「ゴジラ-1.0」制作のROBOT、小さな広告企画会社が世界が認めるコンテンツメーカーになれた理由
驚異的な映像技術によって邦画・アジア映画初となる第96回アカデミー賞(R)視覚効果部門を受賞した「ゴジラ-1.0」の制作を手がけたROBOT COMMUINICATIONS INC.(以下、ROBOT)。
元々は小さな広告企画会社から出発したROBOTはなぜ、後発にもかかわらず映画業界で世界を席巻するコンテンツメーカーになれたのか。前編ではその「生い立ち」と、創業者である故・阿部秀司氏から脈々と受け継がれる精神について、 同社 専務執行役員 経営本部 本部長の福崎隆之氏に聞いた。
広告で「土壌」培う
徳力 ROBOTさんにはNetflixオリジナルシリーズ「今際の国のアリス」で衝撃を受けて以来、お話を聞きたかったです。
「ゴジラ-1.0」の第96回アカデミー賞(R)視覚効果部門の受賞会見では、創業者でプロデューサーだった故・阿部秀司さんについて山崎貴監督が思いを吐露されていたのも印象的でした。2010年に阿部さんが社長を退任されてからも、その遺伝子的なものは社員や制作スタッフにつながっているんだろうと。
今回はそんな阿部さんが始められたROBOTの「生い立ち」から、聞かせていただけますか。
福崎 元々は広告会社でクリエイティブディレクターをやっていた阿部秀司が、1986年に独立したのがROBOTの始まりです。社長1人、社員1人から始まりました。
最初は広告の企画と演出を手がける、今で言うクリエイティブエージェンシーのような企画会社でした。
そこからプロデューサーが加わり、企画・演出・撮影・編集まで全プロセスを手掛ける制作システムとなって、手がける領域も、テレビCMからグラフィック、映画、アニメーション、ゲーム、デジタルコンテンツ、VR、アトラクション、施設の大型映像といった各事業へと拡大してきました。
徳力 でも、普通の広告制作会社が映画をつくることってないですよね? 世の中的にはそういうケースも多いんですか?
福崎 今でこそデジタル化で境界が薄れていますけど、当時は珍しかったと思います。私もリアルタイムで知っているわけではなく、聞いた話ですが、 ROBOTが映画制作を始める前、ある映画にROBOTがつくった映像素材をお貸しする機会があったそうです。
その映画が公開になった時に阿部さんが劇場へ観に行って、エンドロールに「ROBOT」と社名があるのを見て「俺がやりたいのはこれだ!」「映画をやるぞ!」と言ったと(笑)。そこから最初に制作協力した映画が、1995年の岩井俊二監督の「Love Letter」です。
徳力 あくまで本業は広告制作会社で、設立から10年近く広告をメインにやってきて、たまたま映画との接点ができたのがきっかけなんですね。ずっと映画をやりたくて、準備をしていたという話ではなく。
福崎 「映画をやる!」と決めて準備を始めて、周囲にも言い回っているうちに岩井さんやメディアの方々など、その後の映画につながる出会いが増えていったようです。
徳力 私は素人なので、広告業界と映画業界って全然違うというイメージがあったのですが。
福崎 確かに、全然違う業界です。ただ、阿部さんとしては、ROBOTは広告制作会社というより「コンテンツをつくる会社」だと思っていたので、あまり違いはないと考えていたのかもしれません。
徳力 あくまで商品は映像で、最初の収益源が広告中心だっただけ、ということなんでしょうか。
福崎 はい。それに、90年代は今のように、実写邦画が興行収入ランキングにバンバン入るような時代ではありませんでした。
徳力 ハリウッド映画がドカンドカンという時代ですね(笑)。
福崎 そうです。ただ、ROBOTでは広告をやっていたCMプロデューサーのエースを社内から引き抜いて 、映画事業にあてたと聞いています。
徳力 映画のプロを外部から連れてきたわけではなく、メインだった広告からエースを引き抜いてしまったんですね。今聞いても、相当なチャレンジャーですね。社内には止めようとする人がいたでしょうね。
福崎 反対されたらしいですけど、まあ阿部さんは、夢に向かって仕事するタイプなので(笑)。「映画をやるなら一番優秀なやつじゃなきゃダメだろう」と。
徳力 初めての映画「Love Letter」が反響を呼んで、テレビドラマも劇場版をつくろうという時に、声がかかるようになったのでしょうか。
福崎 そうですね。実は、今でこそ映画やOTT (オーバー・ザ・トップ:インターネットによるコンテンツ配信サービス)でクオリティの高い映像はありますけど、当時はCMの方が制作にかけられるバジェットが高かったんです。
バブル期~90年代は予算があったので、いい機材もCGもタレントも、CM業界に集まっていた。
徳力 なるほど、面白い。先般、是枝裕和監督や山崎監督らが、コンテンツ産業の支援や若手クリエイターの育成などを政府に問題提起されていましたけれど、逆に、90年代は広告をつくっている会社にこそ、良い機材も優秀なスタッフも揃っていたんですね。
だから映画制作では超後発でも、いきなり良い映画がつくれると。
福崎 映画特有のお作法などは別ですが、少なくとも映像の技術やノウハウという面では、当時はCMの方が積極的に新しい方法を取り入れていましたね。
岩井監督とも、映画より先にCMの演出の仕事をご一緒していました。
徳力 そう聞くと、ROBOTが映画に挑戦できたことが必然に思えてきますね。CMが豊かな時代だったから、才能のあるスタッフが育って、阿部さんのような才能あるプロデューサーが「面白いことやるよ」という時にも「こういう人がいるよ」と業界の口コミも集まる。
CMの土壌で培われた高度な技術力や制作ノウハウが映画に生かされて、その後の「踊る大捜査線 THE MOVIE」(1998年初公開)シリーズや、「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年公開)といった超大ヒット作品につながっていったんですね。
映像制作会社から「コンテンツメーカー」へ
徳力 ROBOT創業者の阿部さんは広告から事業を始め、「映像を商品にする会社」と自社を定義されていたということですが、事業領域がますます広がった今、自社のドメインは何だと定義されているんですか。
福崎 これは徳力さんに相談したいくらいなんですが(笑)、「コンテンツメーカー」というのが、いちばん腑に落ちるかなと思っています。
徳力 なるほど。その表現はわかりやすいですね。コンテンツが中心だから、チャネルとか業界の壁にとらわれず、「映画をやるぞ!」となったら映画をつくるし、デジタルの時代が来たらホームページ作成などデジタルの仕事もすると。
福崎 映像業界には「30センチ(パソコン)、3メートル(テレビ)、30メートル(映画館)」という言い方がありましたが、「踊る大捜査線」の時などは、映画本編だけでなく、コミュニティサイトから「捜査員」と呼ばれるファンのオーダーメード名刺まで手がけていて、いわゆる「クロスメディア」の先駆けのようなことをしていました。
徳力 あのコミュニティサイトは非常に盛り上がったそうですね。インターネットが普及し始めたばかりの頃は、まだ多くの映像制作会社はWebサイト制作をやりたがらなかったと聞いています。ROBOTさんは時代を読んで、きちんとやっていた。社内にはそういう、さまざまな分野に挑戦するカルチャーがあったんですか。
福崎 やりたいからやっちゃう、というところは昔からあります。阿部の口癖で、アンオフィシャルな社是が「じゃあやれよ」なので。本人の自伝的著書のタイトルは、少し上品に「じゃ、やってみれば」(日本実業出版社)になっていましたが(笑)。
徳力 面白いですね。サントリーさんの「やってみなはれ」のような感じを受けます。やりたいならやってみればいいじゃない、ってことですね。
福崎 まさにそれです。面白いと言って手を挙げたからには、責任を持ってやろうよ、という意味でもあると思います。社内にはそういった企画があふれています。
徳力 一連の話で、すごく腹落ちしました。これまで時々、「何でROBOTさん、こんな仕事もやっているんだろう」って謎に思うことがあって。
普通はノウハウがないと「ウチはできない」になりがちですが、ROBOTはコンテンツメーカーだから、クライアントのニーズに合うとなれば、先ほど来社した際に出してくれたりんごジュースでさえも…。
福崎 「じゃあやる」んですよ(笑)。
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※この記事は、徳力基彦とアジェンダノートの共同企画として実施されたインタビュー記事を転載したものです。