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南海トラフ地震「臨時情報」導入の経緯と課題、今後の活用の方向性

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
内閣府防災のホームページより

はじめて出た南海トラフ地震臨時情報

 気象庁が南海トラフ地震臨時情報を発表して4日が経ちました。先週木曜8月8日の午後4時42分に日向灘で気象庁マグニチュード(Mj)7.1の地震が起きました。気象庁は、地震から18分経った午後5時に南海トラフ地震臨時情報「調査中」を、さらに午後7時15分に臨時情報「巨大地震注意」を発表しました。その後、テレビ報道は臨時情報一色になりました。多くの方は、なじみのない情報に戸惑ったことと思います。

 臨時情報の提供は、5年前の2019年5月に始まりました。ちょうど新型コロナの感染拡大の時期と重なったため、国民への周知が不十分な状況でした。初めての臨時情報発表で混乱も懸念されましたが、今の所、社会は比較的冷静に対応しているように感じます。私も仕組み作りのお手伝いをしましたので、簡単に解説しておきたいと思います。ちなみに、内閣府では、漫画のパンフレット動画ガイドラインを公表していますので、詳細はこれらを参照頂ければと思います。

かつての南海トラフ地震対策

 従前の南海トラフ地震対策は、駿河湾周辺で起きる東海地震対策と、その西側で起きる東南海・南海地震対策との二本立てでした。

 東海地震対策のきっかけは、1976年に石橋克彦博士が発表した東海地震説です。1944年東南海地震と1854年安政東海地震の震源域の広がりの違いから、駿河湾周辺の震源域が割れ残っており、地震が切迫しているという説でした。東海地震の想定震源域の約半分は陸域にかかっています。そこで、地盤中のひずみの変化を観測することで前兆滑りをキャッチし、地震発生を直前に予知しようとする仕組みが考えられました。1978年には地震の直前予知を前提とした「大規模地震対策特別措置法」が制定されました。

 これに対して、東南海・南海地震の震源域はほとんどが海底下のため、直前予知は困難と判断され、耐震化などの事前対策が重視されました。2002年には、防災対策の推進のため「東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」が制定されました。

東日本大震災を経て地震対策の方針を修正

 2011年に発生した東日本大震災は、日本では起きないと考えられていたMw9.0(Mwはモーメントマグニチュード)の超巨大地震でした。昭和東南海地震から既に67年が経過していた時だったため、東海地震と東南海・南海地震が同時発生することを念頭に、南海トラフ沿いの震源域全体で最大クラスの地震が発生することを想定した地震対策が行われることになりました。そして2013年に東南海・南海地震特措法を改正し「南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」が定められました。

 また、東日本大震災の際に、事前に異常現象を検知することができなかったことを受け、直前予知を前提とした対策が見直されることになりました。そこで作られたのが南海トラフ地震臨時情報の制度です。

東西2つの地震の続発を念頭においた臨時情報「巨大地震警戒」

 過去の南海トラフ地震では、震源域の東側と西側とで、短い期間に2つの地震が続発する例が多くあります。過去3回の地震でも、昭和の東南海地震と南海地震は2年をおいて、安政の東海地震と南海地震は32時間の時間差で、宝永の地震はほぼ同時に震源域全体が破壊しています。このことから、東西どちらかで地震が起きた場合、他方の地震が切迫すると考えられます。そこで、Mw8.0以上の地震がプレート境界上で起きた場合に、臨時情報「巨大地震警戒」を発表することになりました。

 南海トラフ地震の被災地域の中には、地震後の津波到達時間が短く、地震後の避難では命を守ることが困難な地域があります。このような地域に対しては、自治体が事前避難対象地域に指定し、住民に1週間の事前避難を呼びかけます。一方、他地域の住民に対しては、地震への注意を怠らずに社会活動を継続するよう呼びかけます。ただし1週間は社会的制約の中で決められた期間であり、地震発生の危険は無くなりませんから、1週間以降も引き続き注意が必要になります。

東日本大震災の前震を念頭においた臨時情報「巨大地震注意」

 東日本大震災では本震の2日前にMj7.3の前震が起きていました。その後、前震の震源域周辺で余震が起きたり、ゆっくり滑りが拡大したりし、Mw9.0の超巨大地震が発生しました。南海トラフ沿いでも同様の事態が起きることに備えて、震源域周辺でMw7.0以上の地震が起きた場合に、臨時情報「巨大地震注意」を発表することになりました。1週間をめどに注意を呼びかけるのですが、巨大地震に至らない場合がほとんどだと想定されます。過去の日向灘の地震でも1週間以内に巨大地震が発生した事例は知られていません。このため、「巨大地震注意」では、日ごろの地震対策を再確認し、地震の突発発生に備えることを重視しています。また、東海地震対策の前提だった異常なゆっくり滑りが観測された場合も臨時情報「巨大地震注意」が発表されます。

 同様の仕組みは、日本海溝・千島海溝沿いで発生する地震に対しても整備されており、北海道の根室沖から東北地方の三陸沖の巨大地震の想定震源域やその周辺でMw7.0以上の地震が発生した場合には、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が気象庁から発表されます。

調査検討会を開催するときに発する臨時情報「調査中」

 「巨大地震警戒」や「巨大地震注意」の臨時情報は、「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」での議論を経て発表されます。検討会は、震源域周辺でMj6.8以上の地震や普段と異なるゆっくり滑りが観測されたときに開催されます。開催決定時に発表されるのが臨時情報「調査中」です。「巨大地震警戒」や「巨大地震注意」に至らない場合には、臨時情報「調査終了」が発表されます。また、状況の推移等については「南海トラフ地震関連解説情報」が随時発表されます。今も毎日解説情報が発表されています。今のところ、今回の震源から離れた紀伊半島北部でゆっくり滑り(深部低周波微動)は観測されているようですが、震源域周辺での地震活動は落ち着いているようです。

 実は、とても分かりにくいのですが、マグニチュードには色々な種類があり、「調査中」の判断には気象庁マグニチュード(Mj)が、「巨大地震警戒」や「巨大地震注意」の判断にはモーメントマグニチュード(Mw)が使われます。大きな地震ではMjは過小評価される傾向があるからですが、Mwを求めるのに時間を要するため、今回も地震発生約2時間半後に、「巨大地震注意」が発表されました。

臨時情報発表後の社会状況

 初めての臨時情報の発表で、社会の過度な反応が心配されましたが、今の所、比較的落ち着いているように感じます。コロナ禍での緊急事態宣言の経験が生きているのかもしれません。

 一方で、いくつかの課題も見えてきました。スーパーマーケットなどでは、買い占めほどの混乱はないようですが、水のペットボトルや保存食などが品切れになっています。また、海辺の観光地のホテルでキャンセルなどが報告されています。津波避難時間が十分に確保できない海水浴場の中には閉鎖されたものもあります。高齢者などのために避難所を開設した自治体も見られます。外国人観光客は混乱しているようで、多言語での説明が不足気味のように感じます。新幹線は、安全確保のため少し速度を落として運転されており、海辺を通る特急列車の一部は運休になっています。岸田総理は外遊を中止したりしています。

 ある種の壮大な社会実験とも言える初めての臨時情報の発表でしたが、一番の懸案だった臨時情報の周知は大いに進んだようです。今後、これらの課題を整理し、よりよい活用のための改善検討が必要だと思われます。

臨時情報を活かすために

 臨時情報は、現状の地震学で分かっていることの限界の中、過去の地震の経験を活かしつつ、災害被害軽減のために考えられたものです。本来、地震対策では突発的な地震発生が基本です。臨時情報は確実な情報ではありませんので、情報を活用する側の知恵と準備が必要になります。一般に、臨時情報が発表されても、1週間のうちに地震が起きる可能性は高くないと考えられます。ですが、万一地震が発生すれば被害は甚大です。このため、空振りを恐れず、半ば訓練も兼ねた素振りだと思って対応する態度が望まれます。

 臨時情報が出たときに慌てないようにするには、予め臨時情報が出たときのことをイメージして、そのときの行動を決めておくことが大事です。また、耐震化や家具固定、食料・水や日用品などの備蓄、地震保険の加入など、十分な事前対策が臨時情報活用の前提になります。さらに、南海トラフ地震では、震源が比較的離れているため、突発地震であっても緊急地震速報を活用することができます。

 明日からはお盆です。帰省をする人や旅行に出かける人も多いと思います。帰省したら、実家の家具固定や備蓄などを確認し、遠隔地の家族同士の安否確認の方法などを相談してみてください。古い家屋の場合には、耐震診断の申し込みや耐震補強を勧めてみてください。また、旅行に出かける人は、旅先のハザードマップを予め確認しておくと良いと思います。帰省や旅行に出かけない方々は、自宅の防災対策を家族で進めるチャンスだと思います。

 西日本を広域に襲い国民の半数が被災する南海トラフ地震は、将来必ず起きる国難災害です。震源域周辺の地震活動のモニタリング結果に注意を払いつつ、臨時情報の仕組みや南海トラフ地震のことを学び、改めて自宅や職場の対策を強化して頂ければと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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