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よみがえる「1965年国会論争」の教訓(前編): 円安地獄を招いた国債の大量発行は終わるのか?

山田順作家、ジャーナリスト
木村禧八郎vs.福田赳夫(出典、左:『わが青年時代』、右:首相官邸HP)

■注目される「国債買い入れ減額」の程度

 もはや誰もが、いまの超円安の原因が、国債の大量発行によって円の価値が毀損されてしまったことにあるのを疑わないだろう。現在の日本は、政府債務残高の対GDP比で世界第2位を独走しており、かつてのGDP世界第2位の経済大国の面影すらない。

 ここまで、政府債務が巨大だと、それが市場を圧迫するため、経済成長など望むべくもない。結果として、超円安によるスタグフレーションが進んでいる。

 そこで問題となるのが、7月30日、31日の日銀の金融政策決定会合である。ここで、はたしてどのくらいの規模と道筋で、国債の買い入れの減額が決まるのか? 国民一人一人から、市場関係者、投機筋までが、大いに注目している。

■財政ファイナンスを続ければ国民生活が破綻

 日銀は、前回の会合で減額方針を決め、次回にその具体策を発表すると表明した。そのため、金融機関にヒアリングを行い、その結果を7月9日に公開した。

 「2~3兆円程度までの減額が望ましい」「5兆円程度までの減額をいったん行うべき」「減額の額より買い入れゼロまでの道筋を示すことが重要」など、さまざまな意見が出たので、現時点で減額がどうなるか予測するのは難しい。ただ、少額では円安は止まらず、財務省・日銀が11、12日に行った5兆円規模の介入効果は吹き飛ぶだろう。

 いずれにしても、もうこれ以上、日銀が事実上の財政ファイナンス(国債の直接買い取り)を続けることはできない。インフレが止まらなくなり、国民生活が破綻してしまうからだ。

 それがわかっていて、なぜ、政府は国債の大量発行を続けてきたのか? ここからは、その原点となった「1965年国会論争」を振り返ってみたい。

■東京オリンピック後の反動不況対策

 日本政府が、戦後初めて国債発行に踏み切ったのは1965年のことである。1965年といえば、東京オリンピックの翌年。この年まで、日本の財政は、税収で歳出をまかなうという「健全財政」だった。

 ところが、オリンピック後に来た「反動不況」で、税収が足りなくなり、国債を一時的にでも発行しようという話になった。これは、憲法にも財政法にも違反しているのだが、1年限りで発行を認める「特例公債法案」という特別措置法案(特措法)をつくって決議してしまったのである。

 当時の首相は、佐藤榮作。佐藤首相は、当初、1968年度までは国債を発行しないと言明していた。しかし、予算立案に入ったところで、一転して国債発行を認めてしまった。というのは、不況が続くことを予想以上に恐れたからだと思われる。実際、この年の3月には、山陽特殊製鋼が、当時、戦後最大とされた500億円の負債を残して倒産。5月には、山一證券が事実上の倒産ともいえる再建計画を発表していたからだ。

■現在の日本へ警告に満ちた質疑応答  

 国債発行は、財政政策の一環として、1930年代の世界恐慌時に各国が取った手段である。だから、不況対策として金融政策が効かなくなった場合、取るべき一つのオプションと言える。

 しかし、日本では戦後のハイパーインフレと預金封鎖の教訓から、歳入の範囲で歳出をまかなうという「財政均衡主義」が取られてきた。もちろん、アメリカからの厳しい要求があったからでもあるが、もう2度と戦後期の苦難を味わいたくないという政治家たちの決意もあった。

 しかし、この禁を政府と与党政治家たちが率先して破ってしまったのだ。当時の大蔵大臣(現・財務大臣)は、福田赳夫。福田赳夫に、国債発行をめぐって論戦を挑み、政府を批判したのが社会党の参議院議員、木村禧八郎だった。木村議員は、1965年(昭和40年)12月25日の参議院予算委員会で質問に立って、福田大臣を追及した。

 このときの「木村vs.福田」の質疑応答(1965年国会論争)は、いま振り返ると、現在の日本への警告に満ちている。

■歴史の教訓を学ばなくなった日本人

 いまとなっては、1965年当時のことを言う人間はほとんどいなくなった。禁じられた赤字国債がなぜ発行されたのか?を問題にする人間もいなくなった。なにしろ、半世紀以上も前の出来事なので、政治家も官僚も、そしてメディアも忘れてしまっている。  

 都合の悪いことは率先して忘れてしまう。そればかりか、「政府の債務は国民の資産」「国債は償還しなくてもかまわない」というありえない理屈まで持ち出して、自己正当化する。そんな政治家が多くなった。

 これは、日本人の一種の特性なのだろうか? 楽天的(ノー天気)と言えばそれまでだが、この特性によって、私たち日本人がほとんど歴史の教訓に学ぼうとしないのは、大きな問題だろう。その結果、政治はいつも場当たり主義になり、アベノミクスのような一時しのぎの愚策が行われてきた。

 では、1965年の国債発行をめぐる質疑・応答はどんなものだったのか?「参議院予算委員会会議議事録 第20号全文」から抜粋して紹介したい。(注:読みやすいように、資料の原文から一部表記を変えてあります)

■2590億円の歳入欠陥を補てんする赤字国債

 木村禧八郎(社会党) 「私の質問に入る前に、委員長に要求いたしたい点があります。それはこの本予算案の提出の形式、手続に不備があるということです。したがって委員長からまず政府に、正式な手続、形式を整えた後、予算を提出するように注意をうながしていただきたい。

 具体的に申しますと、2590億円の歳入欠陥を補てんする、そのための赤字公債の発行の問題がこの予算委員会でいちばん大きな問題であると思います。この赤字公債は、政府がやはり今国会に提出しております特例法に基づいて提出しているわけで、この特例法によりますと、償還計画を政府が出さなければならないことになっています。

 つまり、この特例法の第2条の第2項によりますと、『政府、前項の議決を経ようとするときは、同項の公債の償還の計画を国会に提出しなければならない』となっております。

 ところが、赤字公債の償還計画は出ておりません。償還計画を政府が出すように、至急出すように、要求します。そうしてその提出が行なわれましたならば、ただちに審議に入ると思います。

 われわれは、この財政法、あるいは憲法で定められた財政予算の制度、いわゆる民主主義的な制度というものを、またその手続を無視して審議するわけにいかないのです。最近ややもすれば財政の民主主義の原則、手続が無視される傾向にあります。そういうことはこの予算案の提出にあたりまして、重大な手続の不備であると思います。委員長からいつまでにこの償還計画を出されるのか、要求をしていただきたいと思います」

■たった1行の表による国債償還計画

 委員長(平島敏夫)「ただいまの木村君の御意見に対して、政府当局からの御意見を伺います」  

 大蔵大臣(福田赳夫)「公債を発行するにあたって、償還計画を明らかにすることは、お話のとおり財政法に決められております。そこで、この予算書の55ページをごらん願いたいと思います。そこに償還計画というものを添付いたしております。実際上の償還に関しましては2590億円という臨時的な、またそう多額なものではないので、重要視していませんが、形式は、御説のとおりのものを整えてあります。ごらん願いたいと思います。

 木村禧八郎(社会党) 「私も、第3次の昭和40年度一般会計補正予算の中に参照添付があり、その中で、昭和40年度に予定する公債の償還計画表というのが出ていることくらい承知しております。しかし、これはたった1行の表でありまして、昭和47年度に2590億ですね、この償還する額がただ掲げてあるだけであります。これがいったい償還計画と言えますか。

 財政法4条によりますと、公共事業費その他財政法4条で認められている公債を発行するときには、その償還計画を定めて国会の承認を得なければならないということになっております。で、今回のこの赤字公債は、財政法4条にいうところの公共事業費のための公債発行ではないわけです。したがって41年度からの財政法4条に基づく公債の償還、こういうものを出して国会に承認を得なければなりません。今回の場合は特例措置ですね。

 特例措置、すなわち赤字公債の発行についての公債の償還計画です。そこでこの特例法を設けて、それで赤字公債が発行できるようにするわけでありますが、その特例法にもちゃんと、この財政法4条にのっとって、赤字公債についても2590億の償還計画を国会に出して承認を求めなければならないということになっているわけですよ。

 特例法が仮にとおっても、これは違反ですよ。至急政府が償還計画を出せばここでいわゆる形式、手続としては財政法に違反しないことになりますから、私はただちに本論の質疑に入るにやぶさかではございません。けじめははっきりすべきですから」(引用終わり)                      

■「財政法第4条」はなにを禁止しているのか?

 ここでいったん引用を終え、ここまでのポイントをまとめると、まず木村禧八郎議員は、そもそも歳入欠陥が生じたときに、国債でまかなうという「赤字国債」は財政法4条の規定に違反していると主張している。そうして、今回だけは特別なので、償還計画をはっきり示すべきだと言っている。

 では、財政法の第4条には、なにが書かれているのだろうか?

≪ 第4条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。 2 前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。 3 第1項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。≫

 木村議員は、この財政法の規定堅持を主張したうえで、さらに、福田蔵相の言う「建設国債」は、「赤字国債」と呼ばねばならないと強調しているのである。

■「借換債」発行と予算案との一体化で泥沼に!

 財政法はいまも歴然と生きている。にもかかわらず、毎年、莫大な額の赤字国債が発行され続けているのはなぜなのだろうか?

 それは、毎年のように「特例公債法案」が国会で決議されてきたからだ。しかも1975年度からは、建設国債という縛りが取り払われたので、財政均衡主義は完全に消し飛んでしまった。

 そして、1985年度からは、なんと、償還期限を迎えた国債の償還を先送りするために「借換債」まで発行されることになった。これは、事実上の“踏み倒し”である。

 さらに、2012年には、毎年「特例公債法案」を決議しなくても、予算案の中に国債発行を組み込むだけで自動的に発行できる特措法をつくってしまった。この国では、特措法さえつくれば、これまでの法も法の精神も、憲法さえも無視できるのだ。

 赤字国債発行を巡る「1965年国会論争」(福田赳夫・大蔵大臣vs.木村禧八郎・参議院議員)は、この後、ハイライトを向かえる。それは、本記事の「後編」で紹介したい。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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