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【その後の鎌倉殿の13人】有力御家人・三浦義村が将軍・藤原頼経を居館に迎えるまでにした豪勢なこと

濱田浩一郎歴史家・作家

安貞2年(1228)6月26日。鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経は、森戸(神奈川県三浦郡葉山町)に出かけ、武士たちの笠懸(馬に乗りつつ、弓で的を射る)や相撲を見物して、楽しみました。同日、頼経らは鎌倉に戻ります。そして30日、前述の笠懸の勝負に負けた武士らは、何らかの品物を提供したようです。つまり、単に笠懸をしたというだけではなく、賭け事の対象となっていたのです。相模五郎らが「所課」(負担)したとのこと。将軍・頼経は翌月8日にも、馬場において、競馬や相撲の勝負の見物をしています。この時は、幕府御所に出仕していた人々が、自分の郎従(家臣)を召し出して、勝負させたようです。頼経は、前回の遠足の際は、相模国の有力御家人・三浦義村の田村邸(神奈川県平塚市田村)に赴くはずでした。ところが、義村が喪に服さないといけない事態が発生したので、延期となっていたのです。7月20日となって、喪に服する期間は既に過ぎたということで、義村は頼経を田村山荘に改めて招待したいと言上します。田村の屋敷に修理を加え、将軍のために、御所を新造したそうです。更には、門前の田に至るまで、渡り廊下を作り、そこに、草花を多く植えたとのこと。義村の将軍を迎える態勢は、万全と言えましょう。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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