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献血にいくと5,000円は儲かる:健康の「売れる仕組み」をつくるために

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

9月24日、徳島県徳島市で、献血を呼びかけるイベントが行われた。若者に献血をしてもらおうと、四国大書道クラブの女子部員3人が、縦3メートル、横4メートルもの大きな紙に、「献血へGO」などとメッセージを書いたという。面白い取り組みである。

思えば献血ルームの前を通ると、いつも大きな声で職員が献血を呼びかけていた。筆者は若い頃から用がなければ外に出ないタチだったので、外出時はいつも忙しく、献血のために1時間を費やす時間がなかった。いや、実際にはそのくらいの時間は献血のために使ってもいいのだが、その場を過ぎ去ると、献血のことはすぐに忘れてしまうのである。

いまの若者の多くもまた、そんな感じだろう。献血はよいことだから、いずれ行ってみようかと思っても、その「いずれ」はいつ来るかわからない。それほど献血というものは、身近なものではなくなってしまった。血を採られるのは危ないことではないか。何のメリットがあるのか。それに、行こうが行くまいが、自分には何の影響もない。率先してやることではないのである。

赤十字は、献血を呼びかけるための様々なイベントを行っている。なかには興味をそそられるイベントもある(吸血鬼キャラでないところに赤十字の限界を感じる)。しかし多くのPRがそうであるように、たんに奇抜なことを行って注意を引くだけのものや、一時的な効果に留まるに過ぎないものが多いように感じる。それではいつまで経っても、血は足りないままである。

これではいけない。彼らに貢献したい。そういうわけで、どうしたら若者が献血に行くようになるのかを考えてみた。献血をする人にとって、献血はどのような価値があるのだろうか。

人は自分にとって意味がないと動かない

じつは筆者は、昨年のクリスマスの日に、人生初の献血をした。「あの方」の生誕された日に我が身の血を献げるという行為に、秘かな魅力を見出したからである。もちろんその夜は、「7つの顔をもつ鳥」の肉をわしづかみにして、喰らった。絶対に自分のほうが、誰よりも今日という日を愉快に過ごしている自信があった。まさにメリークリスマスである。独身男の風習として、流行らせたいと思っている。

冗談はさておき、人が何か行動を起こすのは、自分にとって意味があるからである。これは献血も同じである。いくら献血をお願いします、血が足りませんと叫ばれても、ああそうなんですねと思われてしまうだけだ。これでは職員の努力の甲斐がない。そのため若者にとっては、せいぜいのところ献血ルームは、待ち合わせの前に無料で暇つぶしができ、おいしいアイスやお菓子が振る舞われ、しかも場所によっては、なんと各種ジュースが飲み放題の快適な場所として認識されるだけである(書いていて魅力的な場所に思えてきたが)。

ようするに、献血をお願いする前に、ターゲット顧客である「若者」の理解から始めなければならない。若者はなぜ献血に行かないのか。何に意味を見出せば、行動するようになるのか。

若者にとって献血は「眼中にない」

最初に上げた記事で書かれているように、人口減少にともなって献血する人が減っている。とりわけ、10~30代が減っているようである。しかし実は、この主な理由は、人口減少にあるのではない。若者の献血率の低下のほうが問題である。

かつて全血献血の採血量は200mlだけであり、16歳の誕生日を超えた人は、いずれも献血することができた。よって、高校に献血バスが配車されることで、効率的に血を集めることができたのである。しかし1986年、筆者が5歳の頃になると、輸血の効果と安全性を高めるために、全血献血に400mlが加えられるようになると、400mlの献血のほうが圧倒的に求められるようになる。当時400ml献血は、男女とも18歳以上でないと行うことができなかった(現在は男性のみ17歳以上)。そのため、高校に献血バスを配車することには、あまり意味がなくなった。また、高校の現場における全教系教員による集団献血反対の動きも相まって、高校から献血バスは、徐々に姿を消すようになった。血を集めることに目を向けすぎたせいで、若者に献血の意味を啓発する機会を失ってしまったのである。

よって若者にとって、献血はよくわからないし、慣れていないし、「何となく」という曖昧な理由によって、敬遠されがちなものとなってしまった。厚労省の調査(3つまで回答、累計)では、献血をしたことがない理由は「針を刺すのが痛くて嫌だから」が27.7%、「何となく不安だから」が25.9%、「恐怖心」が22.4%である。後には「時間がかかりそうだから」が続く(20.1%)。理由が「わからない」人までいる始末である(24.5%)。針などは健康診断で毎年刺されているし、昔から行われてきた献血という行為に不安や恐怖心を抱くようなことのは、異常というしかない。

献血に行かないのは、若者に問題があるのではない。それをとりまく環境に、問題があるのである。若者にとって献血は、身近ではない。献血する意味も価値も、よくわからないままなのである。

PRとは意味づけを促す行為である

もしもイベント等でPRしたければ、若者にとって何の意味があるのか、どのような価値があるのかを伝えることを、目的にしなければならない。

はっきりいって赤十字は、マーケティングが下手である。マーケティングとは、売れるしくみをつくることである。PRはそのうちにあって、売るものの価値を買う人の要求や欲求に意味づけることである。マーケティングによって、献血ルームの現場で汗を流し、報われない努力をしている人をできる限りなくさなければならない。売り込むのではなく、売れるようにしなければならないのである。

だから結局、売りたいもの=献血の本質的価値を、若者にいかに知らしめるかを考えることから、始めなければならないのである。ところで赤十字は、何を目指す機関か。つまり、何を売りにしたい機関なのか。日本赤十字社の使命は「苦しんでいる人を救いたいという思いを結集し、いかなる状況下でも、人間のいのちと健康、尊厳を守ること」である。つまり人間を救うのが、彼らのミッションである。そのために人間は、健康でなければならない。そして苦しみは、取り除かなければならない。

素晴らしい大義である。筆者は自分がダメなだけに、こういうことを言って実行に移す人たちが好きである。そうであれば、献血においてもその中心的価値は「いのちと健康、尊厳」であるべきだろう。そしてこれを、若者にも適用することにしよう。わが国の多くの若者は、いのちと尊厳は脅かされていないから、売りものは「健康」である。これからの赤十字には、若者の健康を守って頂く機関となって頂きたい。

献血を若者の「眼中」に入れる

ここで終わってしまえば、赤十字は大義と実際が乖離した組織となってしまう恐れがある。それでは詐欺師である。ゆえに大義は、具体化しなければいけない。目的は、目標として落とし込まなければいけない。

若者に「健康」を売りたければ、なぜ献血が健康につながるのか、健康とはどういうことなのかを、明確に伝えなければならない。わかりやすいのは、数字を示すことである。若者に興味のある数字は、まずもって、お金である。なぜなら若者は、お金がないのである。しかるに売血や、図書券を渡すといったことはできない。だとしても、健康であることがお金に換算されるといくらになるかを示すことは、できるであろう。しかもそこには大義がある。若者の健康を守るという、誰が聞いても納得のいく大義が、そこには存在するのである。そうであれば、健康の維持コストや、不健康のために発生する医療費を換算するといくらになるかを示すことが、有効な手段となる。

いうまでもなく、献血において「健康」を訴求する唯一の方法は、血液検査にある。ずいぶんとたくさんの項目を、献血では検査してくれる。これらの項目を病院で検査するとなると、保険が適用されても、だいたい5000円ほどはかかるようである。会社員であれば、会社の健康診断で費用を負担してくれるが、自営業ともなればそうはいかない。よって考えようによっては、献血を一回1時間行うことで、少なくとも5000円儲かるのである。これを年間2回も行えるのだから(男性は3回)、年に1万円も儲かることになる。

また、お金がかかるとなれば足が遠のくが、タダであれば行きたいと思うのが、人間の性である。これならば、これまで健康診断等を行っていなかった人も、献血に取り組むようになるであろう。ここで重要なのは、血液検査の結果、何らかの異常が見つかることである。ここにおいて、不健康のコスト、医療費が明らかになる。検査を行っている人とそうでない人の間で、病気が見つかったあとの医療費には、どれほどの差があるのかを明確にすることで、たかだか年に1万円という金額を超えたメリットがあることが、判明するのである。不思議なことに、これを明らかにする有意なデータは見つからない。そうであれば赤十字社は、「いのちと健康」を守るという使命のためにも、検査によっていかなる効果があるのか、医療費はいくらにのぼるのかを明らかにするための調査研究を行ったほうがよいであろう。

最後に、健康のためには検査結果の後の行動が、最も重要である。可能であれば、血液検査の結果を赤十字病院に持っていけば、初診料分の診察料を割引にするなどの特典を設けられないだろうか。また、年2回の定期的な献血を行っている人には、人間ドックの割引を設けてもよいであろう。そうすれば、献血を行っている人はみな、診察や人間ドックを赤十字病院で行うことになるはずである。あるいは、企業に働きかけてもよいかもしれない。おそらく企業は、献血者に何らかの優遇措置を行うようになるからである。いずれも事業拡大の機会になるし、病気の早期発見に寄与することができる。

それを、赤十字がやるのだ。事業目的は、健康の維持と拡大である。これにて、ミッション・コンプリートである。

できない理由は様々にあるだろう。しかし、できない理由を語っても仕方ない。重要なのは、使命である。そして崇高な使命を実現するためには、試行錯誤しなければならない。それが事業を行う人間の、誠実な態度というものである。

善意のみでは、若者は献血に行かない。なぜなら世の中には、善意を示すための機会は、いくらでもあるからである。善意のリターンを明確にし、それを訴求することでしか、献血を促す方法はないのである。献血を増やすのに有効な方法は、第一に赤十字の使命の追求、およびその実現に向けた調査研究、そしてPRを含むマーケティングである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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