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アメリカが拭えない「疑頼論」、頼清徳の台湾は蔡英文時代と何が変わるのか

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 5月20日の就任式を経て頼清徳総統が正式に誕生する。新たな船出を前に、中国では台湾の行方をめぐって論壇がかまびすしい。

 議論の中心にあるのは「疑頼論」だ。北京は頼を「筋金入りの『台独(台湾独立)』派」とみなしてきた。総統選挙ではその真の姿を隠してきた頼が、今後どこかのタイミングでその正体を表すと警戒している。

 ただ、こうした疑いを持っているのは中国共産党だけではない。アメリカも同じだ。「疑頼論」はむしろ、アメリカが頼政権に抱く不審に対して使われる言葉だ。

 現状での焦点は、表向き蔡英文路線を引き継ぐとし、過激な「台独」を封印している頼の本音をさぐる議論だ。いわゆる「蔡規頼隋」(蔡の路線を頼が引き継ぐ)を、頼が何時どんな形で放り出すのか、意見は百出している。

 大陸はなぜ、これほどまでに頼を警戒するのか。

 引き合いに出されるのは蔡と頼の「台独」の程度の差だ。

筋金入りの「台独」

 頼は蔡より3歳年下だが、民進党への入党は頼が10年も早い。蔡は陳水扁元総統に請われて民進党入りした。過去には公の場で「私は中国人」と発言したこともある。一方の頼は、李登輝時代に立法院で「台湾独立万歳」というカードを掲げて話題となった。

 蔡政権は大陸との関係を悪化させた8年間と位置付けられるが、その一方で蔡は「両岸は密接に交流すべき」「良い関係を維持したい」と発言するなど、バランスを重視する姿勢も見せてきた。だが、頼からはそうした発信はごく僅かだ。

 総統選挙期間中の頼は、国民党支持者へのアピールのため過激な言動は封印したが、それでも「ホワイトハウスを訪問する」「台湾にとって憲法の規定は災難」といった発言がメディアを騒がせた。

 バイデン政権は総統選期間中、何度も「台湾の独立を支持しない」と釘を刺した。

 アメリカが望むのはいわゆる「隠れ台独」を意味する「迂回台独」だとされる。台湾が中国と敵対することは望ましくとも、レッドラインを踏み越えるような動きには敏感である。そもそも大陸との関係で緊張の度合いを調節するボリュームは、きちんと自分の手で握っていたいのがアメリカだ。

アメリカが安心する蔡路線

 頼もバイデン政権の「疑頼論」を理解している。そして折衷案として生まれたのが「蔡規頼隋」だ。4月25日、頼が記者会見で発表した安全保障関連の8つの要職人事にも、「蔡規頼隋」の特徴は反映されている。

 この人事を北京はどう受け止めたのか。特徴をまとめるならば頼の野心を隠した「文化台独」となる。外交・安全保障はアメリカが安心する蔡路線を踏襲し、教育・文化で独自カラーを示すというものだ。

 まず新たな外交部長の林佳龍だが、彼は元総統府秘書長である。同じく新国防部長に選ばれた顧立雄も蔡政権下の国家安全会議秘書長だった。いずれも蔡の人脈だ。

 そして林は外交の素人で顧もシビリアンである。だが、軍事に明るいわけではない顧の起用をアメリカは歓迎している。顧は秘書長時代にたくさんの会議に出席しアメリカ側と太いパイプを築いたからだ。また外交の経験の少ない林の隙間は、それこそアメリカが全幅の信頼を寄せる蕭美琴(新副総統)が埋めるという塩梅だ。

人心を洗濯する

 興味深いのは国家安全局長人事だ。蔡時代を引き継ぎ蔡明彦が留任したが、頼は明らかに疎遠だったようで、記者会見では2回も「蔡明要」と名前を読み間違えた。「蔡規頼隋」を象徴するエピソードだろう。

 だが文化・教育部門には頼の意を汲む「台独派」が起用された。これは北京の目から見れば頼が時期を見計らっていると映る。「台独」への理解を文化・教育から深めてゆこうとする目論見で、かつて頼自身が「私の重要な仕事の一つは『改造社会 洗滌人心(社会を改造し人心を洗濯する)』ことだ」と語ったことにも通じる。

 人心を「洗濯する」などと言われるとドキリとするが、これは「台湾の人々に『自由には代価が必要』だと理解させること」だと解釈されている。

 背後にあるのは蔡の「台独」に物足りなさを覚える過激な「台独派」だ。台湾政界の一部に存在する彼らにとって頼は、「台独の黄金の継承者」である。頼の総統就任に特別な期待を寄せないはずはなく、頼もこれに応えようとするはずだ。

 アメリカが警戒するのは、かつての陳水扁時代の再現で、これこそ「疑頼論」の核心だ。

日本有事は台湾有事

 陳は総統に就いた2000年、「四不一没有(「独立を宣言しない」「国名を変更しない」「二国論を憲法に入れない」「独立の是非を問う住民投票を行わない」「国家統一綱領の廃止という問題もない」)を演説で述べた。しかし、その舌の根が乾かぬうちに「一辺一国」や「台湾の名前で国連加盟を目指す」などといった過激な発言をして、台湾海峡で緊張を高めた。

 頼も表向き「蔡路線の継承」を掲げながらどこかのタイミングで路線を変更するかもしれない。その際、考えられる最悪のシナリオは台湾海峡で安全に関する問題を発生させ、その対応を巡り蔡から引き継いだ責任者に詰め腹を切らせ、自分の人事を実現するというものだ。

 頼は先日、「台湾有事は日本の有事」と繰り返す日本に呼応し「日本の有事は台湾の有事」と答えた。

台湾が支払う「自由の代価」に日本が巻き込まれる前に、日本も知恵を出すべきかもしれない。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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