気象予報士制度は必要か?「予報士1万人」時代の気象業界を考える(3)
■ その天気予報、誰が発表したもの?
読者の皆さんは、普段、天気予報をどんな方法で入手しているだろうか。気象庁が2015年に実施したアンケート調査では、天気予報を見聞きする手段として、「テレビ」が約79%、「パソコン」が約63%、「携帯電話(スマートフォン等を含む)」が約36%、との回答が得られている。さらに、20代や30代の人の回答では、携帯電話との回答が50~60%程度と高くなっており、スマホなどの携帯端末などを通じてインターネット上から天気予報を入手している人が増加しているのだ。
しかし、そのインターネット上の天気予報、いったい誰が予報している内容なのかご存じだろうか。気象庁?予報業務許可を取得した気象会社?それとも…?
■ 気象情報もインターネット上に「氾濫」している
気象予報士制度が出来た20年以上には、インターネットもまだ一般的ではなかった。しかし今では、情報は国境を越えて大量に流れ込み、個人が広く情報を発信できる時代に変わっている。当然ながら気象の情報もそうなのだ。ホームページやSNSなどを通じて、さまざまな気象情報がすでにインターネット上には「氾濫」している。
テレビ・ラジオといったメディアだけでなく、インターネットが情報の発信・入手に非常に大きな役割を果たすようになった現代において、「情報」の流れはボーダーレスだ。そもそも天気の現象自体がボーダーレスで、「大気に国境はない」という言葉があるくらいなのだ。国境を越えて空気は移動し、雲は流れてくるのである。日本国内の天気予報をしようとすれは隣国どころか全世界の気象観測データをもとに、スーパーコンピュータで計算(数値予報)をするのであって、国境線を引くことがナンセンスなのかもしれない。諸外国の気象機関や気象会社においても、日本国内の気象予測値は日々計算されているのである。
すると、外国の気象会社が発表した日本国内の予報が、日本国内でもインターネット上で広く目に触れるということも起こる。日本には外国から大勢の観光客やビジネスマンが訪れており、例えば、そうした人向けに他国の気象会社が日本各地の天気予報をするのは自然な流れだと思うし、日本でも利用できる検索サイトのオフィシャルな天気予報(日本国内の予報を含む)が外国発、ということもすでに起こっているのである。
前々回にも述べたように、日本国内において、気象庁発表の予報ではなく、独自に天気予報を発表するためには、気象庁に予報業務の許可を得なければならない。その際の技術的な担保とされるのが気象予報士制度だ。ところが、こうした外国発の予報をインターネット上で容易に見られるようになった現代では、その全てをしっかりと取り締まるのは現実的ではないし、不可能だろう。そうであれば、日本国内での独自予報許可制度や、それに必要な資格としての気象予報士制度は、事実上破綻しつつあるのではないかとも感じられる。
■ 「正直者」の気象会社が損をする?
極端な話、こんな業態はどうだろうか。日本人が外国に会社を設立して、ホームページを開設し、情報を全世界へ発信できる体制を整える。そして、日本のユーザーを主なターゲットとして、「気象庁の許可を得ずに」ホームページ上で天気予報を発表する。こうした事態が起こった場合、日本の気象庁としては現実的にどこまで対処できるのだろう。当然ながら、そのホームページは日本国内でも閲覧することができる。独自予報許可を得ていないため法律に違反することになるのだろうか。違法である場合、はたしてしっかりと取り締まれるのだろうか。
日本国内で必要な人員・設備を用意して、大変な手続きをしたうえでようやく予報業務許可事業者となった「正直者」の気象会社からすれば、こうした会社は厳格に取り締まってもらいたいと思うのだろうが、海外の会社であることもあり、実際にはかなり厳しいのではないかと感じる。こと情報に関して、ボーダーレスな現代社会では、完全に取り締まるのは非常に難しいと感じざるを得ない。
もちろん、そもそもそんな企業の予報が「当たるのか」という問題はあるが、万が一、仮に「安価だ」などという理由でそうした企業が発表する予報が大手検索サイトやスマホアプリ用の天気予報として採用されてしまったら、非常に多くの人の目にする所となり、利用されてしまうだろう。また、これまでに述べたように、外国の気象会社が「悪意なく」日本国内の予報も発表しており、すでに日本人にも広く使われてしまっていることが考えられるのだ。
しかも、そもそも良い予報・悪い予報を私たちがすぐに分かるだろうか。当たるかどうかといった予報の「質」の良し悪しはパッと見では分からないかもしれない。悪い予報が淘汰されるのは、そう簡単なことではないようにも感じる。
■ 「予報」と「解説」の境界線の曖昧さ
さらに「予報」とはそもそも何なのか、という問題もある。
テレビの気象解説コーナーは大勢の方がご覧になっていると思うが、「天気予報」と「天気解説」の違いは分かるだろうか。
簡単に言えば、「予報」は天気・気温など各種の気象状況が具体的にどのようになるのか推定することだ。「解説」はなぜそうなるのかのプロセスやメカニズムなどをわかりやすく説明することである。「あすは晴れるでしょう」は予報、「あすは高気圧に覆われるため、晴れるという予報なのです」というのが解説となる。
しかし、日々気象解説を行っている身として強く感じるのだが、基本的に、予報と解説は不可分のものだと思う。その境界線は非常に曖昧だ。
なぜなら、同じ晴天を伝えるのでも「薄雲が出やすい」や「カラッとした晴れの天気だ」、「秋の空だ」などと伝えるのは「予報」なのだろうか、「解説」なのだろうか。気象庁などの予報だけでは伝えられない「ニュアンス」の部分をわかりやすく話し、視聴者に役立ててもらう、という解釈なら「解説」だろうが、予報では言われていないことを言う以上それは厳密には「予報」だという解釈もできるだろう。
さらに、そもそも利用者は、伝えられる情報がはたして「予報」なのか「解説」なのか厳密に分けて受け止めてはおらず、まとめて「天気予報」「気象情報」として受け止めているのだろう、と思う。その境界線は非常に引きにくい。いや、根本的に、引けないのかもしれない。
■ コンピュータの計算結果を伝える場合は?
もっとややこしい例が、コンピュータによる計算結果を報じる場合だ。
現代の天気予報はスーパーコンピュータによるシミュレーション(数値予報)をベースに、人間である予報官・気象予報士などが妥当性などを検討して、予報として発表するのが主流である。テレビなどでよく見る地図上に表示された「雨雲の予想」「風の予想」などはこの数値予報そのものである場合が多い。何種類もの数値予報を見比べたり、資料から気象状況を読み取ったりして、気象技術者は日々、天気予報を検討・発表しているのだ。
こうした「数値予報」の結果をテレビの放送やインターネットなどで伝えるのは、「予報」なのだろうか。気象庁のスパコンの計算結果であったとしても、予報官の解釈と異なり、雨の降り出し時刻などが発表された「予報」とは異なる場合もある。そうした事情を説明するのは「解説」だろうか。それとも、単に、コンピュータの計算によるシミュレーションの一例を「紹介」しただけに過ぎないのだろうか。また、気象庁以外の研究機関などが出力した計算結果を示すとしたら、それも独自の「予報」なのか、「紹介」なのか。
繰り返すが、利用者はそうした予報の出所の違いを、いつも厳密に考えながら気象情報を利用しているとは思えない。そんな利用者側の実情を分かったうえで、伝え手側が「予報」「解説」「紹介」の違いを曖昧にしたまま報じているのだとすら感じる。「予報」なのかそうでないのかの「グレーゾーン」は、確かに存在するのだ。
次回(第4回)は、テレビやインターネットなどにおいて、気象情報がことさら大きく取り上げられる「台風」時の情報について考察する。
◆ これまでに配信済みの記事 ◆
気象予報士制度は必要か?「予報士1万人」時代の気象業界を考える(1) (2017年9月15日)
気象予報士制度は必要か?「予報士1万人」時代の気象業界を考える(2) (2017年9月19日)