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何より大切な「水」だが、知らないことだらけ。驚いた愛知県半田市の水事情

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

私たちが使う水は色分けされている

 私たちが日ごろ飲んでいる水は、上水道から供給される水です。一方、お米を作る田んぼに使われる水は農業用水で供給されます。電気やガソリン、鉄、車などの工業製品を作るのに使われる水は工業用水です。使い終わった上水道は、下水道を通して下水処理場に流され、きれいに処理して川や海に放水します。下水道が未整備の場所では、各戸にある浄化槽で処理します。社会を維持するには水は無くてはならないものですが、上水、農業用水、工業用水、下水と、縦割り構造になっているように見えます。

愛知県半田市で行われた水道協会の集まり

 愛知県半田市を訪れてきました。半田市は、酢や日本酒の醸造で有名なまちです。運河周辺に古い倉庫が並ぶ風情のある港町です。多くの災害にも見舞われてきました。1944年東南海地震では、中島飛行機山方工場が損壊し、学徒動員された若者が多く犠牲になりました。飛行機生産ができなくなったことで敗戦を早めたとも言われます。1959年伊勢湾台風でも291人もの人が犠牲になりました。先日、山方工場の跡地に建設された免震構造の半田市役所で愛知県水道協会の集会があり訪れてきました。愛知県下の市町村の上水道の担当者が集まっていました。

半田市の水供給

 半田市に訪れるにあたって、半田市の水の供給について調べてみたところ、ビックリしました。なんと、上水、農水、工水が、異なる川の水を利用していたからです。上水は長良川の河口堰から取水し、長良導水で知多浄水場まで34km導水し、知多浄水場できれいにした水を配水しています。農水は、木曽川の牧尾ダムなどにたまった水を兼山取水口で取水し、愛知用水で愛知池を経由して届けられます。そして、工業用水は、矢作ダムにためた矢作川の水を豊田市の水源で農業用水の明治用水に取水し、安城市内の中井筋で明治用水から工業用水に分岐し、愛知県企業庁が管理する安城浄水場で水をきれいにし、西三河工業用水で届けられます。このように、家庭では長良川、農業には木曽川、工業には矢作川の水を使っています。そして、下水は、愛知県衣浦西部流域下水道の衣浦西部浄化センターで処理し、衣浦港に放流しています。

水によって異なる管理組織

 半田市の場合、上水は、国土交通省が管理する長良川、水資源機構が管理する長良川導水路、愛知県企業庁が管理する知多浄水場、そして半田市水道部上水道課が管理する水道管が関わっています。そして、上水を所管するのは厚生労働省医薬・生活衛生局水道課です。

 下水は、半田市水道部下水道課が管理する下水道管を通して、愛知県建設部が管理する衣浦西部浄化センターに送られて処理されます。下水を所管するのは国土交通省水管理・国土保全局下水道部です。

 農水は、牧尾ダムや愛知用水を管理する水資源機構、木曽川を管理する国土交通省、愛知県農林基盤局、愛知用水土地改良区が関係しています。これ以外にも、地域で管理しているため池もあります。農水を所管するのは農林水産省農村振興局です。

 さらに工水は、矢作ダムや矢作川を管理する国土交通省、農業用水の明治用水を管理する明治用水土地改良区、西三河工業用水や安城浄水場を管理する愛知県企業庁が関係します。工水を所管するのは経済産業省経済産業政策局です。

 このように、恐ろしく多くの機関が関わっています。

先に使った人の水利権

 大昔から、恵みと災いをもたらす水なので、水と付き合うため様々な工夫をしてきました。恵みを活用するのが利水、災いを制御するのが治水です。ここでは、利水を中心に解説してきましたが、過去からの水利権が幅を利かせているようです。最初に利用したのは農業です。当初は湧水を使っていましたが、用水を整備することで新田開発をしました。次に使われるようになったのは上水です。工水は当初は地下水を使っていましたが地盤沈下などの環境問題を引き起こしたため、河川の水を使うようになりました。このため、多くの場合、水利権は、農水、上水、工水の順になっているようです。後から使う人は、普段流れている水を使うことができないため、ダムを建設してダムに溜めた水を使うことになりました。

全貌が分かりにくい水の地震対策

 ここでは、半田市を例にして解説してみましたが、水に関わる組織が余りに多いため、全貌を理解している人は非常に少ないように感じます。また、利用者や監督官庁が異なるため、相互の調整は一筋縄ではいかなさそうです。

 水は人間が生きていくためになくてはならないものです。そして、農業や産業にも不可欠です。大規模災害が発生した後、最も重要なものの一つが水です。まずは、水供給に関わる施設の耐震安全性を総合的に把握することが必要です。また、多くの組織が関わるため、災害発生時に組織を超えた調整が重要になります。早期に、組織を超えた顔の見える関係作りを進めることが大切だと感じます。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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