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【関根勤】妻への想いはいつも「一方通行」。そのうち「通行止め」になっちゃうかもね

ボブ内藤編集者、ライター、インタビュアー
撮影/八木虎造

2024年2月、扶桑社から芸能生活50周年記念エッセイ『関根勤の嫌われない法則』を上梓した関根勤さん。

アドラー心理学を題材にしたベストセラー本『嫌われる勇気』にアンチテーゼを投げかける問題作……、というわけではなく、「関根さんを嫌いな人は芸能界にひとりもいない」との世間の評価に対して、関根さん本人が真摯に人生と向き合い、「嫌われない法則」を分析した笑いと感動の書だ。

そんな関根さんに、31歳のときに生まれた長女の麻里さんや愛する奥様とのエピソードについて、語ってもらおう。

娘の存在が示してくれた『笑っていいとも!』での立ち位置

お父さんの関根さんと同様、好感度の高いタレントとしてバラエティ番組で活躍中の関根麻里さん。

2006年に米・エマーソン大学を首席で卒業後、浅井企画に所属しデビュー。前後して「カンコンキンシアター」にサプライズゲストとして出演したのをきっかけに『爽快情報バラエティー スッキリ!!』(日本テレビ系)など、数多くの番組に起用されているほか、『ZIP!』(日本テレビ系)や『千鳥のクセスゴ!』(フジテレビ系)などの番組では親子共演を果たしている。

関根さんにとって麻里さんは、過去50年の芸能生活のなにかで自分を支えてくれた恩人のひとりなのだという。

麻里が生まれて1年後の1985年、僕はタモリさんが司会をつとめる『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーに起用されたんですけど、番組の雰囲気に馴染めずに苦しんでいたんです。

番組の収録が行われるスタジオアルタのお客さんは、9割以上が若い女性で、子どものころから男しか笑わせてこなかった僕には何をしてよいのかわからず、いつもガチガチに緊張してました。コサキンラジオや、カンコンキンシアターで身につけた技術は、まるで歯が立たないんです。

そんな悪戦苦闘が8年も続いて、僕は40歳になっていました。
そんなある日、『いいとも!』の客席を見たとき、ふと、当時9歳だった麻里の顔が浮かんだんです。
インターナショナルスクールに通っていた麻里は、よく友だちを家に招いたりしていたんだけど、外国人の友だちともなると大人びた印象があって、驚かされた覚えがありました。

そのときのことが思い出されると、僕の客席の女性たちを見る目がガラリと変わったんです。
「なんだ、彼女たちは麻里の友だちの数年後の姿じゃないか。だったら、家で彼女たちと接するようにすればいい。緊張する必要なんて、全然ないじゃないか」
そう気づくことで、自然に自分を出せるようになったんです。まるで、憑きものがストーンと落ちたような、劇的な変化でした。

もし、この気づきがなければ、『いいとも!』のレギュラーを29年間も続けることはできなかったでしょう。
そういう意味で僕は、麻里に本当に感謝しなければいけないと思っています。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

麻里には「人生は楽しい」というメッセージを伝えたかった

関根麻里さんにとって、父親である関根さんはどんなふうに見えているのだろう。

『関根勤の嫌われない法則』(扶桑社)の「あとがき」に麻里さんは、「カマキリ男=父親」であることについて、「幼い頃は毎日全力で遊んでくれる『楽しいお父さん』にすぎず、友だちたちにも大人気でした。全力で遊んでくれる大人って、なかなかいませんからね」と書いている。

関根さんがそんな「楽しいお父さん」になったのには、こんなワケがある。

麻里が生まれてくることがわかったとき、子育てのことは何も知らなかったから、幼児教育や子育てに関する本をたくさん読んだんです。

そのなかで「3歳頃までに人格や性格は形成され、100歳までそれは変わらない」という言葉に強い印象を持ちました。
よし、ならば「人生は楽しい」、「生きてるって幸せ」ということを麻里には知ってもらおう。「生まれてきてくれてありがとう」という僕の思いが伝わるように努力しよう、そう決めたんです。

幼い頃は、言葉では通じないから、行動でそのことを示さねばなりません。
といっても、大したことをやるわけではありません。そばで見ている妻があきれるくらい、子どものレベルに合わせたバカ遊びを全力でするだけ。

例えば、お風呂に入る前の「ケツケツダンス」。脱衣所でズボンを脱いだとき、お尻の位置がちょうど麻里の目線の高さにあったので思いついたダンスです。
僕が拍子をつけてお尻をフリフリさせると、麻里がパーカッションのように僕のお尻を叩くんです。
「早くお風呂に入んなさい!」と妻に怒られるまで、毎日やってました。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

夜の寝かしつけのときは、「乳首当てゲーム」。一緒に寝床に横になると、麻里が僕の鼻をスイッチのようにしてひねるんです。すると、僕はロボットのようなしゃべり方で「ミギノ、チグビヲ、サガセ」といって、乳首の位置を当てさせるんです。はずれたら「ブー」、当たったら「ピンポ~ン」と言ってケラケラ笑っていました。

とにかく麻里を笑わせることに関しては、一瞬たりとも手を抜かずに頑張りました。
仕事から帰ってきて自宅の玄関口に来ると、「よし、これからもうひと頑張りだ」と自分に言い聞かせて気合いを入れ直すんです。いやぁ、懐かしいなぁ。

ある日突然、「感謝」の気持ちが芽生えた55歳の朝

ところで『関根勤の嫌われない法則』(扶桑社)には、55歳のとき、ある日突然起こった心境の変化についての感動的なエピソードが語られている。

関根さん本人の口から、そのことをあらためて語ってもらおう。

55歳というと、人生の折返し地点というか、自分の死が近づいていることを無意識に感じるものなのかもしれませんね。
ある朝、いつものように食卓に僕の大好きなチーズパンと紅茶が用意されていることにあらためて気づいたんです。そして、こんなことを思いました。

このチーズパンは、妻が買い物でパン屋に立ち寄ったとき、僕のことを思い出して買ってくれたんだろう。パンがつぶれないよう、ちょうどいい握力でトングでパンを挟んで、レジでお会計をして、いちばんおいしい状態で家に運んできてくれたんだ。
ああ、なんてありがたいことなんだ! 僕に対する好意のカタマリじゃないか。今まで当たり前のことと思って意識してなかった自分が恥ずかしい。今すぐ感謝の気持ちを伝えなきゃ!

ところが、そう思ったときは、マネージャーが運転する車で仕事場に向かっている最中でした。時すでに遅し!
いいや、まだ大丈夫だ。チャンスはある。と思い直して、僕はすぐに妻の携帯電話に電話をかけました。
「朝、いつも僕の大好きなチーズパンを用意してくれているよね。ありがとう」

ところが、そう妻に伝えたら、「えっ? あなた死んじゃうの?」って返事がかえってきました。
ちょうどそのころ、人間ドックの結果が出る時期で、妻は悪い結果が出たんじゃないかと勘違いしたんですね。そうじゃない、ただ感謝の気持ちを伝えたかったんだと説明して、事なきを得ました。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

「女嫌い」の偽りの仮面をかぶっていた超非モテ時代

一時期、関根さんは「妻に片想い」というキャッチフレーズで自己紹介していたほどで、夫婦間のコミュニケーションは、いつも関根さんからの一方通行なのだという。

とにかく、すれ違いのエピソードには事欠かないのだ。

あれは、麻里が4歳のときでした。いつものように「桃太郎」の昔話をアドリヴいっぱいで麻里に披露したあと、疲れていたので一緒に寝てしまったんです。

1時間くらいして目が覚めて、麻里の寝顔をあらためて見つめて、こんな感慨にひたっていました。
「この子もいつか結婚して、子どもを産んで、僕をお祖父さんにしてくれるのかな」と。そのとき、ふとこんな考えが浮かんできたんです。

妻も幼いとき、同じようなシチュエーションでお父さんに寝顔を見られたことがあったに違いない。
そういえば結婚式のとき、妻のお父さんは僕の手を強く握って「この後はよろしくね」って言ったじゃないか。そうか、あのとき妻のお父さんは、僕にバトンタッチをしたつもりだったんだ。きっとそうだ。そうに違いない!

そう思うと、いてもたってもいられなくなって、寝室に行くと、妻はすでに就寝中。仕方なく、思いを伝えられないもどかしさと闘いながら彼女の寝顔をじっと見ていたんです。すると、妻は忍者の「くノ一」のように勘が鋭い人でね、僕の視線に気づいて飛び起きると「あんた、何してるのよ、おっかないわね!」と叱責されてしまったんです。

このときもまた、僕が「今日から僕が、キミの第二のお父さんだからね」なんて、わかりにくい説明をしたもんだから、「わかったわ」と妻に納得してもらうまで、長々と説明しなければなりませんでした。

こんなことを繰り返していると、一方通行どころか、いつか通行止めにされちゃうんじゃないかと心配することがあるんですが、やめられないんですよねぇ。

奥さんに対する関根さんの愛情は、なぜこれほどに強いのか?

その理由を関根さんはこう説明する。

妻と出会ったとき、僕は21歳、彼女は19歳でした。
妻と出会う前の僕は、本当に女の子にモテなくてね。あまりにモテないもんだから、自己防衛のために2年間ほど、「オレは女嫌いなんだ」という、いつわりの仮面をかぶっていたくらい。

その仮面を剥がしてくれた妻こそ、僕の人生で出会った、最初の大恩人と言えるでしょう。

これまで数多くの恩人と言える人と出会ってきました。
素人大学生のまま芸能界デビューするなか、苦楽をともにしてきた小堺一機くん。
そして、迷える僕たちに目標を与えてくれた大先輩の萩本欽一さん。

そして、我が家に生まれてきてくれただけでなく、孫の顔を見せてくれた娘の麻里も、僕にとっては掛け替えのない大恩人です。

こうした人たちへの感謝の気持ちは、一生忘れてはいけないと肝に銘じています。人に感謝の気持ちを持つって、本当に大事なことですね。

もしかすると関根さんの「芸能界一嫌われない」好感度は、これまで出会った人たちへの「感謝」の気持ちから醸し出されてくるものなのかもしれない。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版もお楽しみください。

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編集者、ライター、インタビュアー

編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より30年間で1500を超える企業を取材。財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ビジネス界に脈々と伝わる先人の知恵 業界のセオリー』(徳間書店)、『人を集める技術!』(毎日新聞社)、『はじめての輪行』(洋泉社)などがある。また、出版社の依頼で賞金500万円の小説新人賞の選考事務局を起ちあげ、10年間運営した経験のもと、齋藤とみたか名義で『懸賞小説神髄』(洋泉社)を執筆。それをきっかけに、池袋コミュニティカレッジ「小説のコツ」の講師を2013~2023年の10年間つとめた。

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