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『麒麟がくる』最終話で示された「麒麟」の正体 「愛ゆえの信長殺し」のもたらしたもの

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2018 TIFF/アフロ)

驚きの『麒麟がくる』最終話「明智光秀は生き延びる」

『麒麟がくる』の最終話は「本能寺の変」であった。

本能寺の変の描写で、ほぼ終始していた。

明智光秀は、本能寺で信長を斃したあと、いわゆる「天王山の戦い」で羽柴秀吉と戦うことになるが、この山崎の合戦とも呼ばれる戦いの描写がなかった。

そこで破れ、敗走中に殺される姿も描かれない。

光秀の死は明示されなかった。

驚きの最終話であった。

「光秀生存説」を見せ、「ぶっとんだラスト」であったが、つまり「本能寺の変のあと」はこの物語にとってあまり重要ではないと示しただけではないだろうか。

『麒麟がくる』は「光秀と信長の物語だった」ということを明確にする最終話だったのだ。

それ以外のこと、いわば「埒の外」である、ということを示していた。そう見えてならない。

愛ゆえの「本能寺」での殺戮

『麒麟がくる』の本能寺の変は、「明智光秀は、織田信長のことを大事におもっていた(俗にいえば好きだった)からこそ信長を殺した」ということを強烈に示していた。

日本史上、最大のテロとも言える「本能寺の変」を「愛あっての殺戮」ととらえるのは、鮮烈であり、深く心に刺さる解釈である。エロティシズムさえ感じるシーンもあった。

最終話は、あらためて「信長と光秀のお互いへの思い」が描かれた回であった。

本能寺の変の少し前、信長はやさしく光秀に語りかけている。

「二人で茶でも飲んで暮らさないか。夜もゆっくり眠りたい。明日の戦のことを考えず、子供のころのように長く眠ってみたい」

かつてない信長と光秀の関係である。

信長が光秀を信頼していたのがわかる。信長もまた光秀のことが好きだったのだな、ということがひしひしと伝わるシーンである。

史実かどうかはさて措き、このドラマにおいては「信長にとって光秀は特別の存在」であった。

大河史上もっとも納得させられた信長のセリフ「是非もなし」

ただこのセリフは「将軍(義昭)を殺せ」という苛烈な指令に続けての言葉であった。

光秀にとってかつて主君であり、いまも心を寄せる足利義昭を殺せと信長は命じる。

光秀は、殺せません、と断る。

信長は、わしをこう変えたのはそなただろう、と詰め寄る。

まさに愛憎うずまくシーンであった。

光秀は、これをきっかけに大きく分裂していき、信長を取り除く決断をくだす。

本能寺で敵襲を受けたとき、信長は「十兵衛(光秀)か」と驚きつつ「であれば、是非もなし」と、哀しく笑う。

あやつが殺しに来たのなら、それは仕方がないと納得していた。

討つ方と討たれる方に分かれながらも、二人は心が通っているという痛切なシーンである。

大河ドラマで何度も本能寺の変は描かれているが「攻めてきたのは明智光秀なのか、ならば仕方のないことだな」と言った信長の心情が、これほどきちんと伝わったシーンを見たことがない。

「織田信長を殺さざるをえなかった明智光秀の哀しみ」を描く大河ドラマ

本能寺を囲んだ兵を指揮しながら、光秀は信長との初めての出会いから、節目節目の出来事をおもいだしている。どうやら信長も同じだったようだ。

「別離」のシーンである。

戦国の世の巨大な武将二人だから、大軍を動かして対峙する形になってしまっているが「かつて同じことを夢見た二人の痛切な別離」を描き、見てるものの胸を揺さぶる。

難病恋愛ドラマを見て泣きたくなるのとあまり変わらない。

大河ドラマで「本能寺の変」を見て、胸をつかれたのは初めてである。

1965年『太閤記』で高橋幸治と佐藤慶の信長と光秀を見て以来、ほぼすべての本能寺のシーンは見てきたとおもうが、泣ける「本能寺の変」は初めてだった。

そしてこの『麒麟がくる』が描きたかったのはこの一点だったのではないか。

「織田信長を殺さざるをえなかった明智光秀の哀しみ」を描く大河ドラマだったのだ。

「明智光秀は織田信長のことを大事におもっていたのに、だからこそ、殺した」という鮮烈なメッセージが、全44話を通して届けられた。それは響いてきた。

魅力に満ち、天下を変える力を持った信長であったが、どこかで何かを間違えてしまった。「信長さまをこのようにしたのは私のせいでもある」との責任感から、「殺すのなら私しかいない」と明智光秀は決断した。

それはまた、同時に自分にも刃を向けることになる。

大事な人を殺すのは、「刺し違える覚悟」を持たないとできない。

信長さまを殺してまた自分も無事でいるつもりはないし、いられるはずもない。

「大事な人を殺した本能寺」を描くかぎりは、光秀はかぎりなく哀しい存在として登場する。

だから「信長死してのち」の光秀は、描かれなかった。

そこはもう『麒麟がくる』のテーマの外だということだったのだろう。

本能寺の変から三年後も光秀が生きている不思議

ドラマの最後は、かなり不思議なシーンであった。

本能寺の変から三年後、光秀は山崎の合戦では死なず、丹波で生き延びているという噂を駒(門脇麦)が話している。そのあと駒は、街中で光秀と似た人物を見かけ、追いかけるが見失ってしまう。

その光秀そっくりの男は、馬を駆け去って行く、それが最後のシーンであった。

セリフやナレーションはないが、光秀(にそっくりの人物)は天正十三年にも生きている、という映像でドラマは終わった。

ドラマとしてはおもしろい。

ただ「歴史事実だけを追う」という立場から見るならば、少し妄想が過ぎますな、ということになるだろう。

滝沢秀明の源義経はのちにチンギスハーンになったのか

このあたり、歴史ドラマとしては、ある種の破壊でもある。

ほぼ実在の人物が登場し、歴史事実にそこそこ基づいて展開してきたこの大河ドラマを、最後の最後に卓袱台返ししたようなものである。

2005年の滝沢秀明の大河ドラマ『義経』のラストを、「源義経はここ衣川では死ななかったとも言われている」と説明して、大陸に渡ってチンギスハーンになった可能性を叙情的に示唆したことに近い。

もしくは、2018年の鈴木亮平の大河ドラマ『西郷どん』のラストを「西郷隆盛はここ城山では死んでいないと言う人もある」として、ロシアに渡りコサック兵を指揮する姿をぼんやりと描いてみせるのを想像してみればいい。

楽しい空想として話をするのはかまわないが、歴史学がまったく相手にしていない分野に踏み込むことになる。

歴史ドラマとしては、かなり大胆な最後であった。

明智光秀は「天海」となって徳川家康を補佐したのか

「明智光秀は、のち天海となり、徳川家康の知恵袋として長生きし、徳川幕府二百数十年の平和の土台を築いた人物となった」という「歴史としては爆裂な妄想」の可能性を少し残した終わり方でもある。

本能寺への出兵直前、徳川家康の間者(ナイナイの岡村)に明智光秀は伝言している。

「この戦に勝ったあと、何としても家康どののお力添えをいただき、ともに天下を治めたい、二百年も三百年も穏やかな世が続くまつりごとを行うてみたいのだ……新しき世になったおり、また会おうぞ」

深読みすればこのセリフは「光秀=天海説」を示していると読み取ることが可能である。

さすがにあからさまに示唆していないが、そういういろんな「遊び」を取り入れた最終回だった、と見るのがいいのだろう。

信長がいなくなった世界は、べつだん、どう解釈してもいい、という伸びやかな気配が感じられる。おもしろいといえば、おもしろい。無茶だといえば無茶である。

羽柴秀吉の「中国大返し」を軽んじようとする描写

『麒麟がくる』では、秀吉は明確に「事前に光秀の謀反を知っていた」とされていた。

そういう俗説はあるが、事実として歴史には残る話ではない。

これも完全な「遊び」のひとつである。

細川藤孝の手紙によって光秀謀反の可能性を知った秀吉は、「やればよいのじゃ……官兵衛、これ、毛利など相手にしておる場合ではないぞ、さっさと片付けて帰り支度じゃ……明智様が天下をぐるりとまわしてくれるわい」と狡知な顔を見せていた。

羽柴秀吉は、本能寺の変後、すさまじい勢いで京都へ戻り、明智光秀軍を破る。

いわゆる「中国大返し」と呼ばれる日本史上屈指の劇的な行動である。

これを成し遂げたことによって秀吉は無敵のヒーローとなった。

本能寺の変を翌日に知り、それから行動を起こし、備中(いまの岡山)から京都まで大軍を率いて移動し、変の11日後に光秀を破り、つまり不可能を可能にした男として、秀吉は「天下人」へと駆け上がっていく。

それを、変の前から知っていたとするなら、ヒーロー像の一部の軽い否定となる。

いままで信じられてきた史実より、二日ほど、秀吉はずるい。

明智光秀が主人公の物語だからこそ、そういう描写になったのだろう。

羽柴秀吉は「麒麟」ではない

『麒麟がくる』は「秀吉政権」をやんわりとした否定していた、とも取れる。

秀吉は麒麟ではない、と示している。

山崎の合戦から関ヶ原の戦いまで、秀吉とその側近が政権を握っていた期間は、しかたなかったとはいえ、歴史の迂回だったのではないか、と言っているのかもしれない。

明智光秀の立場から、あまり歴史を見たことがないから、この「光秀史観」は新鮮である。

本能寺の変後、光秀政権がしばらく存続し、そのあと家康政権へと移るのが、ほんとうは望ましかった、とドラマが主張しているかのようだ。

『麒麟がくる』は「信長と光秀の物語」であったが、終盤になって光秀は徳川家康を強く信頼するようになっていた。

「麒麟」とは何だったのか

となると徳川家康が「麒麟」に近い存在となるが、おそらく、家康が麒麟そのものではないだろう。

『麒麟がくる』では、光秀は生き延び、ひょっとしたら家康の側近になりすましていたかもしれない、と暗示されている(深読みすれば、ではあるが)。

その側近と家康によって打ちたてられた「徳川政権システム」はその後二百数十年にわたり「ほぼ戦のない世」をもたらすことになる。

この「徳川政権がもたらした平穏」をこのドラマでは「麒麟」とみていたのではないだろうか。

いうなれば「家康およびその子孫と側近を中心とした政権システム」およびそれを構築した人びとこそ「麒麟」だったということだ。

「山崎合戦以降の光秀生存説」および「秀吉は本能寺の変を知っていて利用した説」の二つから考えるに『麒麟がくる』の裏テーマはそこにあったと考えられないだろうか。

秀吉を抜いた「織田信長・明智光秀・徳川家康」の政権構築システムこそが「麒麟」だったのだ、という考えである。

新しく、珍しく、魅力的な説である。

「欲のない光秀」とそれを見事に演じた長谷川博己

光秀の欲が描かれてないドラマであった。

権力に対する執着も描かれず、ただ、信長をして天下を平かにしようとし、それが無理だとおもったときにそれを止めた男として描かれた。

歴史のまっただなかで、その哀しみを一身に背負う男を演じ、長谷川博己は見事だった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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