「そこまでやる必要があるんですか?」と言う新入社員に上司はどんな図で説明したか?
■「そこまでやるんですか?」と言う新人に驚く上司
「もっと努力してくれないとダメだろ」
「え? そこまでやる必要あるんですか?」
上司が部下の成長を考えて叱咤激励していると、こんなことを言われることがある。
前よりもこんなに頑張ってるのに、そんな言い方ないですよ
と反論されても、「キミこそ、そんな言い方はないだろ」と上司は突っ込みたくなるだろう。
部下の成長を願っている。本人も「ありがとうございます。頑張ります」と意気揚々だ。なのに、それぞれの思惑通りにはいかない。なぜなのか?
今回は、「そこまでやる必要があるんですか?」と言う部下に納得してもらうための図を紹介しながら、なぜ双方の認識のズレが生じてしまうのか。解説していく。
特にZ世代の部下を持つ組織マネジャーには、ぜひ最後まで読んでいただきたい。
■上司には2つの基準がある
そもそもなぜ、それほど上司と部下とでは認識のズレが出てしまうのか?
以下の図をみてもらいたい。上司には、大きく分けると2つの基準がある。
・期待する基準
・あたりまえの基準
期待する基準とは、始業時間の30分ぐらい前から今日の仕事の準備にとりかかる……というようなものだ。言葉にしないが、それぐらいしないと成長できないぞ、と上司は考えている。
あたりまえの基準とは、まさに始業時間に間に合うよう会社に来ることだ。あたりまえのことだから、期待もしない。
資料作成を例に挙げよう。
・期待する基準 → 上司が期待したどおりの資料を作成する
・あたりまえの基準 → 上司が指示したことだけを反映した資料を作成する
営業活動を例に挙げよう。
・期待する基準 → お客様の課題発見のための準備をしっかりして商談に臨む
・あたりまえの基準 → お客様に求められたことだけ準備して商談に臨む
これだけの例を読めば、誰もがわかるはずだ。その「あたりまえの基準」を下回る新入社員など、いるはずがないだろう、と。いや、そんなことはないのだ。
■なぜ上司は失望するのか?
もう少し抽象度が高いことを考えてみたい。
たとえば能力開発である。
・期待する基準 → 主体的に足りないスキルを身につけようとする
・あたりまえの基準 → 会社の研修を受けてスキルを身につけようとする
どうだろう? 上司としては普通の感覚ではないか。しかしながら、課題図書を読まない。業界紙に目を通そうとしない。わからないことを上司に質問しようとしない。そんな態度を見ると、
「もっと努力しなよ」
「積極的に自己研鑽しないと、いつまで経っても成長しないぞ」
と言いたくなる。すると部下は反省し、
「もっと頑張ります!」
と答えるのだが、それが「あたりまえの基準」を下回っていると、上司は失望する。下の図を見てもらいたい。
部下は「過去よりは努力」しているかもしれないが、上司の基準には届いていない。当然、上司はその低すぎる「頑張る基準」にあきれてしまう。
下の図を見てもらいたい。だから「もっと頑張れ!」と言いたくなる。すると、どうなるか?
厳しく言ったつもりはないのに、部下は「頑張ろうとしている自分」を承認してくれないから、
「そこまでやる必要があるんですか?」
と聞いてしまうのだ。この発言に上司は驚き、
「最近の若い子は、よくわからん」
と思い込んでしまう。こうして人間不信ならぬ、「若い子不信」に陥ってしまうのである。
■「ダメ出し」を繰り返して上司の基準を気づかせようとすべきでない
では、どうしたらよかったのか?
認識のズレがなくなるように、最初から「基準」を合わせておくのだ。上司としては、
「そこまでやる必要があるんですか?」
と言いたくなるかもしれない。普通の感覚であれば、
「それぐらい失敗を繰り返しながら、自分で察してほしい」
と思うだろう。だが、そういうものなのだ。根気よく、部下と認識合わせを繰り返すことが重要だ。
「5キロ走ればいいか」
と部下が思っていたら、
「それじゃあ足りない」
と上司から指摘されたので
「だったら10キロ走ります! 頑張ります!」
と言ってみたら、
「全然足りない。もっと頑張れ!」
とまた上司に言われたようなものだ。部下は意識が低いわけではない。それなら最初から
「20キロ走ってくれ」
と上司に言ってほしいのである。ダメ出しを繰り返して、上司の基準に気づかせるようなことはやめるべきだ。時代遅れなのだ。
「当事者意識が足りない」
「主体性に欠ける」
「危機感がない」
と愚痴る上司は多い。しかし、そんな不満を口にするぐらいなら、どうなったら上司の「期待する基準」「あたりまえの基準」を超えるのか。言語化すべきだ。
今の時代、そこまでやる必要があるのだ。
<参考記事>