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イエメン:紅海の航行の安全のための「連合軍」結成

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:REX/アフロ)

 2023年12月19日、アメリカのオースティン国防長官は紅海とその南側の出口にあたるバーブ・マンダブ海峡の航行の安全を確保するための多国籍同盟「繁栄の守護者」を結成すると宣言した。同盟には、アメリカ、イギリス、バハレーン、カナダ、フランス、イタリア、オランダ、ノルウェー、セイシェル、スペインが参加し、ギリシャも参加を表明した。このような同盟が必要となったのは、イエメン北部を「実効支配」するアンサール・アッラー(蔑称:フーシー派、フーシ派など)が紅海やバーブ・マンダブ海峡を航行する船舶のうち、イスラエルが所有するもの、イスラエルに出入りするもの、イスラエルに関係あるものを拿捕・攻撃すると宣言し、11月19日に日本企業が運航する船舶を拿捕したのを皮切りに、12月3日、10日、12日、15日、16日、18日に無人機やミサイルを用いて船舶を攻撃し、アメリカなどの軍艦が攻撃や拿捕を阻止した事件が発生したからだ。12月に入って事件が頻発したのは、アンサール・アッラーがこのような行動に出た理由がイスラエルに攻撃されるパレスチナ人民を支援することだからだ。11月下旬は、ガザ地区への人道物資の搬入や「戦闘の一時休止」のような動きがあり、アンサール・アッラーをはじめパレスチナ人民の反イスラエル武装闘争を「支援する」行動をとっていた「抵抗の枢軸」を構成する諸国・勢力も攻撃を控えていたからだ。これまでも指摘してきたとおり、「抵抗の枢軸」の側はイスラエルやアメリカとの間の緊張や衝突を既存のルールや慣行の範囲内で管理しようとしており、自分たちの側が最初に「ルール」から逸脱したと非難されるのを避けようとしている。しかし、「戦闘の一時休止」が破綻してイスラエルによる破壊と殺戮、人権侵害などが欧米の世論からも顰蹙を買うようになると、アンサール・アッラーも海上交通の妨害の頻度と強度を上げてきた。同派から見れば、最初の「ルール」違反はイスラエルと同国を放任するアメリカなどの側だという認識になるのだろう。

 本邦では、日本企業もかかわる問題が発生しているにもかかわらず紅海とバーブ・マンダブ海峡の航行の安全について報道の量も質も不十分だし、世論の関心も高まっていない。しかし、バーブ・マンダブ海峡が紅海の南側の出入り口ならば、紅海の北側の出入り口がかのスエズ運河だと気づけば、この海域の安全が日本の経済や日常生活に深くかかわることは容易に理解できるだろう。日本政府は2009年からソマリア沖の海賊対処活動として日本独自の法的枠組みに基づいてソマリア沖とアデン湾で警備活動を行っているが、これらの海域はまさにバーブ・マンダブ海峡に隣接する海域であり、この海域の航行の安寧が日本にとって「他人事」ではない何よりの証だ。バーブ・マンダブ海峡は世界の海運の最重要の経路の一つで、アラビア半島で産出される原油や天然ガスを地中海へと輸送する際や、ロシアの原油を含む商品をアジアに輸送する際に不可欠だ。2023年1月~11月の間、同海峡は日量780万バーレルの原油や燃料が通過したが、これは2022年の平均値の日量660万バーレルから大幅に増加している。また、2023年の上半期に輸送された石油全体の12%、天然ガスの8%がバーブ・マンダブ海峡、スエズ運河、紅海のスエズ運河の手前からエジプト領を経由して地中海を結ぶパイプラインを通過している。攻撃が続いた結果、大手海運業者複数がこの海域を回避し、船舶の航路をアフリカ大陸の南を回る航路に変更した。また、問題の海域を航行する船舶の保険料も大幅に値上がりしたそうだ。

 こうして、紅海とバーブ・マンダブ海峡の航行の安全を守るための対処が必要となり、上述の連合軍が結成された。しかし、事の重大さに比べ、参加国が少ないようにも見える。特に紅海に面するサウジアラビアや、スエズ運河の通行料を重要な収入源としているエジプトは沈黙を守っている。日本も連合軍に誘われたとの報道もあるが、国内でこれについて取材したニュースや政府の反応はみあたらない。国際航路の安寧が脅かされることは本邦の物価や生活水準に直結するはずなのだが、この問題について直接関係する企業や当局を除いて「見ないふり」しているのは何ともおかしなことでもある。このような状態になっているのには、大きく二つの理由があるようだ。一つは、紅海とバーブ・マンダブ海峡の航行の安全を確保することが、イスラエルを支援し同国による占領と破壊と殺戮を容認・支持する行為だとみなされかねないことだ。実際、アンサール・アッラーはこの問題に対処するための連合軍の編成が表沙汰になると、連合軍をイスラエルの支援者とみなし、(実際そうする能力があるかは別として)連合軍との戦闘も辞さずと表明した。エジプト、サウジを含むアラブ諸国がこの問題に関与したがらないのは、航路の安全確保がイスラエルのために航行する船舶を警備すると認識されて世論の反発を買いたくないからだと考えることができる。もう一つの理由は、アメリカが連合軍を形成してこの海域で活動する目的が、紅海とバーブ・マンダブ海峡の航行の安全確保という目的だけではないと疑われていることだ。この海域の周辺には、アメリカ、中国、フランスなどの基地が11カ所設けられており、ロシアも近傍のエリトリアに足場を作ろうとしているそうだ。つまり、紅海とバーブ・マンダブ海峡を確保することは、ガザ地区での戦闘の副産物などではなく、より広汎な世界的な経済・外交・軍事的な競争の一環とみなされるのだ。となると、ここでアメリカを中心とする連合軍が活動すれば、当然対抗や牽制のための「別の」同盟が形成され、連合軍とにらみ合うような状況も生じうる。対抗勢力としては、イラン、中国、ロシアが考えられる。

 上で触れたとおり、本邦もアメリカが呼びかけた連合軍に誘われたか、今後誘われる可能性が高い。現時点では連合軍に加わって活動するための法律や制度の裏付けが全くなく、海賊対策のように独自の法的枠組みで連合軍と連携する活動をするにしても、新たな法的枠組みが必要となろう。しかも、連合軍に協力する場合は、それによって「イスラエルの行動を容認・支持する」との悪評を覚悟しなくてはならない。一方、中立(=見ないふりして何もしない)は、日本の経済や日常生活に直結する問題に対策を講じないという無責任な行為だし、何もしないことによって問題の当事者のすべてからの心証が悪化することが確実だ。この問題がすべての当事者にとって難題なのは間違いないが、この種の問題が発生したときに慌てずにいるためにも、日ごろから国際的な諸問題について関心を持ち続けなくてはならないということだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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