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小林茂監督 『風の波紋』 ああ、おれは狐に化かされていたんだなあ

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長
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映画は狐のお面をがぶって白装束で身を包んだ子どもたちの朗読劇ではじまる。雪が降り積もっている。一面銀世界。酔っぱらった大人がススキの原で浮かれ、そこにあったまんじゅうを「おいしい」「おいしい」と食べました、と声をそろえる子どもたち。

場面は一転して、深い雪の村。屋根のてっぺんのところを、どう見ても80をだいぶん超えたばあちゃんがしゃべるを手に持って、ひょこひょこと確かな足取りで歩き、雪下ろしを始める。そのしゃべる使い、身のこなしの鮮やかなこと。ふっとばあちゃんの姿が見えなくなった。「あれ落ちたか」と身を乗り出して画面を見ると、なんと雪の屋根に座り込んでうまそうに煙草を吸っている。

画面が切り替わる。春、色が白一色から緑一色になり、その緑の中をヤギを一頭積んだ軽トラが走る。

映画の舞台は越後妻有の里。ご多分にもれず人口減少と高齢化の波が押し寄せ、耕作放棄地と空家ばかりが増える。しかし一方で、田舎暮らしを望んで移住してくる人もいる。映画はその一人、木暮茂夫さんと連れ合いの孝惠子さんを軸に進行する。報道写真家だった木暮さんがこのむらに住んで14年になる。捨てられた田んぼを鍬で起こし、潰れかけた百姓家をもう一度生き返らせることに情熱を注ぐ。

いや情熱じゃないなあ。なんとなく行きがかりでやっているという感じで、その脱力感がたまらない。自分で再生した狭い棚田に水を張って苗を手植えする。植えながらぼそぼそ話す。捨てられた田んぼが目の前にあったので耕してみた。耕したら稲を植えなければと思って苗を植え始めた。収量は6俵くらいというから、コメどころであるこのあたりの平均収量の六割程度か。放棄された田んぼを起こすこと自体、難儀な労働なのだが、そんなことはおくびにもださない。いや、なかなか楽しいですよ、やっているうちに好きになって、アートですね。

譲り受けた百姓家の再生もそんな具合だ。東日本大震災と同じ時期、信越を襲った地震で傾いてしまった。もう駄目かなと思ったのだが、地元の大工の棟梁にみてもらったら、なに、簡単だよ、といわれた。その気になってはじめたらこれが難工事で、傾いた家をまっすぐにするところで大工さんたちは四苦八苦。いろいろ機械やら道具を使って何とかまっすぐにした所へ棟梁が現れ、柱をぼんぼんと叩いて、若い衆にこうやったらと指示らしきものを出す。若い衆は、「それはやってみました」。棟梁はふうん、といってそれでおしまい。若い衆が「もう一度やってみますか」、棟梁「いややってのならそれで」。そのいい加減さがまたとてもいい。

無事普請も終わり、一同い揃っての寄り合い。酒が出て、棟梁が歌い出したのが「夜明けは近い」。演歌じゃないんだ。

演歌といえば、こんなシーンもあった。むらの区長さんらしきかっぷくのいいじいさんに屋根の雪下ろしを頼まれた木暮さんがじゃベルを持ち、まわりの若い衆を連れて出かける。屋根に上って雪下ろしをしていると、出かけていたじいさんが戻ってきて、落ちるなよ、雪おろしは仕事1時間、お茶1時間、とか叫んで、二人を家に誘ってお茶のみが始まる。そのうちじいさんは居間にでんと居座っていたカラオケセットに電気を入れ、一曲うなり始める。二人にも勧めるが、木暮さんらはまだ雪が残っているとそわそわ。じいさんはお構いなしにまた一曲。雪おろし1時間、お茶1時間が、お茶3時間にもなってしまいそうな気配。

しょぼくれた即興詩人のじいさんとむらの尺八名人の掛け合いも心にしみた。谷に渡したケーブルを伝わっていかないと行きつかない一杯飲み屋件民宿らしき家。雪の中を出かけていき、酒になってみんないい気分になった。一番いい気分なおがその家の主人で、状態をゆわゆらふらつかせながら、「風が吹く…」とかいう即興に詩をうなり始める。隣で飲んでいたやや若い衆が尺八を取り出し、即興詩に合わせる。外は吹雪。家では火が燃え、尺八の音が流れる・・・。

いろんなエピソードを盛り込んで99分が過ぎていく。古いむらは時代の波の中で消えかけているが、脱力感あふれる木暮さんを軸に、新旧まじりあって、新しいむらが動き出しているようにも見える。ぼくは埼玉県秩父に住み、村歩きが仕事なのでよくぶつかるのだが、移住組が入ってきても移住者だけが固まってしまい、新旧がまじりあわない。映画は、それが実に自然に、うまい具合に人と人がまじりあっている。監督の小林茂さんが撮りたかったのは、この世界なのだなあと思いながらゆっくり時間が流れる99分を堪能した。

最後のシーン。朝日が昇り始め、遠くの山から次第に明るくなる。日がさし、そのお日様が次第に近づいてきて手前に田んぼを照らす。ゆっくりとゆっくりと。歌が流れる。なんだか知らないが涙があふれてきた。険しい山々に囲まれ孤立したむらが点在する四国山脈のどん詰まりにある、ぼくが生まれ育ったむらがふいに蘇ってきた。

映画が終わり、地下の小劇場から階段をのぼって外に出ると、そこは銀座。すこし冷え込んでいるが、日がさし、まだ明るい午後4時ごろ。またふいに思った。「ああおれは狐に化かされていたんだなあ」。

写真:Copyrightカサマフィルム

(小林茂監督作品、製作カサマフィルム)

3月19日からの東京渋谷「ユーロスペース」を皮切りに全国上映。お問い合わせは配給会社「東風」03-5919-1542まで。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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