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なぜ今、食と農の基本法が改定なのか(下)食料・農業版”新しい戦前”か

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 (上)でみたように、あれやこれやで新基本法は影が薄いものになりました。そして時代はまた一回転します。

◆巨大農場とイノベーション

 新自由主義・多国籍企業主導の時代から国家主導へと、時代が逆戻りしたというか前に進んだというかはよくわかりませんが、背景にロシアによるウクライナ侵攻や中国が台湾を攻めてくるという日本政府やメディアによる煽りもあっての東アジア危機があります。

 高名な有名大学の先生が、このままでは”日本が飢える”というセンセーショナルな本を出してベストセラーになり、右からも左からも引っ張りだこで、全国各地を講演で飛び歩いています。危機を煽れば煽るほど食と農への国家による管理統制が前面に出てきます。自由貿易論議は消し飛び、国家が経済をつかさどる経済安保の制度化が進み、今国会では経済スパイ法ともいえる法案が、食料・農業・農村基本法案と同時に国会にかけられました。

◆日本の軍事化と食料安保

 いま国会で審議中の基本法改定はそうした時代背景の中で出てきたものです。その中心軸は「食料安保」です。

 農林水産省が作成した基本法改定案の概要によると、法案の柱は「食料安全保障の確立」で、「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ、国民一人一人がこれを入手できる状態」と定義されています。このことに誰も異議はないのだけれど、問題はそれをどうやって実現するつもりなのか、ということです。

 まず気になるのは「合理的な価格」というときの「合理的」とはどういうことを意味するのかということです。それを知るために基本法改定に向けての検討過程の論議に立ち戻ってみると、以下のような議論と認識がなされていることがわかります。

 まずこれまでの農産物価格政策について、以下のような認識を明らかにします。

「価格の安定とともに所得確保にも強い配慮が払われてきた結果」、農産物価格が需給事情や品質の評価を適切に反映せず、その結果「効率的かつ安定的な農業経営が生まれなかった。」

 ここに「合理的な価格」とはどういう価格かという問いの答えがあります。農産物価格とは、生産者である農民の暮らしが成り立つとか生産コスト費を償えるとかということとは関係なく、「需給事情」とか「品質」によって市場で作られる価格こそが「合理的な価格である」という論理が貫かれているのです。

 需給事情や消費者による品質評価が一目瞭然でみられるのはスーパーマーケットの売り場です。きれいに包装された内外の農産物・加工食品が豊富に並び、食料は豊富に出回っているように見えます。確かにそれはカロリー換算で38%という自給率しかないこの国の食をめぐる一つの現実です。しかしその背後には先ほど述べた農業の担い手の超高齢化、農業から離脱する農民の激増、低価格農産物の横行からもたらされる”農民の貧困化”という、もう一つの現実があるのです。

 食料安保を考えるときの最大の課題は、この矛盾をどうつじつま合わせるかということです。今国会審議中の基本法改定を軸とする諸法案の中にその回答はあります。一つは法人化をテコとする大規模農業経営体の創出です。農民が集まって法人を作り大規模化する動きはこれまでもありますが、農民主体の農業法人は低農産物価格の中で行き詰まりが出ています。

 コロナ禍による消費の減退で農産物価格、特に生産者米価が大きく下がりました。その時点で農民の農業からの撤退が急増し、その流れはいまも続いています。基幹的農業従事者の減少を時系列でみると、減少の勢いは相当のものがあります。         

 秋田県や山形県の米作地帯を何カ所か歩き、農民が集まって法人を作り大型稲作経営を行っているところを訪ねました。秋田県南部の雄勝平野では法人化で80ヘクタールにまで規模拡大した稲崎経営体が半分の40ヘクタールに一挙に規模を縮小したという話を聞きました。山形県南部の置賜盆地では、60ヘクタール前後の稲作法人二カ所を訪ね、話を聞きました。両法人とも、地域の農家に頼まれて作ってきた田んぼ農地、作業効率が悪い田んぼを返して身軽にならなければ自分たちがつぶれてしまうと危機感をあらわにしていました。

 これには解説がいります。一部の稲作経営体が次第に大規模化していったのには理由があります。農業をやっていても先が見えないとか、年をとり、後継ぎもいないから、ということで農業から離脱したいが、耕作放棄して荒れ地になってしまうのはご先祖に申し訳ない、ということで作ってくれる人をさがします。だけどみんな同じように農業から手を引きたがっている。

 地域内には、ほんのわずか規模拡大をめざして法人化している人がいる。そこで「うちの田んぼも引き受けてくれないか」と頼み込む。法人のほうはコメの先行きも考え、これ以上拡大したくないと思っているのだが、同じ地域に住む農家どうしということでやむなく引き受ける。しかしそれも生産者米価の値下がりで限界に来た、というのが現状なのです。

 法人に土地を引き受けてもらった農家は、再び米作りをする気もないし、農機も手放していてその体制もない。法人から土地を返してもらっても、そのまま耕作放棄するしかない。それがいまの農業の現状なのです。

 そこで政府が考えたのは、農民に代わって食品企業や銀行資本など農外資本に農業経営を担ってもらおうという算段です。今国会で基本法改定の関連法案として出されている農地関連法改正案で、農地を所有できる法人への出資規制が大幅に緩和され、農外企業が出資の三分の二まで持てることになります。農業法人の経営権は農外の資本に握られることになるわけです。

 この規制緩和によって平野部の条件のよいところでは桁外れの大規模農業経営体が出現することになりそうです。

 それら巨大経営を支える技術的基盤はAIとバイオテクノロジーです。トラクターやコンバイン、田植機など大型農機の無人化、ドローンによる農薬散布や肥培管理、遺伝子組み換えやゲノム編集による品種開発や微生物改変、などを駆使してのイノベーションで、これをスマート農業と政府は称しています。その育成の法案も基本改正関連法案として国会に出ています。

 ではいざというとき食料が不足したらどうするか。実は基本法改正案では「国内自給率向上」については主要対策から外され、目標数字を定めていません。もっとも、一貫して下がり続けてきた食料自給率に対し、政府は現行基本法では目標値を設定してきたが、同法が施行された25年間、一度も達成したことはありません。自給率目標といってもお経みたいなものなので、はずした方がすっきりするのかも知れません。いずれにしても政府は自給を重視していない。ではいざ緊急事態で食料不足が発生したときはどうするのか。

◆「食料供給困難事態対策法案」とは

 ここで基本法改定案と抱き合わせで提案された「食料供給困難事態対策法案」が登場します。これは、本名を隠した「戦時食糧法」と言い換えてもよい代物です。

 この法案でいう「食料供給困難事態」とは「特定の食料の供給が大幅に不足し、または不足するおそれが高いため、国民生活の安定又は国民経済の円滑な運営に支障が生じたと認められる事態」を指します。「特定の食料」とはコメ、小麦、大豆、植物油脂原料、畜産物。そうした事態が発生したときは、内閣総理大臣を長とし、全閣僚を構成員とする対策本部が官邸に置かれる。

 対策本部は農民に対しては、花や果物など腹の足しにならないものなんか作らないでコメ、小麦、大豆を作れと指示出来る。同時に商社に対しては輸入の促進、国内販売業者には出荷・販売の調整を指示できる。最終的に、食料に関しては生産から販売まで国家管理のもとにおかれることになります。

 これにはモデルがあります。アジア太平洋戦争の中で、すべての人的物的資源を戦争遂行のために動員するという目的で「国家総動員法」が施行されました。1938年(昭和13年)のことです。そのもとで農地や農業生産も国家命令で管理されることになります。

 ◆小説「花」と映画「花物語」

 農産物作付け制限・禁止の権限を政府に与える臨時農地等管理令が公布されたのが1941年(昭和16年)。日本がハワイ真珠湾を攻撃、米国に対し戦端をひらいた年です。果樹、花、お茶、桑など腹の足しにならない作物の米、麦、サツマイモなどへの転換が強制されました。

 作家田宮虎彦の小説「花」は、農家の女たちの努力で花産地として東京市場で名をはせていた房総の村を舞台に、国からの通達で畑の花を引き抜き、種や球根を燃やす花栽培への抑圧が吹き荒れる中で、「非国民」と罵声を浴びせられながら花作りを続けるハマの静かな抵抗を描いた作品です。事実をもとに綿密な検証を重ねた小説「花」は、1989年に堀川弘通監督によって「花物語」というタイトルで映画化されます。筆者も運営委員を務める国際有機農業映画祭は苦労してフィルムを探し当て、23年12月2日、第17回国際有機農業映画祭で東京都内で上映することが出来ました。今年11月には新潟の農民グループが主宰している上越農業映画祭で上映することが決まっています。

 リンゴ産地青森では、1943年3月に新植リンゴ約1000ヘクタールの伐採が県によって勧められ、6月には田んぼの草とりの前にリンゴの袋かけをした船沢村(現在弘前市)が警官隊に襲われ、30人の農民が農業生産統制令違反で検挙されるという出来事がありました。
 そのときの戦時立法がそのまま再現されることになるのが、いま国会審議中の法案「食料供給困難事態対策法案」です。

 いまこの国では経済安保法にみられるように、すべての生産・経済活動が戦時を想定して大きく変えられようとしています。農業・食料もその重要な一環に位置づけられているのです。集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力の保有、大軍事予算と大軍拡、殺傷武器の輸出解禁と続くこの国の軍事国家化の中で、農も食も軍事体制の中に組み込まれようとしているとみることができます。

 台湾有事で中国が攻めてくると自公政権が煽り立て、日本の食料自給率が極端に低いことに結びつけて、「このままでは日本人が飢える」とこの国の最高権威東京大学大学院教授がのたまい、右も左も「食料安保」「食料安保」と連呼しています。

 話は冒頭に戻ります。食料自給を強調し、食料安保を叫べば叫ぶほど、農と食は国家に取り込まれ、農民は好きな農業をする自由と権利を、市民は花を愛でる自由と権利を失います。すでに戦前はそこまで来ているのです。 

 いま、世界の経済は食料を含め網の目のようにつながっています。ウクライナ戦争によって化学肥料の原料輸送が途絶え、世界各地の農民が化学肥料の高騰と不足に襲われた。日本の農民も大打撃を受けましたが、購買力が低いアフリカやアジア、中南米では死活問題となっています。それぞれの国が食料安保を言い立て、自国だけしか見ない食料自給を掲げて食料生産・市場の閉鎖空間を作り始めたら、飢餓は目に見えない形で一層深刻化することは目に見えています。

 貧困研究で1998年にノーベル経済学賞を受けたインドの経済学者アマルティア・センは、飢饉の要因は食料供給不足にあるのではなく、社会構造、具体的には雇用や社会保障、相互扶助のあり方、さらには表現の自由といった人権が保障されているかどうかによる、と広範な実態調査をもとに提起しました。つづけて彼は貧困と飢餓を解消するには、公衆のための公共政策と公衆自身による公共行動が必要であると述べています。

 このセンの説に従うならば、食料問題で私たちがいまやらなければならないのは、国家が食料を管理する途を切り開く食料安保ではなく、軍事拡大・戦争国家化への途に立ちふさがり、戦争をしない・させない運動、センがいう公共行動に参加することではないかと考えます。 

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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