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リベラル派こそ憲法改正案を出した方が良い理由

室橋祐貴日本若者協議会代表理事
(写真:イメージマート)

規律密度が低く、権力統制力が弱い日本国憲法

先の衆院選において、憲法議論に積極的な日本維新の会、国民民主党が躍進し、憲法議論が活気づいている。

2月10日には、予算案の審議中に、衆議院憲法審査会(憲法審)が開かれ、オンライン国会の是非などについて自由討議が行われた。

一方、憲法議論に消極的な立憲民主党と日本共産党からは、「コロナ対策を含む予算案審議に集中すべきだと、多くの国民が求めている」(立憲・道下大樹衆議院議員)などと、憲法審を開くことに消極的な意見が述べられた。

しかし、現行の日本国憲法が、「規律密度」が低く、政府による解釈の幅が大きいこと、国政調査権など、国会の少数派(=野党)の権限が弱く、行政監視能力や国家の権力統制が不十分なこと、消極司法により司法による少数者の権利保護が不十分であることを考えると、本来、リベラル派こそ、憲法改正を訴え、統治機構改革を進めていくべきではないだろうか。

でなければ、権力統制の強化に関して十分な議論がされず、国家の権限拡大(人権制約)の方が先に実現する、そうした懸念が存在するからである。

規律密度とは:条文の抽象度で、これが低ければ、法規範として規律・統制する力が弱い。日本国憲法は簡潔かつ抽象的で、規律密度が低いために、憲法改正を伴わなくても、法律改正や政府見解、憲法判例等で柔軟な対応が可能になっている。

消極司法(司法消極主義)とは:司法(裁判所)が立法府や行政府の判断を尊重し、違憲性が明白でない限り違憲審査を行わないこと。一方、司法が立法・行政の憲法解釈に対し、独自の解釈を示して介入する傾向を司法積極主義という。

当然ながら、与党・自民党から出される改憲案は、権力統制よりも、権力拡大を図っているものが多い。

しかし本来、憲法の本旨は国家への権力統制である(立憲主義)。

これを強化するためには、「憲法改正やめろ」、「憲法審を開くな」と叫ぶのではなく、権力統制を強める憲法改正案、政府に憲法を遵守させるための制度改革(憲法裁判所の設置など)をきちんと議論し、進めていくのが、国会議員、主権者である国民のあるべき姿である。

そうした考えから、筆者が代表理事を務める日本若者協議会では、数年前から憲法について勉強会を重ね、この度、改憲案をまとめた。

特に重視しているのが、統治機構改革だ。

日本若者協議会 憲法検討委員会 憲法改正に関する提言

https://drive.google.com/file/d/1A4_-ft3EfCTUniu9W6gift-3HCvowGmC/view?usp=sharing

日本若者協議会
日本若者協議会

国家への権力統制を強める憲法改正案

2月10日の憲法審では、元民主党であり、現在は「有志の会」に所属する北神圭朗衆議院議員も、立憲主義、国民主権の観点から、議論を深めていく必要性を訴えている。

「他方、(憲法第9条)第2項においては、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない、というのは極めて珍しい条項です。主権国家として、戦力すなわち軍隊を持たないのは、現実的に想定できません。事実、2項のもとでも、我が国は、現在では、政府の才気あふれる解釈技術によって、自衛隊のための必要最小限度の軍事力を持つのは当然だとなっています。しかしながら、これで本当にいいのでしょうか。憲法第96条で規定される国民投票を経ずに、時の政権の解釈変更によって、警察予備隊がいつの間にか自衛隊になり、集団的自衛権が行使せずから、限定的に行使できると変更されています。立憲主義というのは、政治権力が単に憲法に基づいて統治されることだけではなく、政治権力を憲法が実質的に制限することだと私は理解しています。今の状態ではたして政治権力が実質的に制限されているのでしょうか。立憲主義に基づいた議論を深めていくべきだと思います。」(北神圭朗衆議院議員)

引用元:憲法審査会(衆議院インターネット審議中継)(太字は筆者)

憲法解釈については、これまで内閣法制局が主に行なってきたが、官邸主導が強まるなか、人事(内閣法制局長官)によって政治的な介入がなされるようになってきている。

結果的に、時の政権による、恣意的な解釈が行われるリスクがこれまで以上に高まっているのが現状だ。

その象徴として、集団的自衛権の限定的行使を容認する憲法の解釈変更が行われ、2015年に安全保障法制が成立している。

また、解釈改憲が積み重なってきた結果、国民の間でも憲法を軽視する意向が強まっている。

安保法制に関して実施された世論調査で、安保法制を「違憲」と考えるのが多数派であったのに対して、安保法制を廃止すべきだという回答は少数派にとどまっているという結果となっている。

つまり、「違憲でも、法律を改正する必要はない」という、法治国家としてあるまじき、法規範の薄れである。

こうした恣意的な解釈変更を防ぎ、適切に国家の権力を統制していくためには、規律密度を上げ、憲法改正を含む、統治機構改革、特に国会機能の強化を進めることが必要なのではないだろうか。

たとえば、臨時国会の召集要求は、憲法によって与えられている少数政党(野党)への行政監視能力の一つだが、期限が明確に示されていない(規律密度が低い)が故に、判例においても「合理的期間内」という曖昧な規律にとどまってしまっている。

こちらも2月10日の憲法審において、自民党の石破茂衆議院議員が指摘している。

「成功体験という言葉を軽々しく使いたくないが、やはり国民が実際に憲法って改正できるんだ、という体験を持つことはすごく大事なことだと思っています。我が党の平成24年の改正草案の中で、多くの党に賛成して頂けると思うものの一つに、臨時国会は衆参いずれかの総議員の4分の1の要求があった時は開かなきゃならんと現行憲法に書いてある。だけど、何日以内というのが書いていないので、近いうちにとか、そのうちにとかそういう言葉を使って、召集したら即解散というのが今までなかったとは言わない。(中略)民主主義というのは、できるだけ多くの人が参加しないと機能しない、そうしないと特定のイデオロギーとかそういうものに左右されかねない。もう一つは、少数意見を尊重しないと民主主義は成り立たない。そして健全な言論空間というのがなければ、民主主義は機能しない。それは3つとも今どうなんだろうかということが問われているのではないか。自民党の憲法改正草案は衆参いずれかの総議員の4分の1の要求があれば、20日以内に召集しなければならないと、書いてある。これに反対する党があるのだろうか?4分の1が少なすぎるということがあるのかもしれないが、少数の意見を尊重するという考え方がそこにはあったはずだ。できるものをきちんとやる。そして民主主義がきちんと機能するようにする。一つでも多くの党が賛成してもらえる、そういうものから優先すべきという考え方があって然るべきだと私は思っている。」(石破茂衆議院議員)

引用元:憲法審査会(衆議院インターネット審議中継)(太字は筆者)

同様に、国政調査権について、憲法第62条では「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と規定されているが、行使条件として、衆参両院のどちらかの委員会で過半数の議決を得る必要がある状態となっている。

これでは多数派である与党が賛成しなければ、国政調査権を行使することができず、十分に行政監視ができる状態になっているとは言えない。

そのため、少数野党が行使できるように、ドイツ基本法と同様に、「四分の1以上の議員の要求で」などと加え、国会の行政監視能力を強化すべきである。

そうした提案をもっとリベラル派はしていくべきではないだろうか。

また、緊急事態条項については、国会議員の任期延長が主な論点となっているが、今回のコロナ禍で見られた、曖昧な「お願い」による自粛要請、それに対するゆるい統制(国会による監視や裁判的救済)のままで良いのかといった、人権制約と行政監視/裁判による救済の関係性をもっと論じるべきではないだろうか。

この点、日本若者協議会 憲法検討委員会の改憲案では、緊急事態宣言の「要件」「効果」「失効・停止」についての条項を設け、憲法の規定に基づき、迅速かつ効果的に対応できるようにした上で、三十日ごとの国会の事前承認、オンライン審議の実現、また憲法裁判所を設置し、積極司法へと転換すべきだと述べている。

その他にも、衆院解散権の制約など、議論すべき点は多い。

これまで、日本では、「護憲派」対「改憲派」という二項対立によって、憲法に関する議論は建設的に行われてこなかったが、平成の統治機構改革によって、行政・立法・司法のバランスが悪くなっているのに加え、デジタル人権など、大きな時代の変化に伴い、新しいテーマも浮上してきている。

こうした時代にあっては、憲法改正実現or憲法改正阻止を目的化することなく、フラットに議論すべきフェーズへと移行すべきである。

でなければ、権力統制のブレーキを強化する前に、権限拡大(人権制約)のアクセルが強化される、そうした懸念を感じずにはいられない。

1.緊急事態条項について

 現行憲法には戦争や内乱、大規模な自然災害やパンデミックなどの緊急事態に関する定めがなく、憲法第13条の「公共の福祉」を根拠として、対処療法的に法律レベルでの整備・運用により事態に対応してきた。

しかし、複雑化した現代社会の問題は、通常の統治では解決困難で、常態化しやすく、共同体を容易に崩壊させる深刻なリスクを潜在的に抱えている。

我が国においても、緊急事態における秩序回復に向けた統治のあり方を予め憲法に定めておくことが必要であると考える。

とりわけ、今回のCovid-19の対応において、力の源泉を曖昧にした、「お願い」ベースの自粛要請は、直接対峙できない匿名の権力の下、「営業の自由」の制限、「自己責任」と「共同体への恭順」という苦しい生き方を個人にもたらす結果となってしまった。

 以上の反省に加えて、緊急事態条項が悪用された歴史の教訓(※)に鑑み、下記のとおり、緊急事態宣言の「要件」「効果」「失効・停止」についての条項を設け、憲法の規定に基づき、迅速かつ効果的に対応できるようにするべきである。

同時に、正確に事後検証をできるように、専門家会議の議事録など、意思決定の経過がわかる公文書をきちんと残すことも欠かせない。

 また、緊急事態における対処は法律で十分という意見もあるが、ヨーロッパの憲法問題の諮問機関であるヴェニス委員会が、緊急事態における権限に関する基本的な規定は本来的には憲法の中に書き込まれるべきである、と言っているように、緊急事態への対応はまさに国家の存立、人権に関わるものであり、憲法に書き込む方が望ましいのではないだろうか。

現状においては、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が国会承認なしになされており、人権制約、行政強化が実質的に「白紙委任」状態となっている(「国民保護法制」など同様の緊急事態に対応した法制度に関しても同じ問題を指摘することができる)。こうした状態を改善するためには、歯止め規定を憲法に書くことが望ましいと考える。

 なお、内閣の権利の濫用を防止するため、国会の機能確保については、後述のオンライン審議を、緊急時における司法による統制は、後述の憲法裁判所をそれぞれ参照されたい。また、衆議院議員の任期について、解散中の緊急事態には基本的には参議院で対応するものとし(緊急集会)、その延長ではなく緊急事態でも国民の代表を選べるようにオンライン選挙・投票などのあり方を議論すべき。

【新設(緊急事態条項)】

◯ 内閣総理大臣は、わが国に対する外部からの武力攻撃、大規模なテロリズム、大規模な自然災害、感染症の蔓延により、国家の存立が危機に直面し、平時の統治機構をもっては対処できないと認めるときは、国会の事前承認のもとに、緊急事態を宣言することができる。

 当該宣言を三十日を超えてなお継続すべきときは、三十日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。 

◯ 緊急事態の宣言が発せられたときは、内閣は公の秩序の回復のために、法律と同一の効力を有する期限付きの政令を制定することができるほか、緊急財政処分を行うことができる。

◯ 緊急事態の宣言が発せられたときであっても、憲法第13条(個人の尊重と幸福追求権)、第14条(法の下の平等)、第18条(身体的自由権)、第19条(思想・良心の自由)、第20条(信教の自由)、第21条(集会、結社、表現の自由)に定める基本的人権は侵害してはならず、これらの権利の保護に不可欠な司法上の保障は停止されない。

 憲法裁判所およびその裁判官の憲法上の地位および任務の遂行は侵害してはならない。

◯ 内閣総理大臣は、緊急事態が回復したとき、国会の承認が得られなかったとき又は国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したときは、直ちに緊急事態の宣言を解除しなければならない。

※とりわけワイマール憲法第48条の大統領非常権限の濫発がナチスの台頭を促し、「全権委任法」を成立させてしまった歴史を忘れてはならない。

2.憲法裁判所等について

 今回のコロナ禍で表面化したように、わが国において行政が緊急事態下で行う規制は、諸外国に比べると、要請(お願い)ベースの緩い措置であり、同時にそれに対する統制(国会による監視や裁判的救済)も緩いものである。しかし、実態としては、法的な強制力がない要請ベースの規制が事実上強制力を持って運用されてしまっている。

また、新型インフルエンザ等対策特別措置法(新型コロナ特措法)が令和3年2月に改正された際、罰則規定が追加された一方で、それに対する統制については十分な議論がされていない。

特に司法的統制に関しては、統治行為論による違憲判断の回避が度々行われてきた歴史もあり、従前より裁判所の違憲立法審査権行使における消極的な姿勢は批判されてきた。

 憲法改正による緊急事態条項の創設等も含め、緊急事態における行政の権限を強化するのであれば、その強いアクセルに見合う適切なブレーキの役割が必要である。また、違憲審査を活発化させ積極司法への転換を図るためにも、憲法改正によって独立の憲法裁判所を創設すべきだと考える。

 現行憲法では、第81条において違憲立法審査権が規定されているため、改正イメージとしては、第81条の改正及び「81条の2」の創設、または81条を改正した上で新章「憲法裁判所」を創設することなどが考えられる。

憲法裁判所についての主な改正論点として、①違憲審査権のあり方について、②憲法裁判所の構成について、③違憲判決の効力について、④統治行為論による違憲判断回避の防止について、が挙げられる。

①違憲立法審査権のあり方については、主に(1)付随的違憲審査制、(2)抽象的違憲審査制の2つの類型が存在する。

付随的違憲審査制は、他の司法裁判所で争われている具体的な事件について憲法裁判所がその事件に適用されている法令等の審査のみを行う。

一方、抽象的違憲審査制は、具体的な事件の発生を要件とはせずに、抽象的に法令の審査を行う。

違憲審査活発化のために、通常の裁判所とは別に新たに憲法裁判所を設置する改正趣旨を考えれば、現在わが国の裁判所で採用されている付随的違憲審査制ではなく、抽象的違憲審査制の立場を憲法裁判所では採用するべきだと考える。

②憲法裁判所の構成については、司法権の独立という観点から、裁判官の任命手続き等のあり方は公正でなければならないと考える。

③違憲判決の効力については、憲法裁判所で採用されるべき違憲立法審査権の類型が抽象的違憲審査制であることを考えると、法令等の違憲判断はその事件にのみに適用されるとする個別的効力説ではなく、違憲と判断された法令等が一般に無効となる一般的効力説に基づくべきものと考える。

④統治行為論による違憲判断回避の防止については、憲法裁判所設置の趣旨を考えれば、統治行為論、つまり高度に政治性のある国家行為を審査の対象外とすることを禁止する(あるいは一定の制約を課す)明文規定が望まれる。

 そもそも現行憲法において、憲法裁判所の設置は認められていないとする解釈が通説だが、一方で、法改正によって現在の司法裁判所に憲法裁判所的な権限を付与することは可能であるという説も存在する。しかし、繰り返しになるが、国家の緊急事態には行政による強い私権制限が必要であるとするのならば、当然、人権の保障や統治権力の均衡を保つために、それに応じた強い司法的統制も存在するべきである。

現在の司法の消極的な姿勢を抜本的に見直し、強いブレーキの役割を持たせるためには、法改正によってではなく、国民的議論が行える憲法改正によって、憲法裁判所は創設されるべきであると考える。

日本若者協議会代表理事

1988年、神奈川県生まれ。若者の声を政治に反映させる「日本若者協議会」代表理事。慶應義塾大学経済学部卒。同大政策・メディア研究科中退。大学在学中からITスタートアップ立ち上げ、BUSINESS INSIDER JAPANで記者、大学院で研究等に従事。専門・関心領域は政策決定過程、民主主義、デジタルガバメント、社会保障、労働政策、若者の政治参画など。文部科学省「高等教育の修学支援新制度在り方検討会議」委員。著書に『子ども若者抑圧社会・日本 社会を変える民主主義とは何か』(光文社新書)など。 yukimurohashi0@gmail.com

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