(Netflix『T・Pぼん』24話「タイムパトロールぼん」/2024年)

 この歴史に対するアプローチこそが、主人公の名前に「平凡」という意味が込められた理由であり、作品の核心を成すテーマだ。要はこの作品は、庶民による庶民の物語なのである。

 かと言って、この作品は歴史上の為政者の存在を無視したわけではない。為政者とその時代の庶民の関係、あるいは当時の自然環境なども含めで構成したフィクションだ。この絶妙なバランスこそが、『T・Pぼん』の魅力の一つだ。

 たとえばNHKの大河ドラマのように、史実ベースの映像作品には為政者を中心とするものが目立つ。そこでは戦争や政治が中心に描かれることが多く、その時代を生きる庶民は目立たない。もちろん史実をもとにする以上、記録に依拠するのでそれは避けられないことかもしれないが、黒澤明が戦国時代を舞台にフィクションの『七人の侍』(1954年)で提示したような庶民の視点が排除されていることも少なくない。

 この歴史の陰に隠れた名もなきひとびとに積極的に光をあてたという点で言えば、この作品は『七人の侍』に通ずる作品でもあるだろう。しかもそれを70年代に、中高生向けのフィクションとして提示したことは、やはり特筆すべきことだ。

 今回のアニメ化の成功は、脚本を担当した佐藤大氏と柿原優子氏の功績がやはり大きい。彼らの丁寧な仕事により、これまでの藤子F作品の映像化の中でもっとも成功した例とも言える。最終話に一瞬登場する人物も、過去の藤子F作品のキャラクターをモデルとしており、ファンを唸らせる絶妙な選択となっている。

 映像面でも工夫が凝らされている。タイムリープした過去と現在の映像の質感が異なるのだ。現代のシーンでは、過去のそれよりも彩度を弱めてくすんだ色調にし、さらにフィルム的な粒子を加えている。これによって、時代の違いを視覚的に表現している。クリアな過去のシーンに対し、現代のシーンはノスタルジックにすら思える雰囲気を醸し出している。

 また、この作品がNetflixで公開されたことも重要だ。テレビ放送では間違いなく不可能な残虐な描写も、動画配信だからこそ可能となった。

Netflixシリーズ『T・Pぼん』より(2024年、Netflixより)。
Netflixシリーズ『T・Pぼん』より(2024年、Netflixより)。

『T・Pぼん』が問いかけるもの

 『T・Pぼん』のアニメ化は、単に過去の名作を現代によみがえらせただけではない。それは重要な問いを投げかけている。歴史とはなにか、そしていまも流れ続ける歴史のなかで生きるわれわれ一人ひとりの存在意義とはなにか──ということだ。

 歴史の教科書に名を残す英雄や偉人たちだけでなく、名もなきひとびとの日々の営みこそが歴史をかたち作ってきたとする視点は、現代においても極めて重要だ。だれもがインターネットで発信でき、なかにはSNS等で有名性の快楽に身を溶かして取り返しのつかない大失敗をする者も少なからずいるなかで、それは「平凡」であることの価値と意味を問いかけている。

 同時に、この作品は「歴史の観察者」としての視点も与えてくれる。タイムパトロール隊員として過去を訪れるぼんの姿は、現代に生きるわれわれが過去の出来事や歴史を振り返る際の態度と重なる。現代(現在)を基準とした過去の「観察」によって、われわれは現代(現在)を相対化する。

 そしておそらく、この作品はMrs. GREEN APPLEにこそ必要だろう。周知の通り、このバンドはつい最近楽曲「コロンブス」のMVで、無自覚に植民地主義を礼賛するような表現で問題視された。そこで明らかとなったのは歴史に対する無知だけでなく、植民地化によって虐げられた平凡なひとびとへの想像力だった。

 無教養に基づくそうした表現がなぜ問題か、『T・Pぼん』は中高生にも理解できる水準で教えてくれる。実際、シーズン2の「最初のアメリカ人」は、コロンブスよりも3万年以上も早くアメリカ大陸を「発見」した人物を描いたエピソードだ。Mrs. GREEN APPLEやMV制作スタッフが『T・Pぼん』を読んでいれば、あんなひどい表現は生じなかったはずだ。

 『T・Pぼん』は、数多くの藤子・F・不二雄の作品群の中でも特異な位置を占める作品だ。それもあって「隠れた傑作」のまま長い時間が過ぎていった。しかし今回の優れたアニメ化は、長年のファンを十分に満足させるものであるのと同時に、作品の魅力を国内外の多くの人に伝えることにもつながるだろう。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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