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欧米諸国と日本の児童虐待に関する刑罰の比較―児童虐待に甘い国はなぜ生まれるか

六辻彰二国際政治学者
(写真:アフロ)
  • 欧米諸国と比べて日本では、子どもを死に至らしめた親への刑罰が、法律で定められている量刑に大きな差はないものの、実際には軽くなりやすい
  • 欧米諸国では深刻な事態に至る前の段階から、児童虐待には厳しい法的措置が待っているが、日本は深刻な事態にならないと厳しい刑罰が科されない
  • 親や家庭を絶対視する考え方に変化がなければ、児童虐待を厳罰化しても「絵に描いた餅」になりやすい

 2018年3月に東京都目黒区で虐待によって死亡した船戸結愛ちゃんの事件で、両親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。

 こういった痛ましい事件が発生するたび、児童相談所や警察の対応の不備や、自身が虐待された経験などから虐待してしまう親への支援の必要が指摘されますが、増え続ける児童虐待に対応するためには、虐待を行った親への刑罰も再考する必要があります。

 現在の日本の法律は、他の先進国と比較して、理不尽な親から子どもを守るうえで十分ではありません。虐待する親に甘い法律は、「親の躾」や「家庭の不可侵」を重視する思考に支えられているといえます。

死に至るケースでの刑罰

 結愛ちゃんの事件のように、日本では虐待死に対する処罰は基本的に保護責任者遺棄致死罪で問われることになります。

 子どもや介護の必要な高齢者などの保護者が、その責任や義務を放棄し、「結果的に」死に至らしめた場合、「意図的な殺人」とは区別されます。そのため、保護責任者遺棄致死罪による懲役は3年以上20年以下で殺人罪より短い刑期になります。

 そのうえ、ほとんどの場合、裁判所の判決は20年より短くなりがちです。2012年、1歳の娘を虐待死させた両親に検察が懲役10年の刑を求めたのに対して、大阪地裁は「社会に与えた影響も大きく、今まで以上に厳しい罰を科すことが相当」と強調しましたが、それでも下された判決は懲役15年でした。裁判所が判決を下す際、被告の生い立ちや生活環境などの事情を勘案して、判決内容が検察の求刑や法律の上限より「割り引かれる」のは、他の種類の事件の判決でも同様です。

 ただし、死亡をともなう児童虐待が大きな関心を集めるなか、「故意によらない死亡」の罪を問う保護責任者遺棄致死罪ではなく、「殺意に基づく」殺人罪が適用されるケースも生まれてきました。やはり2012年に大阪地裁は、二人の子どもを餓死させた母親に「放置すれば死ぬことは分かっていた」と殺意を認定。懲役30年の刑を科しました。

法律の条文 ≠ 実際の量刑

 これらの日本の裁判所の量刑が重いか軽いかを考える材料として、他の先進国の法律をみてみます。

 米国では州ごとにやや異なりますが、例えばネバダ州では14歳以下の子どもを虐待して死に至らしめた場合、2年以上20年以下の懲役刑となります。進歩的で知られるカリフォルニア州ではさらに厳しく、懲役は25年。ヨーロッパに目を転じると、例えばイギリスでは最高14年です。

 日本の保護責任者遺棄致死罪と比べて、少なくとも法律の内容としては、これらの量刑には大きな差がないといえます。

 ただし、欧米諸国では虐待を行った親の「殺意」を認定し、殺人罪を適用することも多くあります

 例えば、直近では6月8日、カリフォルニア州のロスアンゼルス上級裁判所は、恋人の8歳の息子に暴行を加えたりして死亡させた男に死刑を、男の子の母親に終身刑を言い渡しました。また、死刑が廃止されているイギリスでも2016年、2歳の子どもを虐待死させた夫婦に終身刑が科されました。

 先述のように、日本でも殺人罪が適用されることはあります。しかし、児童虐待の容疑者に殺人罪の最高刑が科されてこなかった点で、これらのケースと異なります。つまり、児童虐待を禁じる条文ではほとんど差がなくとも、日本の司法は「殺意」の認定に消極的であるため、虐待死させた親への刑罰が総じて緩くなりがちといえます。

最悪の事態に至る前の量刑

 これに加えて、日本の場合、深刻な事態に至る前の段階での刑罰が軽い傾向があります。

 児童虐待防止法では、虐待の恐れがある場合、子どもに親が付きまとうことを都道府県知事が禁止でき、違反者には1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科されます。しかし、それ以外の罰則は同法では定められておらず、身体的な暴行などは一般の暴行罪などが適用されます。また、育児放棄などの児童虐待そのものへの刑罰もありません。

 これに対して、欧米諸国では死に至る前の段階から、虐待には厳しい刑罰が待っています

 例えば米国ネバダ州では、特に性的虐待を含む深刻な虐待の場合、子どもが死亡していなくとも最高で終身刑となります。米国では虐待する親だけでなく、子どもを保護する役職の者の責任が問われることもあり、先述の死刑・終身刑の判決が下ったカリフォルニア州ロスアンゼルス上級裁判所の事例では、虐待を知りながら子どもを母親のもとに残したソーシャルワーカーの刑事責任も追及されました。

 イギリスでは、食事を与えない、必要な医療を受けさせないなど、子どもに「自分は無価値だ」と思わせるような扱いをする親に対して、検察官は最高10年の懲役を求刑できます。

 これらはいずれも、状況がエスカレートする前の段階から厳しい措置をとることで、児童虐待に歯止めをかけようするものです。この点で、深刻な事態になって初めて対応する日本の法律と対照的といえるでしょう。

家庭か、子どもか

 最悪の事態に至るまで厳罰がない日本の法律は、「子どもの養育や躾は親に決定権がある」、「家庭内のことは家庭内でおさめるべき」という考え方を強く反映しています。親の権利、つまり親権を重視し、家庭のことに第三者が口を出すことを拒絶する「家庭の不可侵」を強調する立場は、いわば伝統的な家族観に基づくものです。

 親権も家庭も、もちろん大事でしょう。ただし、日本の場合、これらの考え方が強すぎる傾向があるようにみえます。深刻な事態にならない限り、児童虐待に公的機関の介入が難しく、親だというだけで厳しい法的処罰が科されないことは、これを象徴します。

 それは結果的に、問題がある家庭であっても部外者の介入が拒絶されやすく、家庭のなかの個人、とりわけ最も弱い立場の子どもの声を外に届きにくくしています。言い換えると、親権や家庭の不可侵を強調する考え方が、子どもという個人の権利を守る法律を阻んでいるのです。

一人の人間として

 例えば、世界35ヵ国以上では、家庭で躾として子どもをぶつことも法的に禁止されています。ヨーロッパの多くの国はこれに当てはまり、米国の各州にはこれを明確に禁じる法律はないものの、公衆の面前でそういったことがあった場合、「身体的損傷」を理由に逮捕されることさえあります。

 これは、子どもといえども一人の人間で、親といえどもその権利を侵害することは許されない、という思想に基づきます。そのため、子どもの躾は身体的な苦痛などを与えない方法で行われるべきという考え方が広がっており、そちらの方が教育上むしろ効果的という報告は多数あります。

 教育学者ではないので、その効果については論じられませんが、ここで強調すべきは、親が子どもに手をあげることすら違法であることが、欧米諸国における児童虐待への厳しい法的措置と表裏一体であることです。逆に言えば、「親権」や「家庭の不可侵」を強調するあまり、親が子どもに手をあげることが大目に見られやすく、一部には学校の部活などでの体罰をも支持する親があることは、日本で児童虐待に対する厳しい刑罰を躊躇させる文化的背景になっているといえます。

 日本では育児放棄や暴力など児童虐待は年々増加傾向にあり、厚生労働省によると2016年に児童相談所が対応した件数は12万2,578件にのぼります。また、親の虐待によって、2015年4月からの1年間だけで全国で52人が幼い命を落としました。

 この状況を抜け出すためには、子どもを理不尽な親から守るのに十分でない法律を改める必要があります。しかし、教育や躾という名のもとに子どもに手をあげることを容認してきた社会の考え方そのものに変化がなければ、体罰がなくならないのと同じく、法による児童虐待の規制が「絵に描いた餅」で終わることも容易に想像されるのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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