「光る君へ」に登場した藤原実資の皇族出の後妻、婉子女王。その実家は村上源氏となる
大河ドラマ「光る君へ」で、秋山竜次演じる藤原実資の後妻として、婉子女王が登場した。「女王」という名でもわかるように皇族の出で、ドラマ中でも実資の最初の妻と比べられると、「身分が違う」と憤慨していた。
婉子は、もとは花山天皇の女御で、天皇が突如出家したことから妻の亡くなった実資に嫁いだものだ。皇族から妻を迎えるということは、それだけ実資の身分が高かったことがわかる。
婉子女王の実家は村上源氏
婉子女王は為平親王の娘で皇族だが、その兄弟は「源」姓を賜って臣籍に降るなど、その家は皇族と源氏のはざまの地位にあった。
ところで、藤原道長の妻倫子が宇多源氏、妾の明子が醍醐源氏であるのに対し、婉子の一族は村上源氏といわれ、また別の源氏である。
源氏には多くの流れがあり、当時は各源氏の一族が朝廷に出仕していた。従って、「源」というだけではどの源氏の流れかはわからない。
村上源氏とは
婉子の父為平親王は第62代村上天皇の第四皇子。その子どものうち憲定、頼定、為定、顕定などの男兄弟は「源」姓を賜って皇族を離れ、臣下となった。彼等は村上天皇の孫にあたることから、この一族は村上源氏と呼ばれる。
婉子の兄源頼定は蔵人頭や参議を務め、『枕草子』四三段「にげなきもの」(似つかわしくないもの)には「宮の中将」として登場している。この中で「かたちよき公達」(容貌のすぐれた公達)と言われている頼定は、一条天皇の女御藤原元子との密通などで浮き名を流すなど、はでな女性関係でも有名であった。
こうして、朝廷内ではそれなりに有力な地位にあった為平親王の子ども達だが、その後子孫は栄えることがなかった。
むしろ、村上源氏として繁栄したのは、為平親王の弟具平親王の子孫である。
具平親王の子師房は2歳で父を亡くしたことから、藤原頼通(道長の長男)の猶子となり、「源」姓を与えられて源師房となった。やはり村上天皇の孫にあたることから村上源氏といわれる。
師房は、以後藤原氏と密接な関係を保ちながら、為平親王の子孫に代わって村上源氏としての地位を築いていった。
岩倉具視も末裔
師房の末裔からは、久我(こが)家、中院(なかのいん)家、北畠家など多くの公家が出ている。久我家の分家が岩倉家で、明治維新に活躍した岩倉具視はその子孫。
さらに北畠家は南北朝時代に武家に転じて有名な他、名和氏や赤松氏といった南北朝時代の有力大名も師房の子孫と伝えている。