「光る君へ」に名前だけ登場した平惟衡は、武家政権を樹立した平清盛の先祖
1日のNHK大河ドラマ「光る君へ」に、平惟衡という人物が登場した。
ドラマでは名前だけだったが、惟衡は初めて武家政権を樹立した平清盛の祖にあたる人物で、この人物の登場は実は歴史的に大きな意味を持つものであった。
平惟衡の出自
惟衡は「平」という姓でもわかるように、平氏の一族である。
源氏には、ドラマに登場している源倫子の出た宇多源氏、源明子の出た醍醐源氏をはじめ、村上源氏、清和源氏、嵯峨源氏など、多くの流れの源氏が活躍した。
平氏もいくつかの流れはあるものの、実際に活躍できたのは桓武天皇の子孫にあたる桓武平氏のみで、事実上平氏といえば桓武平氏を指した。
桓武平氏には大きく2つの流れがあり、「光る君へ」の前半部分に登場していた平惟仲は桓武天皇の孫にあたる高棟王の子孫。系図的にはこちらが嫡流なのだが、より繁栄したのは高棟王の甥で桓武天皇の曾孫に当たる高望王の子孫だった。
この高望王の曾孫が平惟衡で、伊勢を本拠地としたことから、のちに「伊勢平氏」と呼ばれることになる。
「光る君へ」では道長が、惟衡は武力を使ってことを片付けようとするため、国司という権威を与えるとやがて朝廷をないがしろにして危険であると、一条天皇を諫めていた。
伊勢平氏から平家へ
実際、このあと惟衡の子孫は伊勢北部を根拠地として「武者」としてその名をあげることになる。
惟衡の伊勢守在任はわずかに2ヶ月にすぎなかったものの、その後は上野介、備前守、常陸介を歴任して力を蓄えていった。
惟衡の曾孫正盛は、承徳元年(1097)に伊賀国の所領を白河院皇女子内親王の菩提所六条院に寄進して中央政界に進出すると、源義親の追討で武名をあげ、さらに海賊追捕などにも活躍した。
中央政界に進出したことで、藤原氏を「藤(とう)家」、清原氏を「清(せい)家」と呼んだように、伊勢平氏は「平(へい)家」と呼ばれるようになる。
清盛の登場
正盛の孫が清盛で、保元・平治の乱以後武力を背景に躍進し、後白河院と連携して国政を掌握したのち、仁安2年(1167)には太政大臣に昇るなど位人臣をきわめた。そして、治承3年(1179)には院政を停止して日本初の武家政権を樹立した。
こうして「光る君へ」の貴族の世は終わりをつげ、この後は長い「武者の世」を迎えることになる。
道長の懸念は杞憂ではなく、正しかったのである。