Yahoo!ニュース

東京五輪の年に起きた新潟地震から60年、液状化と長周期地震動の衝撃

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

 今から60年前の1964年の10月、東京オリンピックが開かれ、新幹線が開通しました。その年の6月16日の昼過ぎに、マグニチュード(M)7.5の新潟地震が日本海の海底下で発生しました。震源近くの粟島では1mほど地盤が隆起し、日本海沿岸を高さ4mの津波が襲いました。新潟平野は、信濃川によって作られた日本有数の大規模平野で、軟らかい堆積層に厚く覆われています。また、日本海側から吹き寄せる強い風によって作られた砂丘が広がっています。このため、長周期地震動を伴う強い揺れが襲い、液状化が広域に発生しました。いずれも、本年元日に発生した能登半島地震と共通します。当時は震度観測点が多くなかったこともあり、最大震度は5でしたが、揺れは広域で観測され、宮城県、山形県、福島県、新潟県で震度5を観測しました。この地震による被害は、死者26人、全壊家屋1,960棟などです。

長周期地震動による石油タンクの炎上

 長周期地震動は、地震規模が大きく、堆積層が厚く堆積する大規模平野で問題になります。長周期地震動が苦手なのは高層ビルですが、日本で最初に60mを超える高層ビルが建設されたのは、新潟地震の2か月後です。1964年8月に竣工したホテルニューオータニで、同年10月に開催される東京オリンピックの宿泊客目当てに建設されました。今でいうインバウンド対応とも言えます。一方、新潟には大規模な石油基地がありました。長周期の揺れで石油タンク内の油が揺動(スロッシング)して浮き屋根がタンク側壁に衝突し、火花が発生して油に着火しました。さらに、強い揺れや液状化などによる設備損壊などでタンクや配管から油が漏洩し、液状化によって溢れた地下水や津波によって油が周囲に運ばれ、火災が拡大しました。地震後、2週間にわたって燃え続け149基のタンクが焼損しました。その後、この火災が契機になって、消防法が改正され、タンクの位置や構造、設備の基準の強化などが図られました。

広域に発生した液状化

 信濃川沿いの川岸町に建っていた鉄筋コンクリート造のアパートが軒並み横倒しになりました。液状化によって建物の重さを支えられなくなったことが原因です。今年の能登半島地震の際、輪島市内で横倒しになった7階建ての建物を彷彿とさせます。新潟地震で、竣工1か月の昭和大橋の橋桁が落橋したことは衝撃的でした。傾斜した地盤が液状化すると地盤全体が横に移動する側方流動が発生します。能登半島地震でも内灘町の砂丘後背地で認められました。新潟地震でも側方流動によって、信濃川の堤防が川側に大きく移動しました。その跡は、信濃川の万代橋で見ることができます。橋の両側の堤防が屈曲している様子が確認できます。

液状化が起きやすい地盤

 液状化は緩く堆積した砂地盤で、地下水位が浅い場所で発生しやすい現象です。川岸町は町名からも分かるように、この条件にぴったり当てはまります。かつての日本では、田んぼの中などで砂が噴出する程度の被害でしたが、都市化と共に液状化しやすい場所にまちが拡大し、重く背の高い鉄筋コンクリートの建物が増えたため、液状化被害が目立つようになりました。最近では、2011年東日本大震災での東京湾岸の埋め立て地、熊本地震での旧河道、能登半島地震での内灘や新潟などの砂丘の後背地などで、液状化被害が出ています。液状化が起きやすい場所は、埋立地、砂丘の後背側の緩斜面、砂丘や砂州に挟まれた低地、かつての河道や池沼などです。丘陵地でも谷筋を盛土造成したところや溜め池を埋め立てた場所は要注意です。

建物の重さを支える杭基礎

 かつての日本の集落は災害危険度の高い場所を避けて作られ、木造家屋は軽いので、液状化による家屋被害は多くありませんでした。ですが、近代建設技術の進展によって、軟弱な地盤に重くて高い建物を建てられるようになりました。木造に比べ鉄筋コンクリート造は重く、さらに階数が増えるほど建物の単位面積当たりの重量が増えます。軟弱な地盤ではこの重さを支えられないので、杭基礎が開発され、杭を堅い基盤まで打設して、建物の重さを支えるようになりました。ですが、当初の杭は、建物の重さを支えるのが主たる役割で、地震のような横揺れは考えていませんでした。このため、強い横揺れを受けて杭が破断すると、建物の重さを支えられなくなります。新潟地震でも地震後に解体した建物で杭の破断が見つかっています。

杭の耐震設計

 杭の耐震設計が推奨されるようになったのは1984年以降で、耐震設計が義務付けられたのは2001年以降です。1981年以前の既存不適格建物に対しての耐震補強でも、基礎の補強は殆ど行われません。耐震補強の主たる目的は居住者の命を守ることにあり、基礎が破断しても死者が出るような事例がこれまでなかったからだと思います。ですが、能登半島地震での輪島の建物倒壊では隣接家屋で死者が出たことから、基礎の耐震性の問題が議論されています。基礎が破損して建物が傾いたり沈んだりすれば、建物の継続使用は難しくなります。間口が狭く背の高い縦長の重い建物は転倒しやすいので、基礎の安全性について注意が必要です。ちなみに、新潟地震では、建設前に振動させて締め固めた(バイブロフローテーション工法)地盤に建つ建物や構造物は被害が少なかったことから、地盤改良の重要性も認識されました。

繰り返す日本海東縁での大地震

 日本列島北部の日本海側ではユーラシアプレートと北アメリカプレートが衝突しています。これによってひずみが集中するため、この地域を日本海東縁ひずみ集中帯とも呼びます。この周辺では繰り返し地震が発生しており、過去200年程度の間に、北側から、1940年積丹半島沖地震(M7.5)、1993年北海道南西沖地震(M7.8)、1983年日本海中部地震(M7.7)、1833年庄内沖地震(M7.3)、2019年山形県沖地震(M6.7)、1964年新潟地震(M7.5)、2007年新潟県中越沖地震(M6.8)、2024年能登半島地震(M7.6)、2007年能登半島沖地震(M6.9)などが発生しています。陸に近い海底下で起きるため、津波の到達時間が短いという特徴があります。海底下の地震に加え、内陸部でも1828年三条地震(M6.9)、1847年善光寺地震(M7.4)、2004年新潟県中越地震(M6.8)などの活断層が活動した地震が発生しています。これらの地震では土砂崩れや液状化などの地盤災害が顕著になっています。

 地震はいつどこで起きるか分かりません。新潟地震や能登半島地震を教訓に地震対策を見直していくことが望まれます。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

福和伸夫の最近の記事