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レバノン:「イランからの燃料」が招く重大問題

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
左側に、「アサドのシリア、ありがとう」というバナーが掲げてあるのに注目すること。(写真:ロイター/アフロ)

 2021年9月16日、燃料不足に苦しむレバノンに「マゾート」(注:発電や暖房用に用いる低品質の燃料油)を積んだタンクローリー21台からなる車列が到着した。レバノンでは2019年秋以来の政治・経済危機により、今や医薬品や電力、水道などのサービス供給に支障をきたしているところ、提供が滞っているサービスに不可欠な動力源となる燃料が到着したことは本来喜ぶべきことである。しかし、今般到着した燃料は、レバノンの政府や正規の業者が調達したものでもなければ、「まともな」方法でレバノン領内に搬入されたものでもない。この燃料は、レバノンで反イスラエル武装抵抗運動を担うとともに政権与党でもあるヒズブッラーが、イランから調達した燃料をシリアに荷揚げし、それをタンクローリーに積み替えてレバノンに搬入したものである。

 ヒズブッラーは、弱体なレバノン政府・公的機関に代わって医療・福祉・教育、などなどの公的サービスを提供するとともに、様々な経済活動・慈善事業を営む広範な運動である。ただし、同党の活動はこれと敵対するアメリカやイスラエルから見れば「テロ行為」に過ぎないため、ヒズブッラーにまつわる様々な個人・法人・活動が「テロ組織」として制裁対象となっている。また、イランからの石油製品の輸出もアメリカによる制裁の対象である。さらに、シリアに関わる国際的な商取引もほとんどがアメリカによる制裁の対象になる活動である。要するに、ヒズブッラーによるイランからの燃料調達は、「フツーに」関連企業を通じて通常の取引を行ったとしてもいろいろな制裁に抵触するだけでなく、ヒズブッラーというレバノン国内の一団体が、政府の頭越しにイランと交渉して燃料を調達したという、レバノンの国家や公的機関の在り方を揺さぶる行為なのである。レバノンにおける燃料・電力不足に際し、ヨルダン・エジプトからの電力・ガス供給に「目を瞑り」、これまでの対シリア制裁・封鎖政策と全く矛盾する行動をとるアメリカも、ヒズブッラーによるイランからの燃料調達については、「ただじゃおかない」と脅迫する言辞を発している。

 さらに悪いことに、冒頭で引用した車列到着についての報道によると、ヒズブッラーが調達した燃料がレバノンに搬入されるに際し、通常の燃料輸入のための法的手続き(認可の取得や関税・手数料の支払いなど)が全く適用されなかったようである。これは、上記の通り諸般の制裁対象になる行為であるとともに、レバノンで「堅気の」燃料輸入に従事する業者を壊滅させかねない行為でもある。燃料不足とそれに伴う各種サービス提供の途絶、レバノン人民の生活水準の低下は深刻な問題ではあるが、今般の燃料搬入(そしてこれは今後数次にわたって続く予定である)は、レバノン政府の機能を著しく害するものである。消息筋によると、ヒズブッラーは国立病院、高齢者施設、貧窮者施設、上水道供給に窮する自治体などをリストアップし、これらに「援助」として燃料を提供する方針だそうだ。今後はガソリンなども搬入される見通しであるところ、日ごろヒズブッラーを嫌悪する人々までもがそのガソリンの供給を受けた施設やガソリンスタンドに列をなす、なんて光景は、ヒズブッラーから見れば「アメリカの封鎖を打破し、レバノンで抵抗社会を築くためのあるべき活動」である一方、そうでない立場からはただでさえ強力ではないレバノンの国家や公的機関をますます名目的な存在へと貶める「悪夢」となる。

 おりしも、レバノンではナジーブ・ミーカーティー内閣の閣僚が選任され、1年以上に及んだ内閣不在状態が解消する見通しが立った。内閣の編成は、欧米諸国や国際機関がレバノンに危機打開のための本格的な支援をするための前提と位置付けられているが、ミーカーティー内閣の閣僚選任に対してアメリカなどは「必要な改革を行うことが援助のカギ」との態度で、閣僚選任によって直ちにレバノンの危機打開が楽観できる状況ではない。というのも、そもそもレバノンにおける政治・経済・社会的権益配分の仕組みを温存しようとする欧米諸国が言う「必要な改革」とは何なのかが全く意味不明であるとともに、ミーカーティー内閣の閣僚選任も、よく見ると政治エリート間の権益配分についての旧態を脱したものとは言えないからだ。今後、レバノンでの「改革」も欧米諸国・国際機関からの支援も進まない中で、ヒズブッラー・シリア(そしてイラン)という欧米諸国から見れば好ましくない主体によってレバノンの国家・政府をますます形骸化することにもなりかねない。2013年~2014年にかけて、「イスラーム国」の者たちが占拠したイラク・シリアの国境地帯で通関事務所や国境の土塁を破壊して喜ぶ「だけ」のプロパガンダ動画は「国家の解体・融解」なる言い回しで報道やアカデミークの世界で大反響を呼んだが、今般の燃料搬入はレバノン国家を名目的に存続させつつ、レバノン人民の生活を外部の主体に従属させるという、「イスラーム国」よりもはるかに高度かつ洗練された「国家の解体・融解」の過程に見えてならない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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