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サクラを嫌った?明治の日本人

田中淳夫森林ジャーナリスト
明治の人は、すぐに散るサクラの花を嫌った?(写真:アフロ)

いよいよサクラの季節。月末から来月にかけて日本列島はサクラの花に彩られるだろう。

ところで「サクラ一本、首一つ」という言葉がある。

嘘か誠か、公園や街路樹、あるいは河岸などに植えられたサクラを、何らかの理由で伐採しようとすると、世間から猛反発をくらって担当者が首になることを示すのだそうだ。日本人にとって、サクラは特別な樹であることを表わしている。

日本人はいつの頃からそんなにサクラが好きになったのか。そしてサクラは、本当に日本人の心情を表わしているのだろうか。

一般にサクラの風景として思い浮かべるのは、まだ葉のない時期に薄桃の花が樹全体を覆うように一斉に咲き、一斉に散る様子だろう。

そんな咲き方をするサクラはソメイヨシノである。ほかの品種は一斉に咲かない。

しかしソメイヨシノが全国に広がったのは、そんなに昔ではない。この品種が交配で誕生したのは江戸末期だが、全国に広がったのは明治から大正にかけて。サクラといえばソメイヨシノを連想するほど増えたのは、おそらく昭和に入ってからだ。今や全国のサクラの7~8割がソメイヨシノと言われるが、わりと最近のことなのだ。

そもそも奈良時代に花見と言えば、ウメだったことが万葉集などから推察される。

やがてサクラの花見が増えていくが、明治初期まではウメの花で花見の宴を行うことも多かった。サクラだけが日本を代表する花とは言えなかったのである。

とくに地理学者である志賀重昂が執筆した『日本風景論』は興味深い。

この本は、1894年に刊行されロングセラーになったが、その中で論じた日本の美しい風景として、気候や海流の多変多様な点、水蒸気が多量なる点、火山が多い点、流水の浸蝕激烈なる点、の4つを上げている。花の風景はあまり登場しない。

それでもサクラの花に触れている箇所がある。

「其の早く散る所是れ惜しまるゝ所なるも、忽ちにして爛漫、忽ちにして乱落し、風に抗す能はず雨に耐え得ず、狼藉して春泥に委す所、寧ろ日本人の性情とせんや」

サクラの花が雨や風にあっさり散る姿をひ弱い、これは日本人の心に合わない、と嫌っているのだ。

むしろ断崖絶壁に根付くマツにこそ、日本の風景の良さを見つけるべきだとする。日本人は、粘り強く厳しい環境にも耐えられることに誇りを持ちたい、と志賀は考えたのだろう。思えば刊行されたのは日清戦争の前年で、国威高揚を狙って執筆されたのだ。

ところが、それから半世紀経たないうちに「日本人はパッと咲いてパッと散る」ことを潔いとし、サクラこそが日本人の心を表すと叫ぶようになる。そしてパッと戦争に突入して、パッと散ってしまった。

今ではマツ枯れが進み、断崖絶壁に育つマツもあまり見なくなった。日本の風景も、日本人の好む樹木も、時代とともに移り変わっていく。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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