「大阪維新の会」、できてから10年
私はずっと東京&米国暮らしでしたが、ずっと郷里・大阪の衰退ぶりに心を痛めていました。2003年から大阪市大大学院(創造都市研究科)で教えることになり、やがて大阪市役所、大阪府庁の特別顧問として改革に関わり始めました。マッキンゼーで培った大企業の経営分析や改革参謀のノウハウが役に立ったのです。創業期の「大阪維新の会」でも政策特別顧問として政策づくりを手伝いました。最近、10年を迎えた「大阪維新の会」について毎日新聞から取材を受けました。掲載頂いたインタビュー記事をもとに10年を振り返ってみました。
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維新誕生前の大阪市役所は、市職員の労働組合に支えられて市長が当選し、既得権益を守る市議会となれ合いの政治を続けていました。ひたすら悪化する財政状況に対しても打ち手はひたすら節約だけという状況でした。お金がないので交通インフラの刷新や教育への投資もできません。大阪府も同じく財政危機は変わらぬ惨状でした。大阪全体を変えるには、政治、特に大阪市役所を根本から変える必要があると多くの人が考えていました。
そんな中、08年に橋下さんが知事になり、状況が一変し始めます。さらに大阪都構想を旗印に地域主権を掲げる「大阪維新の会」が2010年に結成されました。中央政党の出先の各政党から構成されるこれまでの地方議会ではダメだ。既得権の打破や大胆な予算の組み替えをやるには中央政治のしがらみにとらわれない新党が必要という発想でした。それから10年、維新は既得権益向けの事業を引きはがし、遅れていたモノレール延伸、淀川左岸線の建設、教育、医療など次世代向けの事業に予算を振り向け、さらに関西空港を再生させ、万博を誘致するなど全国に例のない大改革をやり続けてきました(詳細は拙著「検証大阪の維新改革」(ぎょうせい)等を参照)。
維新はしばしば成長主義、新自由主義と批判されます。しかしそれは最近までの大阪がジリ貧だったからです。大都市はインフラや教育など将来への投資をしなければすぐに衰退します。企業も市民も食べていけません。維新改革では都市再生の原資を役所の徹底した経営改革や企業との連携で捻出してきました。
維新は自民党とイデオロギーが同じと揶揄されることもあります。しかし、そもそも維新は自民党の府議らが離党して作ったのです。維新のほうが、自民の保守本流を受け継いでいると思います。自民党が旧世代守旧派と新世代改革派の維新に分裂したともいえるでしょう。
維新は2011年以来、大阪府知事と大阪市長の両ポストを守り続けています。成し遂げた政策で画期的なのは府議会の議員定数2割削減と市営地下鉄の民営化でしょう。そして11月には府市統合の住民投票、都構想への二度目の挑戦です(都構想については「おおさか未来ラボ」 http://osakamirai.com がおすすめ)。
大阪都構想や地域政党結成は、自民府議だった浅田均氏(現参院議員)の持論でした。やがて2010年、知事だった橋下徹氏をトップに大阪維新の会が誕生しました。2011年春の議会選挙で大勝し、さらに秋の知事、大阪市長のダブル選などを経てしだいに官僚機構を動かす力を得ていきます/
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