『全領域異常解決室』 大和朝廷時代から続く機関が教えてくれる「現代でとても大切なこと」
藤原竜也と広瀬アリスのバディドラマ
水曜10時のドラマ『全領域異常解決室』は藤原竜也と広瀬アリスのバディドラマだ。
二人が超常現象を解決していく。
藤原竜也が演じる興玉雅(おきたまみやび)がその豊富な知識と経験を駆使して事件を解決し、広瀬アリスの雨野小夢(あまのこゆめ)は武力を武器としたアシスタントとして手伝っている。
超常現象事件の正体を暴く
超常現象事件とは、つまり人ならざるものが起こした事件に見えるものである。
それを解決していく。
でも水曜10時の一般向けドラマでもあるので、オカルト世界だけに終始しているわけではない。
『全領域異常解決室』もきちんと「捜査もの」の型は踏んでいる。
オカルト現象に見えた事件は、じつは超常現象ではなく、人間の欲望が起こしていた事件であった、というのが、毎回の解決点となる。
「神隠し」も「狐憑き」も人が起こしたものだった
第1話は、遺体なき殺人事件「神隠し」。
これは、男性地下アイドルとそれを推すメンバーが計画した事件であったとされた。
第2話では、女子高校で集団失神が繰り返しおきる。
「狐憑き」だと噂される。
これも調査によって、庭にあった祠を壊したことによるもの、ということがわかった。
第3話は、タイムスリップによって事件が起こっているように見えた。
これは、ファフロツキーズ現象(空から変なものが落ちてくるが自然現象として説明できるもの)による偶然だとされた。
「全領域異常解決室」は大化改新より以前から存在している
主人公たちが勤める「全領域異常解決室」は、略して全決と呼ばれ、大和朝廷の時代から続く捜査機関だと言われている。
大和朝廷というからには、紀元645年乙巳の変(大化改新)より以前からある、ということなのだろう。
推古帝のころか、ひょっとして継体帝のころからあるのかもしれない。
「全領域異常解決室」の基本の態度
全決が事件を調査すると、オカルト事件に見えたものも人間による犯罪だ、ということになっている。(表向きはそうなっている)
でも、事件の表面的な解決とは別に、この世には超常現象はある、というのが「全領域異常解決室」の態度である。
局長代理で超常現象のスペシャリストである興玉雅(藤原竜也)はそう考えている。
姿のよく見えない存在をシャドーマンと呼び、江戸時代に話題になった妖怪黒髪切との類似を指摘する。
また2話では高校の教師が所持していた「ケサランパサラン」を、実際に存在するものと認識していた。
ケサランパサランは幸運をもたらすUMA
ケサランパサランとは、綿毛のようにしか見えない未確認生物(UMA)である。
幸運をもたらす存在とされている。
でも動物なのか植物なのかもわからない。
エサは白粉(おしろい)である。
白粉がエサというところにえもいわれぬ古さが感じられる。なんか正徳享保のころから三百年受け継いでいます、というような気配を勝手に感じてしまう。
ケサランパサランは実在する
ケサランパサランは、2話で生物の教師(林泰文)が育てており、2話ラストシーンでは、大きくなっていた。少し自力で動いているようにも見えた。
「全決」のある世界には、どうも本当にいるらしい。
人形町の神社でお願いしたら出現するケサランパサラン
ケサランパサランは、人形町の神社でお願いしたら、近場に出現したと言っていた。人形町というのがえもいわれない。
あるかないかわからないものは、とりあえず「あるかもしれない」ということにしよう、というのが「全領域異常解決室」(全決)の考え方のようだ。
「すべてをわかろうとするのは人間の傲慢だ」と主人公も言っていた。
ここがこのドラマの肝らしい。
わからないことはわからないままでいい
わからないことは、わからないままでいい。
わからないことがある、ということさえわかっていればいい。
わからなくても大事にされているものは、大事にしないといけない。
これがこのドラマが教えてくれることである。
おじいちゃんおばあちゃんが教えてくれたことでもある。
大和の時代から言い伝えられていることでもあるのだろう。
土地に根付いている「言葉が出現するまえから大事にされていたこと」も指しているようにおもう。
現代社会で、儲けることだけに忙しい人には、たぶん「ケサランパサラン」は見えない。ただの毛クズに見えそうだ。
ケサランパサランを2回以上見たが大丈夫か
ただのオカルトドラマに見えながら、さすが推古天皇の時代(推定)から続く機関は、雅(藤原竜也)を通して深いことを教えてくれる。
「すべてのことをわかろうとしなくていいじゃないですか」
『全領域異常解決室』は人にとって大事なことをきちんと示してくれるドラマでもある。
ただ、ドラマをきちんと見ていたので、ケサランパサランを1年に2回以上見てしまったのだが、そこは大丈夫なのだろうかと、ちょっと心配になっている。