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【田原総一朗・90歳】死ぬかもしれない、死にたいと思ったことは何度もある。不思議な人生だね

ボブ内藤編集者、ライター、インタビュアー
撮影/八木虎造

2024年の4月15日の誕生日で90歳の卒寿をむかえた田原総一朗氏が著書『全身ジャーナリスト』(集英社新書)を上梓した。自ら「遺言」のつもりで自身のジャーナリスト人生を語り下ろした迫真の書だ。

そんな彼に、90歳になっても元気でいる秘訣について、話を聞いてみた。

フリーになって直後の絶不調。怖くて病院にも行けなかった

2024年に90歳になった田原だが、自分がこれほど長生きするとは、思ってもみなかったという。

「僕の親父が死んだのは72歳、オフクロが84歳ですからね。とっくに追い越してしまった。

僕は幼いころから病弱で、大学時代に十二指腸潰瘍で入院して、その後も会社員時代、フリーランス時代に2度も同じ病気に罹っています。

特にフリーランスになりたてのころ、体の異常に見舞われたときはつらかった。ある日突然、新聞の文字が読めなくなったんです。一文字ずつなら読めるんだけど、単語になると理解できなくなる。

新聞だけじゃない。本棚に並んでいる本の題名も意味がわからない。そんな状態が2カ月くらい続きました」

当時の田原はフリーになったばかりで、仕事を軌道に乗せようとやっきになって働いていた。月刊誌に同時並行でいくつも連載を持って、締めきり前には徹夜で原稿を書くことも多かった。それで、心身ともにオーバーヒートしてしまったのだろうと田原は予想する。

「病院には、再起不能の病気だと言われるのが怖くて、行けなかった。

それでも何とかしなきゃいけないと思って、口述筆記で原稿を書いたり、取材済みのテープをもとに原稿を起こしてもらったりしてその場をしのぎました。だけど、ネタが尽きてしまったらもう打つ手がない。

そろそろ廃業を覚悟せねばならないなと考えたとき、幸いなことに症状が和らいできた。どうにか文字を読めるようになって、原稿も書けるようになった。ホッと胸をなでおろしました」。

体の不調にはつねに悩まされてきた。

だけど、仕事が僕を生かしてくれた

体の不調には、その後も何度も悩まされた。特に、還暦をむかえたころ、胃腸がまったく動かなくなって、便がまったく出なくなったときは、うつ状態になるほどだった。

「このときはさすがに病院に行って、50日ほど入院しました。だけど、『朝まで生テレビ!』と『サンデープロジェクト』で忙しい時期だったから、外出許可をもらってテレビ局のスタジオと病院を往復していました。

スポーツ誌に『激ヤセ 田原総一朗はガン?』なんて書かれて、僕もがんを疑ったけど、検査の結果、がんではないことがわかった。その後、別の病院で診てもらったときには、自律神経失調症と言われました。

体調だけでなく、精神のほうもまいってしまって、『死にたい』とまで思い詰めたものです」。

その後も、自律神経と胃腸の不調には何度も悩まされたという。

にもかかわらず、田原が途中で立ち止まることなく、「朝生」や「サンプロ」などの仕事に情熱を注ぎ続けてこれたのは、「仕事が自分を生かしてくれた」からなのだという。

「だって仕事は、病のつらさを忘れされてくれるほど、おもしろいから。

僕は、趣味と言えるような趣味はひとつもないけど、仕事があれば、それで満足なんです。おもしろいことを遠慮なくやる。だからここまで生きてこれたんでしょう。

僕が80歳を過ぎたころから、つねづね『朝生で死ぬのが理想』と言っている背景には、そういう思いがあるからです」。

「朝生見てます」と言われるより、「朝食動画見ました」と言われるようになった

テレビの世界で大暴れしてきた田原だが、2023年1月からはYouTubeチャンネルを起ちあげ、X(旧・Twitter)でも盛んに発言している。

「『YouTubeをやらないか』という話は何度か受けていたんだけど、断ってきました。僕はネットにはあまり興味がないから。

だけど、以前に僕を密着取材した元テレビ局のプロデューサーが誘ってくれたので、やってみようと思いました。

僕は、自分のプライバシーはゼロだと思っている。お金も、女性関係も、家族も全部オープン。誰かにバレたら困るような弱みを握られるようなことがあったら、僕の理想とするジャーナリズムを貫くことはできなくなるからね」。

YouTubeの「田原総一朗チャンネル」では、東京・早稲田にある老舗喫茶店「ぷらんたん」で月イチで開催されている「田原カフェ」(田原が一日マスターをつとめ、33歳以下限定で30名前後の若者と交流するイベント)の模様がアップされているほか、田原が散歩する様子やマッサージを受けているのをひたすら流すプライベート動画が公開されている。

そのなかで、ひたすらバズっているのが「伝説の朝食」と題する複数の動画である。なかでも「2023年2月編」の再生回数は84万回、「通勤タイムス」の中の朝食動画再生回数は360万回を超えている。

「ありがたいことです。街を歩いているとき、『朝生見てます』と声をかけられることがよくあるけど、最近は『朝食動画、見ました』と話しかけられるようになりました。

ネットの影響力はすごいなと思った。驚いたのは、僕と同年代の高齢者から同じように言われること。病院の待合室で会った女性には『朝ごはん、たくさん食べるんですね。だから元気なんですね』と言われました」。

伝説の朝食動画

胃腸が弱く、脂っこいものが苦手で、田原は牛肉も豚肉も食べない。魚も、食べるのは脂身の少ない白身魚だけ。

それだけに、少しでもカロリーと脂質を摂るために朝食のトーストにはたっぷりバターを塗る。以前は1センチほどの厚みくらいに塗っていたが、最近ではYouTubeで共演した毒蝮三太夫の助言を受けて、多少、控えめにしたという。

目玉焼きは、フライパンに油を引かないで、1センチくらい水を張って茹でて作る、包丁は一切使わず、レタスは手でちぎる、野菜ジュースや乳酸菌飲料、お茶など水分を充分に摂る、など、「田原流」の朝食を30年以上、変わらず朝のルーティンとして続けている。

「食事のほかに気をつけているのは運動ですね。毎日、散歩をして、1日3000歩から4000歩は歩くことにしています。

梅雨時で1週間近く、散歩に出られなかったことがありました。すると、テレビ局の打ち合わせの後、自分で椅子から立ち上がれなくなってしまってヒヤッとしました。以来、雨の日は階段の上り下りをしたりして、なるべく体を動かすようにしています。おかげで、今も杖なしで歩けています。

こうして、少しでも健康を維持していこうとしているのは、仕事のため。自分が心底、おもしろいと思える仕事があるからこそ、生きていることができる。好奇心が、僕の唯一の活力なんです」。

※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版もお楽しみください。

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編集者、ライター、インタビュアー

編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より30年間で1500を超える企業を取材。財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ビジネス界に脈々と伝わる先人の知恵 業界のセオリー』(徳間書店)、『人を集める技術!』(毎日新聞社)、『はじめての輪行』(洋泉社)などがある。また、出版社の依頼で賞金500万円の小説新人賞の選考事務局を起ちあげ、10年間運営した経験のもと、齋藤とみたか名義で『懸賞小説神髄』(洋泉社)を執筆。それをきっかけに、池袋コミュニティカレッジ「小説のコツ」の講師を2013~2023年の10年間つとめた。

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