戦国時代の武士のお給料事情は?立場の違いで貰っていた収入はどのように違うのか?
一口に武士と言っても様々な立場があります。同じ大名家に所属していても全員が直臣とは限らず、契約に基づいて主従関係を結んでいる国人領主や小さな地域を納めている土豪などもいました。直臣の中でも重臣もいれば、下級武士たちの存在もあります。
そこで武士階級の立場の違いで収入がどのように違うか紹介します。
戦国大名の収入
織田信長をはじめとする戦国大名たちは、支配下に治めた領地内から以下の収入を得ていました。
- 年貢米
- 商人たちに課した税金
- 関所の収入
- 金山・銀山
- 交易収入
これらの収入は直轄地や国人衆や城持ちの家臣達が領民から集め、君主に上納されていました。しかし、国人領主に関しては、上納金(年貢)を要求しすぎるとすぐに裏切るために徴収する品を変えたり、豊作・凶作によって臨機応変に税率の変更なども行いました。
大名家直属の家臣達の収入
織田家を例にあげて説明していきましょう。
株式会社織田の社長・信長は尾張・美濃国の他に畿内をほぼ制圧、破竹の勢いで中国地方・北陸の一部も影響下に置きました。しかし、信長一人では領土を管理できないので、北陸・中国・丹波・関東に支店を置き、柴田・羽柴・明智・滝川を支店長に任命。支店には一定の運営方針を伝え各支店長に委任しました。
売上(年貢)は一定の利率を本社(安土)に送ることを定め、残りが支店長の取り分となりました。しかし、本社からの与力が出向しているが人材が不足しているので、自分の懐から人材確保にあたらなければいけませんでした。また、急な出兵にも対応しなければいけなく、全てが支店長の財産とはいかなかったようです。
大体の大名家では利益を序列ごとに分配していたので上位の給料は多く、その部下たちは少ないという事になります。
一方で国人領主たちは一定の領地を有していることから上納金を差し出していればある程度の自由があったと思われます。気に入らなければ、主家を変えてしまえば良いことから、城持ち家臣たちよりある程度自由が効いたようです。
土豪や下級武士は戦で手柄
土豪や下級武士たちは自給自足の農民に近い生活をしていました。そのため、戦で手柄を立てて恩賞を狙うか、功績を証明する大名からの【感状】を受け取ることによって地位向上を図る必要がありました。
一方で専業農民たちは、貴重な年貢の生産力だったので軍役が免除される事が多く、決められた年貢さえ払っていれば、余剰分は自らの収入になりました。そのため、意外にも下級武士より専業農民の方が楽な生活を送っていた事も多いとか。
大名から武士に向けた恩賞
武士たちが活躍できるのは主に戦場。戦などで功績をあげた武士は、主君から恩賞を受けることがあります。
- 感状 … 君主からの感謝状
- 知行 … 大名家の領地の一部がもらえる
- 金銀 … 通貨や金・銀山から出た金・銀
- 物品 … 茶器や武器などの高価な物品
感状は功績の証明となるので、家中での地位向上や転職時の履歴書代わりにもなりました。一番人気は知行ですが与えられる領地には限界があり、織田信長などは茶器や朝廷の官位などを用いて名誉欲を満たす工夫をしています。武田信玄や上杉謙信などは金山・銀山を所有していたことから金・銀を支給していました。
茶の湯文化が進むと、茶器の価値が一国一城にも勝るとも言われ、荒木村重や滝川一益などは加増や官位はいらないから茶器が欲しいと言ったとか…
足軽や雑兵にはどんな報酬が?
最後に身分の低い足軽や雑兵たちの報酬を考えてみます。
足軽には農兵と職業足軽の二種類が存在しました。
農 兵…農村から合戦に駆り出され農業の閑散期に兵士として従事。報酬は無く自分たちの食料も持ち出し。
職業足軽…一般的に言われる下級武士達。家を継げない農民の次男以下が多く各大名家に所属。
農兵は割に合わないと思いますが、彼らには乱取りの楽しみがありました。敵地で乱暴狼藉を働き、収穫前の稲を刈ったり、金品を強奪し、人さらいまであり、戦場に転がっている武具を持ち去っては金に換えていました。これが結構な収入源となっていたようです。
農兵達を管理する指揮官側も士気に影響することから黙認していました。
一方で各大名家に所属している職業足軽達は農兵のような自由はなく、織田家や豊臣家などは乱取りを禁止していました。しかし、給料は少ないながらも衣食住は保証されていました。
豊臣秀吉が天下を取ると、足軽から重臣まですべての人員が武士階級で占められました。しかし、江戸時代に入ると下っ端の足軽たちは、給料だけでは暮らしていけなくなり内職で補うか、帰農した者も少なくなかったと言います。