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ドラマ『テセウスの船』 隠されていた真のテーマ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真は復元されたアルゴ船)(写真:ロイター/アフロ)

話題だったドラマ『テセウスの船』が高視聴率で終わった。

やはり真犯人が誰なのか最後までわからなかったのが、高い視聴率につながったのだろう。

『テセウスの船』キャスティングからの推理(犯人ネタバレあり)

意外といえば意外な犯人、ただ、もともと「犯人の可能性のある怪しいリスト」に入っている一人だったから、それなりに納得する真犯人であった。

最終話まで真犯人がわからないドラマの構成は、なかなか難しい。

それまでの伏線だけではなく“最終話で初めて暴露される新事実”によって犯人の動機が語られることが多く、そのため真面目に予想してる人から反感を買いやすいからだ。

かといって前週までの伏線でほぼ犯人が特定できるものなら、みんなにあっさり予想され、予想通りでつまらないと落胆されてしまう。

刹那的な見方をする人の声がとても大きく反響するのが、SNSに取り囲まれたテレビ評判の現状である。

なかなかむずかしい。

「多くの登場人物が怪しいまま」で最終話まで運び、そして「意外ではあるが、納得できる人物」を犯人に指名しないといけない。

なかなかむずかしい。

『テセウスの船』は、少なくとも“轟々たる非難”を浴びてない、というところから判断して、そこそこ納得されたということであろう(視聴者の誰ひとり不満を持たないドラマは存在しないので、“轟々たる”非難を浴びなければ、成功と判断していいと私はおもう)。

「意外性」のひとつはキャスティングにあった。(以下、真犯人ネタバレです)。

「怪しい」と並べられた人たちはだいたい一癖も二癖もある名バイプレイヤーが多く、そのなかに真犯人がいるだろうと予想されたが、実際は演技歴のもっとも浅いお笑い芸人が真犯人役を演じたのだ(“霜降り明星”のせいや)。

その意外性である。

これだけ注目を集めたドラマのラストを、あまり演技慣れしてるとはいえない若い芸人に任せるという、その冒険心に驚かされたのだ。

ある種、毒気を抜かれたというか、真犯人の告白のシーンは、緊迫したシーンではありながら、どこか冷静に見てしまう部分があった。(せいやの前髪を引っ張らないでーという反応が自然に出たあたりがそれを反映している)

まさか芸人が犯人じゃないだろうと、ちょっと高をくくっていたのだ(今野浩喜はもう役者である)。

ストーリーとは別にキャスティングから犯人を推理するというのが、いまどきのひとつの主流であり、それを逆手にとったところが、したたかな展開だったようにおもう。

今回もまた日曜劇場の定番“逆転劇”だった

またこの結末は、ある種、「べつだん、真犯人は誰だっていいじゃん」というようなメッセージにも受け取れた。

真犯人がわからないという部分で、最後まで引っ張られたが、でも見終わったあとに感じるのは「犯人が誰であっても、とにかく見つかったよかった」という感情だった。

「意外な犯人でびっくりだったでしょう」がメインテーマのドラマではなかったということだ。そこがよかった。

日曜劇場は、いまやベタな逆転のドラマの枠として定着している。4月から続編の始まる『半沢直樹』がもっともわかりやすい成功例であり、逆境に落ちた主人公が尋常ならざる努力をかさね、そこから復活するという物語を見せてくれている。

ミステリー(&タイムスリップ)ものであった『テセウスの船』も同じだった。

大量殺人および冤罪という犯罪ドラマでもあったが、真のテーマは別のところにあった。

それは「不当に壊された家族の復活」である。

ごくふつうの明るい一家の家庭が、悪意によって壊された。

これを「時を遡って」主人公が、逆転させるのである。

もとのふつうの家族を復活させる。

時を遡ってまで、逆転劇を見せてくれるのが、かえって凄いとおもった。タイムスリップは意志的には行われないが(自然現象に巻き込まれるように起こっていた)、それに乗っかって「逆転」を見せようという心持ちが、かえって共感を得ていたとおもう。

どうやら「不当におとしめられた者が、悪を打ち倒して、ふたたび浮上する物語」が、いまとても熱く支持されているようだ。

「本来いるべき正しいポジション」が想定され、それはだいたいふつうの生活なのだが、そこへ復元することがとても大事だと考えられている。

悪(ないしそれに類する敵)を打ち負かして、その地位に戻ることが大事なのだ。

それがSNS時代の強い要請なのだろう。

みんな「正しい位置への復元」に執着があるように見える。これはこれで不思議な時代の不思議な意志である。でも意志として存在しているのだから応えないといけない。

復活・逆襲劇がきちんと描かれていれば、真犯人が誰なのかはさほど重要ではなかったということではないだろうか。

若い父母に会えるという羨ましくあたたかい描写

『テセウスの船』は「家族をもとに戻す」というテーマのドラマだった。

そのため、事件前の家族は仲が良く、いつも楽しそうに描かれていた。

「父を憎んでいた息子」は30年前にタイムスリップし、若い父と母に邂逅する。

タイムスリップを繰り返すこともふくめ、かなり無理のある設定ながら、でも飽きずにずっと見続けたのは、この家族のつながりを丁寧に描いていたからである。

魅力ある映像を成り立たせていたのは役者の力量である。

竹内涼真を始め、鈴木亮平、榮倉奈々、そして幼い姉兄を演じていた子役の魅力によるものである。(特に小学生時代の姉を演じていた白鳥玉季ちゃんは回を追うごとにその存在感をどんどん増していって、目が離せなくなった)。

「絶対に事件を起こさせない」という主人公の頑張りは、タイムスリップをしたことがない者にとってなかなか共感しにくいけれど、「家族をばらばらにしない」というおもいはすんなり受け入れられる。

3話で、若き父に向かって、「おれはあなたの息子だから」と感情を込めて語るシーンには、なぜか胸を打たれた。現実に起こるはずがないシーンであるとか、そういうことを越えて、家族をおもう気持ちに共感してしまう。

また4話から6話、「もともといた世界とは違う現代」に戻ってきた主人公は、ここで「もとの世界の妻・上野樹里」と出会う。

最初はぎこちないやりとりだったが、やがて「もともとはつながっている二人」という部分が描かれる。

「大事な人とは世界が違っていても、やはり惹かれ会う」という物語が展開して、これはこれでとても素敵だった。上野樹里の魅力が大きいとおもう。

4話の最後、被害者の会に出向いて、演説をするが水をかけられ、「めっちゃー怒られちゃったー」と明るく出て来る彼女は最高だった。

もとの世界では結婚していたという話を、彼女はストレートに信じる。そのシーンを見ても、泣けてきた。なんでそんな無茶な展開に胸をつかまれるのか不思議なのだが、でもこういうシーンで見てる者の心を鷲づかみにするのが、このドラマの魅力の核心だったとおもう。

過去編での若き父・母・姉との交流、およびパラレル現代篇のもと妻との交流。ここに心打たれるからこそ「逆転劇」としての結末が効いてくるのである。

笹野高史の校長が見せた「不気味さ」とテーマへの篤実さ(再びネタバレ)

犯人は誰なのか、という部分で、最終話まで怪しかった一人に校長先生(笹野高史)がいた。

「1989年の採用面接のときに、森昌子やピンクレディの話をする」というのが、かなり怪しかった。

ものすごく細かいことながら言っておくと、校長の息子は「昭和33年生まれ」という設定で、私と同じなのだが、申し訳ないが、マサコちゃんが好きだ、という同級生を私はただの一人も知らない。かなり無茶苦茶な設定、もしくは校長の嘘だとおもった。ふつうは山口百恵ちゃんか桜田淳子ちゃんの二択であり、広げてもキャンディーズのラン・スー・ミキや麻丘めぐみ、浅田美代子であって、いやいやいや、マサコちゃん好きってのは(大変、申し訳ないのだが)私の知る世界ではついぞ会ったことはなかった。だからこそ校長のトラップに見えて不気味だった。また、ピンクレディは出現したのはその3年ほどあとなので、この人たちと並べて比べる対象ではない。昭和33年生まれなら、即座にそういう反応を示せるはずである。そういう意図を持った発言に見えて怖かった。

怪しい校長は、最終話でもかなり怪しい行動を見せて、ひょっとして真犯人なのかとおもわせたが(それだとベタだなとおもった)、じつは「疎遠になっていた息子に会いに行っていた」とあとからわかる。息子との仲が戻るというあったかい話になっていた。怪しい行動かとおもいきや、ドラマの主題である「家族との復活」につながっていたのだ。これはこれですてきだなとおもった。これは犯人当てのドラマではない、という小さい主張でもあった。

『テセウスの船』は家族のドラマであり、それでいて「劇的な復活をなしとげる」というドラマだった。

それに「真犯人を最後まで明かさない」という要素が加えられたのである。

「本来いるべき正しいポジション」を求める21世紀人をとても満足させてくれるドラマに仕上がっていたようだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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