家政婦は見た!アジア人差別と職業差別を。映画『レイジング・グレイス』
ホラーだが、見終わって残るのはモンスターや幽霊の怖さではなく、人間の怖さだ。大金持ちの白人たちが、いかに彼らにサービスをするアジア人を人として見ていないか? ごくナチュラルに、当然の権利のように、主人公のフィリピン人家政婦を人間扱いしないところが恐ろしい。
もちろんフィクションなので、この映画で起こるようなことは実際には起こらない。しかし、アジア人差別や職業差別はフィクションではない。
今の世の中、金の多寡を人間の価値の尺度だと見なす者は珍しくない。
城のような家に住む大富豪と、フィリピンから来た不法移民という巨大格差があれば、目の前にいる家政婦が“同じ人間に感じられない”という輩が出てくるのは、むしろ自然。巨大格差の方が不自然なのだ。
■目撃者かつ手先としての家政婦
この作品が優れているのは、ホラーやサスペンスとして楽しめると同時に、イギリスにある人種差別や職業差別の現実を見せてくれるところだ。社会派の作品だが、エンタテインメントとしてちゃんと成立している。
メインは大金持ち同士のハラハラドキドキの骨肉の争いで、サブは家政婦を人間扱いしない彼らの冷酷さ。この2つのテーマがうまくお話的にミックスされるのに、大富豪と家政婦という関係性は都合が良い。
日本の人気ドラマに『家政婦は見た!』というのがあったが、あれと同じ構造で、家政婦は金持ちのすぐ近くにいて目撃者になれるし、彼らからすればそもそも悪事を見られても平気な存在である。
だって、しょせん家政婦だから。
■移民で貧しい家政婦は現代の奴隷
主人公は城のような大豪邸に住み込んで掃除をし食事の準備をしながら、家族間の醜い争いを覗き見してしまう。加えて、それだけじゃなくて、金持ちの手先として使われてしまう。毒を盛ったり、騙したりに加担させられてしまう。ご主人様の命令は絶対服従だから。
家政婦の口封じなんて簡単である。
そもそも不法移民である彼女は法的には存在しておらず、家政婦の仕事も口コミで見つけたもので仲介サービス会社や公共のあっせん機関を介しておらず、もちろん労働契約なんてものも存在しない。
なんとなれば、殺しちゃって大庭園の片隅に埋めてしまっても全然OKなのだ。殺さないとすれば、それは命の価値が平等だからではなく、面倒臭いからだろう。
悪事を隠す必要のない者、何をさせても良い者、殺しちゃっても構わない者とは何か? 生殺与奪の権利を他人に握られている者とは何なのか?
奴隷である。
人格や権利を認め合う人間ではない。この作品の富豪にとって家政婦は現代の奴隷なのだ。
■なぜトイレにカギがないのか?
映画の序盤に、人間扱いしていないことをほのめかすシーンがあった。
家政婦の部屋の扉をノックせず、いきなりドアを開けるシーン。これほど無礼なことはない。イギリスでも絶対にダメだし私の住むスペインでもダメだ。
こちらでは家庭のトイレにはカギが付いていないのが普通なのだが、ノックが前提なので問題はない。私は何度もアパートを男女でシェアをしたことがあり、トイレ兼バスにカギなどなかったけど、それでトラブルが起きたことはない。ノックをしない無礼者は存在しないから。
お金持ちというのは教育レベルが高いので、上品で寛大に振る舞う術を知っている。家政婦だって満面の笑みで迎えられていたのだ。しかし、頭に血が上るとメッキが剥がれて、奴隷に対してマナーなど必要ない、という地金が現れるのである。
富豪内の恐怖の争いに、遠い国からやって来た家政婦が巻き込まれる。いや、巻き込まれているようで巻き込まれていない。当事者でも第三者でもなく奴隷だから……。
ホラーとして怖がれ、社会派作としても怖がれ、フィリピン文化のことも学べる良作である。
※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭