『舞いあがれ!』が描いた親子の「やり直し」と「許し」
子役編に朝ドラでは異例の3週間という長い尺を使い、丁寧に描き上げた、福原遥主演のNHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』(NHK総合、月~土曜午前8時ほか)。
ものづくりの町・東大阪で生まれたヒロイン岩倉舞(福原遥)が、長崎・五島列島に住む祖母や様々な人との絆を育みながら、空を飛ぶ夢に向かっていく本作。1〜2週目では主人公・舞(浅田芭路)と母・めぐみ(永作博美)、祖母・祥子(高畑淳子)の3世代それぞれの悩みや苦しみ、すれ違いが浮き彫りになる。
原因不明の発熱で学校を休みがちな舞。しかし、もともと病弱だったわけではなく、昨年はリレーの選手だったことが友人の言葉から明かされる。
舞を心配し、熱が出るからという理由で走ることを制限しているめぐみ。明るく元気な母だが、舞の心配に加え、中学受験を控えた長男・悠人(海老塚幸穏)のこと、夫・浩太(高橋克典)の経営するネジ工場の事務などを抱え、心身の疲労が限界に来ていた。
そんなめぐみを心配する浩太は、医師から舞の環境を変えることを勧められたことを機に、めぐみに生まれ故郷で祥子が暮らす五島に舞を連れて行き、しばらく過ごすことを提案する。
それは駆け落ち同然で故郷を出ていためぐみにとって14年ぶりの里帰りで、舞にとっては初めて知る祖母、そして母の故郷との出会いだ。
しかし、舞を心配してばかりいるめぐみを見た祥子は、めぐみに1人東大阪に帰るよう言う。そこから、舞と祥子の二人暮らしが始まる。
"キャラクター性”や"役割”で描かれる人物がいない魅力
最初は「何をやっても不器用で失敗ばかりの臆病な主人公」と「しっかり者で心配性の母」「鷹揚な祖母」というタイプの大きく異なる3世代に見えた。
しかし、そうした“キャラクター性”や“役割”で誰一人描かれていないのが、本作の秀逸な点だ。
なぜなら、自分のことは自分でするように祥子に言われた舞が、皿を割ったり、寝坊して学校に遅刻したり、収穫した枇杷をひっくり返したり、ジャムをこぼしたり失敗ばかりするのも、経験値が乏しいから。身の周りのことは、めぐみが何でもやって来たためだ。
そうした岩倉家の事情は、舞の様子を電話で聞いた父・浩太(高橋克典)が悠人(海老塚幸穏)に、これからは自分のことは自分でやろうと提案する場面から見えてくる。塾の送り迎えはしないから自分で行くよう悠人に言った浩太が、自分でやることとして食器を流しに運ぶ、ごみ捨てするなど、子どもの夏休みの手伝いレベルのものばかり挙げて、めぐみに苦笑される。
「優等生」めぐみが陥った、頑張り過ぎる苦しみ
しかし、浩太はめぐみがほぼ絶縁状態にあった祥子に、こっそり年賀状などを送り続け、その縁をつないでいた細やかな男性だ。子どもやめぐみの気持ちにも敏感だし、家のことを妻に全部押し付けるタイプではない。そこから、めぐみが自ら頑張り過ぎてしまう性質であること、それに浩太や子どもたちが慣れてしまい、甘えてきたことが見えてくる。
それは祥子の家を訪れた舞が、めぐみの賞状がたくさん飾られていることに気づき、めぐみが何でもよくできた子だったと言う場面で、より鮮明になる。
何でもできた優等生のめぐみは、親の反対を押し切って駆け落ち・結婚したことが、おそらく初めての反抗に近かったろう。そして、自身の選択を肯定するためにも必死で妻・母業を頑張り過ぎてきたのだろう。しかし、自分が頑張れば成果が得られた子ども時代・学生時代と違い、子育てに正解はないだけに、頑張っても思い通りにならないことは多々ある。それが悩みとなるのは、優等生であればなおさらだ。
だからこそ、原因のわからない舞の発熱で、自分を責め、自分が頑張るしかないと言う。人を頼る、甘えることの苦手なめぐみの不安や緊張は舞に伝染し、気づかぬうちにストレスを与えていたのだろう。
また、舞の発熱のきっかけも、無自覚ながら、運動会のリレーで失敗し、同級生たちから責められたことが引き金となっていたようだ。
失敗したくない、周りに迷惑をかけたくない、心配させたくないと、人の気持ちばかり考え、身動きできなくなっていた舞は、頑張り屋のめぐみと実は似ている。
しかし、めぐみと離れ、自分で何でもやるようになった舞は、失敗するたび落ち込むものの、祥子に「失敗ばすっとは悪かこっちゃなか」と言われ、できないことは次にできるように、できないならできることを探すよう励まされ、たくましくなっていく。
舞、めぐみ、祥子、それぞれの悔いと「やり直し」
最初はめぐみが舞に何もやらせていないことに驚いた祥子だが、そこでめぐみを否定しなかったのが印象的だ。
これはおそらく、子どもが誰かに親の悪口を言われる、否定されることが、いかに子どもにとって辛いことかを理解していたから。加えて、何でもできた娘が、必死で妻を、母親を頑張ってきたことが、祥子にはわかったからだろう。
自分も娘との久しぶりの再会が嬉しかったはずなのに、めぐみを一人帰したのは、そんなめぐみの背負ってきた荷を軽くしてあげるため。と同時に、先回りして失敗しないよう手を出してしまうめぐみから、舞を解放するため。それが祥子なりの子育ての「やり直し」だったのだろう。
実は、強くかっこよく見えた祥子も、やはり子育てで「失敗」したことを悔やんでいた。めぐみの選択を認めず、絶縁状態になってしまったものの、本当は会いたかったこと、そして今、舞と一緒に暮らせて嬉しいことを口にする祥子。
そんな折、祥子は仕事で大きな失敗をしてしまうが、落ち込む祥子の手をとり、今度は舞が「失敗は悪いことやないねやろ」と励ます。
近すぎる親子間では、意地も気恥ずかしさも、立場上の責任もあって、弱音を吐けない。しかし、そこを祖母と孫という、ゆるやかな安心感でつながる関係だから弱音を吐くことができ、自身への許しを得ることができたのではないか。
舞はさらに、一太(野原壱太)の母・莉子(大橋梓)が産気づいたとき、全力で走って祥子を呼びに行き、役に立てたことで、「走る=失敗する」不安のスパイラルから抜け出すことができる。
そして、赤ちゃんのためのばらもん凧を一緒にあげようと一太に言われると、一度は不安で断ってしまうが、今度は祥子がめぐみと舞の「やり直し」をアシスト。
めぐみに相談してみてはと祥子に背中を押された舞は、電話し、そこでめぐみが初めて舞の気持ちを尋ねる。
そこで、舞は自分の気持ち「赤ちゃんに元気にたくましく育ってほしい」を言葉にできた。そして、翌朝、一太にその思いを伝え、ばらもん凧を高く飛ばすことができたのだ。
子どもを守らなければいけないという責任感から、舞の気持ちを置いてけぼりにしていためぐみと、その思いを裏切らないよう、心配させないよう、母が用意した道からはみ出さないように歩いてきた舞。どちらも優しく、頑張り屋だからこそ陥りかけていた「共依存」の関係が、祥子や五島の人々を媒介に変化した。
そして、祥子もまた、舞を媒介に、自分の気持ちを素直に表に出すことができ、めぐみとのわだかまりを解消できたのだ。
しんどい日々の中で忘れがちなキラキラしたもの
さらに第3週では、浩太の経営するねじ工場が経営危機に陥る。
浩太はかつて飛行機を作る夢を持っており、頑張って勉強し、一流大学を経て一流企業に入り、飛行機を作る部署に配属される寸前だった。
そこで父親が亡くなり、会社を辞めてねじ工場を継いだが、今も飛行機の部品を作る夢は諦めていなかった。
工場の危機を乗り越えるため、仕事をもらえるよう、方々に頭を下げてまわる浩太。その必死な姿を見ていた周囲の人々の支えや、亡くなった父がつないでくれた縁もあり、初めて規格品以外の「特殊ねじ」の試作に挑戦。それが認められ、工場は危機を乗り越え、大きくなっていく。
父の工場を継ぐために夢を諦めた浩太は、おそらく後悔しないように生きていたのだろう。心の中には「飛行機」へのこだわりが常にあり、それでも現実は、父親の仕事を受け継ぎ、工場と家族を守ることのみに汲汲としてきたのではないか。
そんな浩太が新しいことにチャレンジしようと思ったのはなぜか。
おそらくその覚悟が芽生えたのは、浩太が父に連れて行ってもらった場所で、飛行機に憧れるきっかけとなった生駒山の遊園地に舞と行ったことだ。生駒山から見下ろす東大阪の景色を、舞は「キラキラしてるなぁ!」と言った。その一言に「そうか?」と、ちょっと驚き、ちょっと嬉しそうな表情を浮かべた浩太は、少し厳しい表情に戻る。
舞の無邪気な一言は、自身が選択した、足元に広がるしんどい毎日の中に、忘れていたキラキラした夢や目標を思い出させてくれたのではないか。そして、それがもうひと踏ん張りする大きなエネルギーになったのだろう。
それぞれが自身の選択や失敗を悔い、悩みつつも、一歩踏み出していく軸に「親子」が様々な形で描かれた子役編。本役にバトンタッチした今後、どんな親子関係を見せてくれるかにも期待したい。
(田幸和歌子)