【その後の鎌倉殿の13人】御成敗式目は女性の財産相続権をなぜ制限したのか?
鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時の時代に制定された御成敗式目(1232年制定)には、女性に関する規定もあります。その1つが、第18条です。それは、親が女子(娘)に所領を譲り与えた後、両者の仲が悪くなった場合、親はその所領を「悔い返す」ことができるか否かについての条文です。「悔い返し」とは、日本中世の法律用語であって「他人に譲渡したものを、譲り主が改めて取り戻すこと」を言います。式目は第18条の冒頭で、先ず言います。「男女の差はあっても、父母の恩は同じである」と。朝廷の公家法においては、他人に一度、譲渡したものは、基本的には取り返すことはできないという規定がありました。一度、譲渡したものを取り返すことができるとなれば、トラブルの基になります。公家法は、それを避けようとしたのです。
ところが、武家が制定した御成敗式目はそれを問題視します。なぜか。女子からは「悔い返し」をしないという条文を盾にして、その女子は親不幸の「罪」を憚らなくなるのではないか。また、親(父母)の側も、女子と敵対することを恐れて、所領を女子に譲らなくなるのではないか。そうなると、親が子供を義絶(関係を断つ)する要因となるし、子が親の命令に背く原因にもなろう。そのような問題を解決する1つの方法として、式目は「女子が親に背くようなことがあれば、父母は悔い返すことができるようにする」ことを提示しているのです(つまり、悔い返しするもしないも親の自由)。これにより、女子は例えば、所領を譲られるために、親孝行をするし、親も娘を可愛がり育てるだろう。男女の別なく、親は慈愛を与えることになるだろう。めでたし、めでたしというのが、式目の論理でした。鎌倉時代、女子にも相続権があったのですが、式目のこの条文は、親の「悔い返し」を認めることにより、その相続の権利を制限するものだったのです。