山下惣一著『農の明日へ』 百姓よ“開き直れ” 大野和興
百姓にして作家の山下惣一さんの新しい本が出た。「もう最後だ」「もう終わりだ」と言いながら次々本を書く山下さんのことだから、別にびっくりはしないが、我がことのようにうれしい。ぼくは今年81歳になった。山下さんは85歳、ぼくより年長だが、この年になると、あるのは個人差だけで自然年齢など余り関係ないから同年配といってもよい。ぼくはいま山形県白鷹町に通い(コロナ禍にめげず)、そこの百姓の友人たちと製作委員会をつくって出稼ぎを記録する映画作りに熱中しているのだが、山下さんのこの本を手に取って、俺もまだ本を書けるなとつくづく感じ入った。冒頭、この本が出て「我がことのようにうれしい」と書いたが、ここで言った「うれしい」といったのはこう意味、つまり自分にとってうれしいということで、別に山下さんを祝福したわけではない。
そうはいっても、山下さんにはお世話になりっぱなしだ。最初の出会いは、といっても直接会ったのではなく、山下さんの最初の本『野に誌す』との出会いという意味での出会いなのだが、勤めていた日本農業新聞を辞め、何の成算もなくフリーを宣言して食うや食わずだったとき、この本の紹介記事を書けとある雑誌の編集者から声がかかった。1970年代初めのことだ。書けるだけでうれしかったから、喜び勇んで本を手に取って、心底打ちのめされた。これだけの書き手が村のなかから出現したのでは、村の周辺をうろうろしているだけの自分など必要ないではないか、と思い知らされたのだ。だから今も山下さんの前に出ると頭が上がらないところがある。
それから今日まで、山下さんを神輿にかついで、いろんなことを一緒にやってきた。80年代、東大農学部の大教室と本郷の修学旅行用旅館を借りきり、全国から数百人の百姓が集まって3回にわたって行った全国百姓座談会、アジア農民交流センター、TPPに反対する人々の運動などの諸運動。みんな百姓が主役の運動なので、ぼくは常に事務方を引き受けて今日まで来た。山下さんは、「俺は何もしないぞ」と言いながらすべてを心得へて神輿に乗って機嫌よく付き合ってくれた。その関係は50年経った今も続いている。
そして今、『農の明日へ』と題された本を手に取っている。タイトルを見て思うところがあった。自分にはこのタイトルは付けられないな、と思ったのだ。四国山脈のまっただなかで育ち、村の周辺をうろうろ徘徊することを仕事にして60年が経った。その自分の目と感じからいって、「農の明日」など到底語れないからだ。ロボットや人工頭脳を使ってのAI農業や生命操作技術を駆使する「農業の明日」はあっても、百姓が主役の「農の明日」など、考えられないのだ。これがぼくの現場感覚だ。
だが、村に生き、やがては村で死ぬことを自明のこととして生きている百姓の感覚は違う。本書を読みながらそのことがわかった。いま「感覚」と書いたが、すこしちがう、これではしっくり来ない、「感覚」ではなく「覚悟」といったほうがいいか、それとも「開き直り」か。85歳になって今更「覚悟」はないだろうから、やはり「開き直り」なのだろうと思う。本書は全編、百姓の「開き直り」の書である。この本の最終章で山下さんは、これは百姓の遺言だと書いている。「百姓よ、開き直れ」と山下さんは遺言しているのだとぼくは読んだ。
では「百姓とは何か」。これが一口では言えない。つくり方、くらし方、つきあい方、感じ方、考え方、すべてに百姓流がある。それは時代を超えてつながっている。山下さんは本書を通してその世界を具体的に書いている。山下さんはこれまで主張してきた百姓という存在の意味、その具体的形態である小農の強さと持続性を強調してやまない。肝心なのは、山下さんは決して抽象論をいわない、抽象論でごまかさないことだ。すべてが具体的で、現場があり、自分がいる。
山下さんは「百姓は論より証拠」という。この頃、インターネットの世界を泳ぎ回って、横文字を縦に変え、器用にまとめて、いかにも教えてやるといった上から目線で発信し、たちまち農や食の専門家になってもてはやされるというのが流行っているが、百姓はそうはいかない。田んぼや畑を見られたらたちまちばれてしまうからだ。山下さんはそれが骨身に染みているから、抽象論では逃げない。そして、物事の本質を、短い言葉でぐいとつかみ取り、表現する。その見事な名人芸を本書を手に取り、堪能してほしい。
山下さん、『続遺言』、待ってます。
(2021年7月刊、創森社 1600円+税)