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「托卵」ドラマ『わたしの宝物』が地獄に突き進んでいる理由

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Keizo Mori/アフロ)

※ドラマ『わたしの宝物』のネタバレしています。

『わたしの宝物』第6話の急展開

『わたしの宝物』が佳境である。

夫(田中圭)ではない男性(深澤辰哉)の子を産んだヒロイン(松本若菜)。

その事実を知った夫は、6話では幼な子を抱いたまま、海に入ろうとする。

まだ6話なんだから、ほんとに入水なんてない、とわかっていながら、おもわず、いや、だめだよ、とテレビの前でつぶやいてしまうシーンであった。六ヶ月の幼な子と一緒に入水してはだめです。

卵を託された親が自分の子ではないと気がつく

ヒロインは、夫には黙ったままで、つまり騙したままで、娘を夫婦の子として育てようとしていた。

「托卵」という文字が画面に躍り、「自分の子ではないと知らずに育てる親鳥」というイメージを強く与えていた。

托卵のドラマ。

でも、夫は自分の子ではないと知った。

知らずに育てる、という物語ではなくなった。

托卵ドラマではなくなったのかとおもったが、どうやらそうではないらしい。

じつは托卵について深く描いたドラマ

托卵は、たとえばカッコウが、モズの巣に自分の卵を預けることによって行われている。

親モズは、卵から孵った雛がカッコウだとはおもわずに育ててしまう。

ときにカッコウの雛は、本来の子であるモズの雛を次々と排除して(つまり殺して)親モズに自分の子はこの子だけだと信じ込ませて育てさせることもあるらしい。

ある程度、育つと、あきらかに自分の子ではない(つまりモズではない)と気づきそうなものだが、それでもモズは育てるらしい。

ドラマでも夫は、自分の子ではないとわかった「妻が托卵している娘」を見捨てようとはしない。

やはり育てようとする。

そういう意味で、「托卵」についても、深く描いたドラマだと言える。

テロで死んでなくて拍子抜け

第一話では、ヒロインと夫は、ギスギスした関係であった。夫婦である理由がわからないくらい仲が悪かった。

そんなおり、ヒロインは幼馴染みと再会して、関係を持ってしまう。

そして妊娠する。

でも、幼馴染みはテロに遭って、海外で死んだというニュースが流れる。

衝撃の第一話であった。

でも、彼は死んでいなかった。

別の人間と間違えられていたのだ。

無事に日本に帰ってきたのを見て、二人はまた偶然再会する。

正直なところ、(生きてるのか…)と拍子抜けの展開であった。

『おかえりモネ』では裏切らなかった親友なのに

子が産まれたのがきっかけで夫の態度が変わり、夫婦は愛情深い関係へと戻る。

この展開が、かえって緊迫をもたらす。

妻は秘密を抱えていることが苦しくなる。

そして、妻の親友(恒松祐里)が、その子はあなたの子ではないと、夫(田中圭)に告げてしまう。

かなり力ワザの展開である。彼女の言動の意味がわからない。

妻の親友(恒松祐里)は夫(田中圭)のことを「私の推し」と軽い感じで好意を抱いたが、そのレベルの関係なのに「正義感により」いきなり激化して、暴露したのだ。

「宏樹さんがかわいそうだから」と言っていたが、そんな理由でよその(しかも親友の)家庭を破壊していいわけではない。

ちょっと無理めの展開であった。

『おかえりモネ』ではあんなにモネを裏切らない親友だったのに、恒松祐里もどうしちゃったんだろう、とおもったところでどうしようもない。

大事なところでウソをついてはいけない

ただ、「彼女さえ黙っていればよかったのに」といったところで、どうしようもないのが、このドラマの業の深さである。

彼女が黙っていたとしても、どこかでバレてしまう可能性はあるわけで、それはどうするつもりだったのだ、という部分は解決されない。

ヒロインが地獄までウソを抱えていく覚悟だったとしても、娘が人生のどこかで何かに気づいて(とてもありそうだ)、本当の父親は誰なのかと問いただしたとき、どう答えればいいのか、わからない。

自分の信念と、娘の強い問いかけと、どちらを大事にすればいいのかむずかしい。

大切なところでウソをつくと、あとあと人生はとても大変なことになる、ということでしかない。

「そいつと育てればよかったじゃん」

6話では、夫は無理心中をおもいとどまり、家に戻る。

そして、彼女に質問する。

相手は誰なのか。つまりこの子の本当の父親は誰なのか。

見ていて息が詰まるシーンであった。

なんて答えるのかと固唾をのんでみていると、妻は答えなかった。無言のままであった。

夫は我慢できなくなる。

「なんでおれの子ってウソついたの? そいつと育てればよかったじゃん…」

そして「頼む、出ていってくれ」と妻を突き放す。

娘はどうするのかと聞く妻に「父親はおれだ、娘と離れるくらいなら一緒に死ぬ」と強く言い切る。

このあとどう展開するのか

6話で家族解散となった。

この先どうなるのか。

いちばん幸せな終わり方はと考えてみるが、わからない。

いろいろあったけれど、でも、夫も妻も納得して、子供には黙ったまま、もとのさやにおさまって一緒に暮らす、というのがいっとうよさそうだが、解散した家族がそうなるとはおもえない。

血の繋がらない家族を形成するのか

夫は、血が繋がっていなかろうと、托卵された親モズのように、きちんと育て上げる、と決意している。

妻をきちんと排除して、父と子で生きていくのがよいのか。

ひょっとして、別の相手と再婚して、誰も血の繋がっていない親子関係をつづけるつもりになるのか。

血の繋がりが大事にされるのか

もしくは、妻が娘を取り返し、夫を排除して、血の繋がった母と娘が一緒に暮らすという展開になるのか。

そこに真の父が加わって、血の繋がった家族で暮らすという展開になるのか。

どちらも考えにくい。

ドラマになっていない。

さらに悲しい地獄の結末

残る組み合わせで考えられるのがあと2つ。

ひとつは、夫も妻も、そして子も、三人とも離れ離れになる、という展開だ。

とても悲しい。

もうひとつは、夫と妻だけ元に戻って、子が離れてしまうという場合も考えられる。

生きて離れるということもあるが、そうではない場合もある。

さらに悲しい展開である。

場合の数を数えてみても、なかなか幸せな未来が見えてこない。

ひょっとして、地獄を経て、さらに地獄に突き進むつもりなのか、と戦慄してしまう。

それでも幸せを求めるには

そしてこのドラマは、「それでも幸せを求める」というのがテーマになっているようにおもう。

なかなかつらそうである。

しばらく地獄に付き合って見届けるしかない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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