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噴火から3年の御嶽山に登ってみました

関口威人ジャーナリスト
御嶽山の山頂付近でエメラルドグリーンに輝く「ニノ池」(筆者がiPhoneで撮影)

戦後最悪の火山災害となった御嶽山(3,067メートル)の噴火から3年。9月27日には地元で追悼行事などが開かれています。その前日の26日、立ち入り制限が続いている山頂付近まで登りました。現場はどうなっていて、何に気をつけるべきなのでしょうか。一般登山者の目線でまとめてみました。

御嶽山の麓、長野県木曽町は朝から快晴。気温は最高で26.8度。風もなく、穏やか。8合目付近は紅葉が見ごろとされ、山登りには絶好の一日です。

3年前もそうだったのでしょう。しかも27日は土曜日でしたから、数百人の人が登山を楽しみながら、まさかの噴火災害に巻き込まれてしまいました。私の知り合いの親戚にも、いまだに行方不明のままの人がいます。

私は噴火前の御嶽山に登ったことはありませんでした。しかし、犠牲者や生存者、遺族の気持ちに近づくためにも、まずは御嶽山がどんな山なのか知りたいと、噴火の翌年から山に登り始めました。2015年8月は長めのルートで、地元の人でもあまり登らないという「開田口」登山道を、16年8月には岐阜県側の濁河(にごりご)温泉を出発点とする「小坂口」登山道を、いずれも9合目の「五の池小屋」に1泊して往復しました。

今年は最も一般的な「黒沢口」登山道に挑戦することにしました。

御嶽山の立ち入り規制(2017年8月29日現在、長野県木曽町の公式サイトから)
御嶽山の立ち入り規制(2017年8月29日現在、長野県木曽町の公式サイトから)

黒沢口は5合目から7合目までロープウェイで行けますが、昔からのルートである6合目の「中の湯」を出発点に選びました。平日の10時ごろという遅めのスタートだったため、駐車場には数台の車があったものの、人の気配はありません。事前にネットでダウンロードして記入した登山届をポストに入れて、歩き出しました。

道は整備され、好天続きで乾いているためスムーズに登れます。7合目、8合目までそれぞれ1時間かかるつもりでいましたが、半分の時間で行けました。

8合目の山小屋「女人堂」にたどり着くと、紅葉が赤、黄、緑の鮮やかなモザイク模様を織りなす絶景が広がりました。その手前に献花台が設けられ、やはり色とりどりの花束が供えられています。手を合わせて黙祷しました。

8合目の山小屋「女人堂」から紅葉のパノラマを望む(筆者撮影)
8合目の山小屋「女人堂」から紅葉のパノラマを望む(筆者撮影)

8合目の途中からはゴツゴツとした岩肌がむき出しになります。ストックを使い、岩に手を付けた方がいい場所も。下から流れてきた雲が日差しを遮ると、急に冷え込みます。上着を1枚はおり、薄めの登山用の手袋も持ってきてよかったと思いました。

9合目の山小屋「石室山荘」にたどり着き、中を通り抜けさせてもらうと、もう一つの献花台が設けられていました。ここには花や水の他、ビール缶やタバコも供えられていて、私は再び手を合わせました。見上げると、噴火後に廃業してしまったという別の山小屋「覚明堂」が目に入ります。

9合目の山小屋「石室山荘」を通り抜けたところに設けられた献花台(筆者撮影)
9合目の山小屋「石室山荘」を通り抜けたところに設けられた献花台(筆者撮影)

本来ならそこから山頂に続く道が続きますが、途中で「立入禁止」の看板が。張り巡らされたロープに沿って迂回すると、山頂山荘と思われる小屋がちらちらと仰ぎ見えます。遠目に見ても、崩れた屋根や壁の痛々しい傷跡が感じられました。

しばらくして目の前に開けたのが「ニノ池」です。標高約2,900メートル。8万年前からの噴火活動によってできたと考えられている火口湖で、日本最高所の湖として知られています。

陽の差し方によって、水の色はまったく変わるそうです。私がたどり着いたときはちょうど正午過ぎの陽が真上から差し、まさにエメラルドグリーンに輝いて見えました。最近、新しくできて「二・五ノ池」と呼ばれ出した小さな池もあり、同じように光って見えました。

噴火後に新しくでき、「二・五ノ池」と呼ばれている池(筆者撮影)
噴火後に新しくでき、「二・五ノ池」と呼ばれている池(筆者撮影)

しかし、周りは白い火山灰とゴロゴロとした大きな噴石に囲われています。池のたもとは3年前の噴火直後、灰に埋もれた山小屋「ニノ池本館」があった場所。来年以降の営業再開を目指し、建て替え工事が進んでいる現場でした。

ニノ池のたもとで進む山小屋「ニノ池本館」の建て替え工事現場(筆者撮影)
ニノ池のたもとで進む山小屋「ニノ池本館」の建て替え工事現場(筆者撮影)

その近くにオレンジ色のヘルメット姿の男性が立っていました。工事関係者かと思いましたがそうではなく、ヘルメットには「御嶽山安全パトロール隊」のステッカー。噴火後、登山道の安全確認や登山者への情報提供をするため木曽町が委嘱した登山ガイドたちで、そのうちの1人、石山亮太さん(35)がこの日の当番でした。

「きょうは本当にいい天気ですよね。でも、平日ということもありますが、やはり人は少なくなりました」と石山さん。

木曽町から委嘱された「パトロール隊」の石山亮太さん。奥は「二・五ノ池」と「二ノ池」(筆者撮影)
木曽町から委嘱された「パトロール隊」の石山亮太さん。奥は「二・五ノ池」と「二ノ池」(筆者撮影)

「私たちのようなパトロール隊がいますし、今までになかった観測機器も設置され、山の情報はよく分かるようになってきたと思います。しかし、どんな山にも危険はあります。どんなルートでどこまで行けるのか、どこの山小屋がやっているのかなど、できるだけ情報を集めて登山してほしい」

この日は私が見かけた限りで20人ほどの登山者がいました。中には、ほとんど普段着と言えそうな軽装の若者もいました。今の時期、ガチガチの装備は必要ありませんが、やはり「ヘルメットは持っていた方がいい」と石山さんは助言します。

また、山頂付近では一部、携帯電話やネットがつながらない場所があります。私も昨年、岐阜県側から登ったときは、8合目付近からauのスマホがつながりにくくなり、電池を消耗するだけなので途中で電源を切ってしまいました。災害時の緊急情報は何でもメールで配信される時代ですが、山ではそれに頼れません。事前に情報収集し、紙などに控えておき、そして山中での人と人との情報交換を密にすることが欠かせないと実感し、約5時間半の登山を終えました。

石山さんたち木曽町のパトロール隊は、御岳ロープウェイ運行終了翌日の11月6日まで山頂付近に常駐するそうです。御嶽山の活動状況は気象庁のサイトで、長野県側の情報は木曽町王滝村のサイト、岐阜県側の情報は下呂市のサイトなどを参考に。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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