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レバノンにおけるアメリカの中東政策の矛盾と限界

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
レバノン・シリア閣僚協議を終えた両国代表団(写真:ロイター/アフロ)

 2021年9月4日、アカル国防相を団長とするレバノンの閣僚団がシリアを訪問し、シリア・レバノン最高評議会のフーリー議長の臨席の下でミクダード外相を首座とするシリアの閣僚団と閣僚協議を行った。これは、2011年のシリア危機勃発後、シリア政府打倒に与する勢力とシリア政府支持・支援に与する勢力とに政界が分裂し、何をするにも一定の協議や連携が必要不可欠なシリアとの公式な閣僚の往来を絶ってきたレバノンにとって重大な転機である。ただし、この方針転換はレバノンの政界の諸当事者の大勢が、現状やシリアとの二国間関係に鑑みて決めたことではない。レバノンで深刻化する燃料・電力危機を打開するという必要に迫られた「ダマスカス詣で」なのである。

 レバノン閣僚団のシリア訪問の最大の目的は、過日指摘したレバノンに対する電力(ヨルダンから)と天然ガス(エジプトから)供給という、レバノンのエネルギー危機の打開策を実現することである。レバノンという国の立地の都合上、エジプトやヨルダンから天然ガスや電力を供給するためには、シリアを通過せざるを得ない。となると、レバノンにエネルギーを供給するためにはシリアに対してなにがしかの対価が当然生じることになる。対価は通過料になることもありうるし、ガスや電力の現物供給になることもありうるし、紛争期間中の破壊行為や放置によって傷んだシリア領内の送電網とパイプラインの整備ということもありうる。ここで重要なのは、これらの対価にあたる行為はことごとくアメリカによる「シーザー法」に基づく対シリア制裁の対象になることだ。この点については、駐レバノン・アメリカ大使や8月下旬にレバノンを訪問したアメリカの議員団が、「何とかなる/何とかする」という趣旨の発言をしている。そもそも、「(シリア経由で)ヨルダンやエジプトからレバノンにエネルギーを供給する」という案の創出には駐レバノン・アメリカ大使が関与しており、この案を「アメリカの計画」と評する報道もあるくらいだ。当然ながら、シリア政府はレバノン政府からの電力・ガスの領域通過許可の要請を二つ返事で受け入れた。シリアから見ると今般の計画は、兄弟国であり他の二国間関係とは異なる扱いの(悪く言うと属国扱いの)レバノンからの要請として「シリア・レバノン最高評議会に一枚かませる」、「レバノン政府の高位閣僚団がダマスカスに“お願いしに来る”」という形式さえ満たしていれば、おいしいことしかないものだからだ。

 ここまでのやり取りは、シリア政府にとって「長年断絶していたレバノンとの間の公的な関係が再開する」、「通過料収入・送電網やパイプラインの手入れという物理的実入りがある」、「アメリカからの制裁・封鎖をなし崩しに的に解体する端緒をつかむ」という意味で外交的な大勝利ともいえる。一方、アメリカにとっては、対レバノン・対シリア政策(と中東における威信や信頼性)における重大な矛盾と限界を露呈したものとなる。これは、アフガンからの撤退に勝るとも劣らない失態につながりかねない。矛盾と限界の第一は、アメリカにとって「打倒すべき悪の独裁政権」のはずのシリア政府に、通過料や現物提供のような形で資源を提供する計画をアメリカ自身が推進・是認してしまっていることだ。アメリカは、「シーザー法」に限らず、何十年にもわたってシリア人民の生活水準を低下させる各種経済制裁を科してきた。「シーザー法」に至っては、シリア国内の社会基盤の整備に関与したシリア内外の法人・個人も制裁対象とするものであり、今般レバノンでの危機の打開・改善を意図して電力・ガスのシリア領通過を例外扱いするということは、「一切の便益や資源を提供しない」はずの「悪の独裁政権」に対し、その存続のための収入や資源を供給することに他ならない。レバノン・シリア閣僚協議においても、当然ながらシリア側の閣僚から「(アメリカの制裁やシリア領の占領・資源の収奪によって)シリア国内に満足に電力を供給できない中で、何故レバノンのエネルギー危機の緩和にシリアが骨を折るのか?」という指摘が出た。要するに、もしこの計画に沿ってレバノン向けにエネルギーが供給されるようになると、「テロ攻撃が発生した」などなどの理由で、アメリカへの嫌がらせなどシリアの都合によりいつでもレバノン向けの送電・ガス供給を止めてしまうことが可能となる。つまり、アメリカは「悪の独裁政権」であるシリア政府に対し、レバノン人民の生活を人質同然に差し出してしまったことになる。

 第二の矛盾はこれに密接に関係している。アメリカ(そしてそれと同一歩調をとる西側諸国)は、「(本当は民主的でも何でもない)レバノンの政治体制とその基盤であるレバノンの社会・経済を温存する」政策をとっている。それにも拘らず、現在のレバノンの政治体制を牛耳る政治エリートたちの存立に必要不可欠な「シリアとのヒト・モノ・カネの往来」を絶つ政策をも同時に追求している。例えるならば、「フルアクセルとフルブレーキ」を同時に踏む政策が取られているのである。「ヨーロッパとイラク・イラン・アラビア半島の中継地」であることがレバノンの繁栄の条件の一つだとするならば、そのために利用できる陸路はシリアしかない。となると、「(体制転換や紛争のような)シリアの不安定」の中で「レバノンが繁栄・安定する」ことは極めて難しい(当然ながらレバノンがちゃんと機能しないとシリアの繁栄もあり得ない)。このことには、レバノンの立地やシリアとの歴史的な関係、両国独立の経緯などを踏まえればそれほど頭を使わなくても気づきそうなものなのだが、そこへの思慮がほとんど見られないところにアメリカの政策の限界がみられる。

 レバノンとシリアとの不可分ともいえる結びつきは、両国関係の歴史的経緯もさることながら、過去数十年にわたるシリアのアサド政権によって構築されてきたものともいえる。レバノンにおける「親シリア」政治勢力の形成やシリア人の出稼ぎ労働やレバノンの銀行への預金などがそれらの例だ。アサド政権は、政権を打倒することが周辺諸国(特にレバノン)にとんでもない出血を強いるような政治・社会・経済関係を作り、そこに根を張っているともいえる。残念ながら、レバノン(程度によってはヨルダンやイラク)に悪影響を与えずにシリアの「悪の独裁政権」だけをきれいに切除する方策は思いつかないし、仮にあったとしても達成するためには極めて高度な技術と膨大な資源の投入が不可欠となろう。それだけの技術や資源を投入できる主体は、今後も現れないだろう。「目標はシリア政府の打倒ではなく、シリア政府の振る舞いを変えさせること」という言辞は、シリア紛争勃発前から西側諸国が用いてきた常套句だったが、そうするだけの取引材料やメリットを提示できなかったのもこれら諸国の常であった。ここまでの考察を整理すると、アメリカのシリア・レバノン政策は、「それを達成するために自腹を切る意思も能力もない目標・理念」を掲げつつ、「短絡的な損得勘定でその目標・理念の実現を阻害する政策を平気でとる」の繰り返しだったように見える。アメリカの中東政策に通暁した専門家や報道関係者は、本邦に限らず世界中に大勢いらっしゃるはずなので、なぜこのようなことが繰り返されるのか、ぜひ勉強させてほしい。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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