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保育士たちを非効率な「書類作り」から解放しよう――カタチから入る待機児童対策

上山信一慶應大学名誉教授、経営コンサルタント
Copyright Paylessimages,Inc.

 待機児童問題は依然、深刻だ。保育所の建設はすぐには進まず、場所が確保できても今度は保育士不足が立ちはだかる。国も協力して保育士の住宅手当増額など様々な優遇策が講じられている。また保育記録や勤怠管理などへのタブレットの活用も提唱される。だが、人手不足はなかなか解消しない。なにかほかにできることはないのだろうか。

 ある自治体の公立保育園の現場の実態を調べた。すると保育士の勤務時間の23%が書類づくりなどの事務作業に使われ、しかも書式の不備などで書き込みに苦労し、さらに父母の記入間違いの書き直しや計算のやり直しに大きな時間が消えていた。私立ではもっとましだが公立施設では保育園に限らずこうした問題が多い。介護施設、保健所など専門職員の多い分野は人手不足の中、日常に追われるあまり、昔ながらの非効率な仕事のやり方や複雑な書式が温存されがちだ。。そしてますます人手不足に拍車がかかる。

 筆者は長年、大企業や自治体の改革をプロデュースしてきた経営コンサルタントである。その経験にもとづき今回の実態調査の結果をどう改善に活かせるか考えてみた(少しでも参考になれば幸いである)。

●保育士の時間の23%は事務処理に消える

 今回、調査した自治体には市内に約70カ所の公立保育園があった。まずは現場の実態を知るべく「困っていること」「改善したいこと」が何かをヒアリングし、またアンケートをした。想定通り、「人手不足」「処遇改善」などヒト関係のコメントが多く上がってきたが、特徴的だったのが”本庁”つまり市役所本体が定め、現場が書いて提出しなければならない各種の「書式」にまつわる苦情だった。

 例えば保育士には様々な雇用・勤務形態(常勤、非常勤、パートなど)があり、その管理に様々な書式を使う。また父母との連絡や集金などの業務も多い。数えてみると公立保育園には、職員の出務簿、業務日誌、スタッフシフト表のほか、父母が書く登降園簿、その集計表、出納簿など驚くほど多数の書式とその集計の事務処理があるとわかった。

 これを時間ベースでみると現場の保育士は勤務時間の23%を事務処理に割いているとわかった。

 いうまでもなく保育士の本来業務は子どもたちのケアであり、事務処理は少ないほうがいい。これが軽減できると、もっと保育に時間とエネルギーが割けるし人手不足問題にも貢献できるだろう。

●「書式」が生み出す非効率

 調べていくと「書式」の処理は現場にとって予想以上の負担とわかった。例えば父母が記入する登降園簿では、「文字が判別困難」「24時間制と12時間制の時刻表記が混在」「他の園児の欄に誤記」「欄が小さく書きにくい」「記入漏れ」などの問題が日常的に頻発していた。

 これらは書式を変えれば解決する問題が多い。だが各種書類は最終的に「本庁」に提出し、延長保育料や給与の算定の基になる。変えるとなるといちいち本庁に問題提起しなければならない。各園の現場は本庁の業務を知らないのでなかなか言い出しにくい。一方の本庁は書式変更のせいで起きる間違いや混乱を恐れ、なかなか変えたがらない(一方で各園の書式は必ずしも同一ではなく、その集計作業は煩雑を極め、本庁も苦労しているのだが)。かくして保育園でも本庁でも職員は事務処理に追われ、たいへん忙しい。多くの人が毎日、使いにくいと思っているのだが「変える」のは無理だと思っている。かくして今までの書式のまま、何も変わらない日々が続いていく。

●ITでは目の前の課題は解決しない

 「書式の問題」というと、企業人や識者はたいてい「ITを入れたらいい」「出勤簿もシフト表も保育記録も全部タブレットに入れて全員で共有すべき」「いずれAIが」と言う。これは理屈としては全く正しい。

 だが、各園は忙しすぎる。自ら改善案を出す保育士や園長はほとんどいない。そもそも彼らは子どもたちの世話のプロであり、業務の見直しなどは苦手だ(会社員や公務員とは違う)。子供たちに向き合うことが第一優先で「効率改善」や「改革」といった概念自体が浸透していない(病院で「患者の命」が第一優先で効率化は後回しなのと同じだ)。本庁スタッフは一般の公務員なので業務改善に取り組む基礎的能力はあるが、こんどは保育の仕事の内容や保育士たちの心理に精通していない。

 公立保育園といえども「組織」である。企業や本庁で常識的に考えられる業務改善やIT導入といった解決策は有効だ。だが「解決策」はそれを現場で導入する人間がいて初めて機能する。理屈の上では正しくても担い手がいない場合は導入できない。そんな現場にコンサルタントを投入しても現場の保育士たちは本音を明かさない。真の課題の把握すらなかなかできないだろう。

●保育士が主導する書式と手続きの標準化、集約から

 ではどこから始めるのか。筆者は現場の保育士が主導して「書式」を変えるのが近道と考える。現場の意見を聞きながら本庁が書式を統一、簡素化する。例えば「提出用の日誌と保存用の日誌を別々に書く」といった無駄な作業を廃止する。出務票も勤務体系の多様化にあわせて用紙の色を変え、字も見やすくして全園で共通の書式と記載ルールとする。

 勤務時間や経費の集計作業もなるべく本庁に移す。要は各園がバラバラでやっている書式とその記入作業を標準化する。その上で個々の書式の集計作業は本庁が吸い上げて一元的に行う(もちろん外注してもいい)。すると間違いも減り、集計も効率化され、現場の保育士の事務処理の負担は下がるだろう。

●たかが「書式」されど「書式」

 現場改善というと通常の組織の場合、「職員の自主性」「創意工夫」「試行錯誤(いい意味で)」「自らPDCA」といったキーワードが出てくる。また「迷ったら顧客の意見を聞く」「なるべくIT化する」というのが正攻法である。

 だが公立保育園は非営利の専門職で構成される組織だ。私立の保育園とは異なり、経営判断の機能も園長よりも現場から離れた本庁に集約されている。そして目の前にいる顧客は幼児だから改善に向けたあり方や意見を聞くのは難しい。第2の顧客たりうる父母は保育の実態を見ることはできない(できないので預けている)。そもそも待機児童が続出する中、わが子を公立園で受け入れてもらえただけで満足し、感謝する。苦情は言わないし、出てきてもよりよいサービスを求める意見になりがちだ。保育士の人手不足問題や業務改善につながるヒントは少ないだろう。

 こういう場合は、まずは「書式の改善」という一見さ末な小さな事柄から手を付けるのがいい。そこから始め、しだいに園全体の業務プロセスの見直し、人材育成の課題などの大きな本質課題に進んでいくのがいいだろう。そして本庁の決めたルールや制度の問題などにも言及していく。

 なぜなら役所は書類を重視する。だからその「書式」をあえて現場発、各園からの意見で変える。それができると現場は自信をもつ。現場に小さな成功体験を積んでもらい、見直しの成果を毎日感じてもらう。そこから日々の業務に追われながらも、新しい発想や改善活動への理解が始まる。私立とちがって公立保育園は出先機関の位置づけでしかなく、自ら改善、改革できる権限も気風も希薄になりがちだ。だからこそ、IT導入や人事制度の見直しなど”上から”の改革を待たず、現場発で「書式の改善」に取り組んではどうだろう。

 そこから始め、本庁に対し現場の意見をあげていこう。専門職の職員は議論や改善活動には最初は不慣れかもしれない。しかし現場発で「書式」の改善をやり遂げれたら、自信もつくし、本庁ももっと意見を聞いてくれる。多くの市長は現場重視である。現場が声をあげたら反応はいい。現場の専門職場の改革は「たかが書式」「されど書式」から始めることをお勧めしたい。

慶應大学名誉教授、経営コンサルタント

専門は戦略と改革。国交省(旧運輸省)、マッキンゼー(パートナー)を経て米ジョージタウン大学研究教授、慶應大学総合政策学部教授を歴任。平和堂、スターフライヤー等の社外取締役・監査役、北九州市及び京都市顧問を兼務。東京都・大阪府市・愛知県の3都府県顧問や新潟市都市政策研究所長を歴任。著書に『改革力』『大阪維新』『行政評価の時代』等。京大法、米プリンストン大学院修士卒。これまで世界119か国を旅した。大学院大学至善館特命教授。オンラインサロン「街の未来、日本の未来」主宰 https://lounge.dmm.com/detail/1745/。1957年大阪市生まれ。

改革プロの発想&仕事術(企業戦略、社会課題、まちづくり)

税込214円/月初月無料投稿頻度:月1回程度(不定期)

筆者は経営コンサルタント。35年間で100超の企業・政府機関の改革を手掛けた。マッキンゼー時代は大企業の再生・成長戦略・M&A、最近は橋下徹氏や小池百合子氏らのブレーン(大阪府市、東京都、愛知県、新潟市等の特別顧問等)を務めたほか、お寺やNPOの改革を支援(ボランティア)。記事では読者が直面しがちな組織や地域の身近な課題を例に、目の前の現実を変える秘訣や“改革のシェルパ”の日常の仕事と勉強のコツを紹介する。

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