【整理整頓は現在や未来だけではなく過去も変えられる】子どもの頃、祖母にかけられた言葉の記憶
子どもの頃に大人にかけられた言葉、多くの場合は忘れてしまいますが、記憶に残るものもいくつかあるものです。
特別嬉しいとか悲しいなどではないにも関わらず、妙に印象に残ることもあります。
私が祖母にかけられた整理整頓に関係する言葉のお話です。
父方の祖母
遠方に住んでいた父方の祖母は、年に一度くらい遊びに来て数日間滞在するのが定期的な行事でした。
おばあちゃん子ではなかった私は、苦手意識があるというほどでもないけれど大好きというわけでもなく、たまに訪れる祖母が滞在している期間は「お客さんが来ているちょっと窮屈な日常」でした。
「服をきちんとたたむんだね、えらいね」
小学校の低学年頃のことだったと思います。例年通り数日間滞在している時、祖母が私にかけてくれた言葉。
就寝前に着替えをして、翌日また着る服をたたんで枕元に置いた時のことと記憶しています。
当時、着た服は翌日また着ることがあり、夜パジャマに着替えて脱いだ服は布団のそばにたたんで置いておく習慣があったのだと思います。
それを見た祖母が「えらいね」と言って褒めてくれたのです。
全然嬉しくなかった
服をたたんで枕元に置く。それを祖母は褒めてくれてくれたのですが、私は全然嬉しくなかったのをはっきりと覚えています。
それどころか「おばあちゃんは、どこも褒めるところがない私をなんとか褒めてあげようと思い、苦肉の策で思いついたのが“服をたたむ”なんだろうな」と、思ったのです。
10歳にもなっていないというのに、我ながら変な思考回路、というか、なんと卑屈な子どもだったのでしょう。
服をたたむのは当たり前のこと
今振り返ると、祖母は普通に褒めてくれていたと思うことができます。
しかし、当時の私は服をたたむことは当たり前のことでした。さらに自分には上手にできることは特になく、褒められることにも慣れておらず、祖母の言葉を素直に受け止めることができなかったのだと思います。
祖母がかけてくれた言葉に対してどんな反応をしたのかは覚えていません。恐らく何も言葉を返さなかったのではないかと思います。
悲しいとか悔しいなどの大きな感情ではなく、すんなり飲みこめない出来事として記憶に残り続けました。
整理整頓の習慣は親から
私の両親は二人とも整理整頓好き・・好きかどうかは知りませんが、家の中は常に整っている状態でした。
整っているというより、基本的に物が少ない家なので散らかりようがないというほうが正しいかも。
昭和の右肩上がりの経済で物がたくさんあることが豊かさの象徴だった時代、周りの家に比べて物が少ない自分の家は恥ずかしいという気持ちも持っておりました。
物の位置は決まっている、使った物を元に戻す、衣類をたたむというのは、意識したこともないくらい当たり前の習慣でした。
過去の記憶が肯定的になる=過去が変わる
「使った物を元に戻す」「服をたたむ」、習慣がなければ恐らく面倒くさいと感じる作業です。
そう思うと、子どもの頃から意識せずにできるように育ててくれた親に感謝なのだろうな、そしてまた褒めてくれた祖母にもありがとうと言えばよかったと思います。
当時はどちらかというと否定気味に捉えていたこの出来事も、今なら肯定的な記憶に変わっていると感じることができます。そう思うと、整理整頓は現在や未来だけではなく、過去も変えられるのだと思えます。
もしタイムマシンで当時の自分に会いにいけたら、こっそり「アンタの今のその環境は将来大きな影響を及ぼすよ」と伝えておきたいかな?とちょっと思います。