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台湾海峡の緊張の高まりは、本当に中国の「現状変更」のせいなのか?

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 台湾の頼清徳新総統の演説を受け、中国は怒りを爆発させた。日本のメディアはそろって「現状維持」、「蔡英文路線継承」と誤読したが、実態は真逆だった。5月23日と24日には早速、中国人民解放軍(解放軍)東部戦区が陸、海、空、ロケット軍などを総動員し、台湾を取り囲むように合同軍事演習「聯合利剣―2024A」を実施した。

 演習を報じた中国国内のメディアは、最後にミサイルが台北、高雄、花蓮県に着弾して燃え上がる過激なアニメまで流した。

 解放軍の力を見せつけた上で「『台湾独立』勢力への懲罰」とか「外部勢力による干渉と挑発に対する重大な警告」(東部戦区報道官)などと発信すれば、台湾問題を深く理解しない人々の間で反発が広がるのは必至だろう。目立つのは中国の横暴さだからだ。

 だが、時代錯誤な発言を承知で中国がこんな発信をしなければならないのには理由がある。一つには国内を落ち着かせなければならないからだ。台湾問題のように国民感情が密に絡むテーマでは、民よりも党が、より強硬な姿勢で臨んでいることを示さなければ危険なのだ。

中国に威嚇を正当化させた頼清徳の演説

 もし中国国内で世論が沸騰し、「習近平政権は何をやっているんだ」という怒りに火がつけば、それこそ台湾有事はぐっと現実味を帯びてくる。大衆からの突き上げが共産党政権の背中を強く押すからだ。

 残念なことに現在、中国の景気は思わしくない。小さな不満はたちまち燎原の火のように広がり、制御不能の大きな波を起こしかねないのだ。

 それらを考慮した上で、改めて頼清徳の新総統就任演説、いわゆる「5・20演説」で中国を刺激した意味を考えると、目立つのは独り善がりな無責任さだ。

 日ごろは習近平政権に批判的なイギリスの公共放送局BBCも、記事「【解説】中国は台湾新総統が本当に嫌い……軍事演習から分かること」(5月24日)のなかで、「蔡英文前総統でさえ、中国に言及するときは気を配り、『海峡の向こう側』、『北京の当局』などの遠回しな表現をしてきた。台湾の学者の中には、こうした言葉遣いは重要であり、頼氏は危険な一線を越えたと言う人もいる。一方、中国政府が頼氏を嫌悪しているのは以前から明らかで、頼氏の演説は、中国に今回の威嚇行為を正当化する言葉を与えたに過ぎないと言う人もいる」と指摘した。

回を重ねるごとに精度を高める軍事演習

 実際、中国の軍事演習は22年8月のナンシー・ペロシ下院議長(当時)の訪台から、見事なほど台湾側の挑発と連動している。

 23年4月の演習は蔡英文の訪米を受けたもので、同年8月は頼清徳の訪米後。そして今年2月の台湾海巡署による中国漁師の取り締まりによる死亡事件に合わせた演習に続く今回の演習という具合だ。

 そして演習は回を重ねるごとに精度を高めていることにも注目されるべきだ。

 「聯合利剣―2024A」も台湾をぐるりと取り囲んで行われたが、台湾からの距離は大幅に縮められた。さらに、これまで触れなかった烏丘島、東引島にも「制限水域」を越えて接近した。東引島は、外との連携など、戦略的にも重要な意味を持つ軍の拠点だ。

 何より台湾側を慌てさせたのは、そのスピードだ。従来とは違い事前情報がまったくなかった上に、訓練の態勢を整えるまでの時間が極めて短かったのだ。一般にはあまり注目されなかったが、台湾当局をヒヤリとさせる展開だった。

 大陸のメディアに登場した多くの専門家は「『毀(打撃)、困(拠点包囲)、阻(封じ込め)』一体化設計による打撃能力で政治的、軍事的に台湾の重要な施設(台北、台中、高雄、花蓮)をわが軍がピンポイントで確実に攻撃できることを証明した」と解説した。

習近平のメンツを潰して台湾は何を得られるのだろうか

 私は「台湾侵攻」自体、最後の最後の選択であってその可能性は極めて低いと考えている。なかでも習近平が自身のレガシーのために侵攻するといったナラティブには閉口している。だが頼清徳が意図して大陸にアンコントローラブルな状態をつくろうと挑発を続ければ、その未来は不透明さを増す。

 よく分からないのは、わざわざ「平和統一」を呼び掛けている中国の指導者のメンツを潰す必要があるのか、ということだ。子供っぽい勇気や近視眼的「実行力」をアピールしたいのだろうか。

 地域の指導者として2300万人の安全と生活の向上、またアジア一帯の安全を考慮するという責任感はないのだろうか。

 中台の武力衝突は法律上内戦だ。ロシア・ウクライナ戦争とは明らかに違う。世界各地に紛争を作り出し、薪をくべるのが得意なアメリカも、核保有国のロシアとの衝突は慎重に避けている。ならばそれ以上の国力を持ち、法律的に介入が難しい中台の衝突にどう対処するだろうか。

 繰り返しになるが本来内戦状態にあった台湾海峡に「平和統一」という概念を持ち込んだのは中国共産党だ。その「平和統一」の前提条件こそが「一つの中国」の堅持だ。そして台湾も国民党政権時に「92コンセンサス」によって、それを約束している。

 両岸の合意を、前政権の合意だからと民進党側が反故にするというのであれば、中国が怒るのも無理はない。さらに頼は就任演説で中国が示した唯一のレッドライン「一つの中国」にも果敢に挑戦したのだ。

 中国は西側先進国が指摘するような「一方的な現状変更」などしていない。逆に耳にタコができるほど退屈で同じ主張をずっと繰り返している。「『92コンセンサス』を守れ」と。

 頭の体操だが、もし中国を本気で台湾侵攻に踏み切らせるほど追い詰めれば、中途半端な妥協はなくなるだろう。わざわざレッドラインを示したのに、それを越えて挑発した相手を許すとは思えないからだ。台湾島内では徹底的な取り締まりが行われ、台湾独立どころか、小さな台湾自治の芽も摘まれてしまうかもしれない。

 そんな最悪のシナリオさえ見える博打を、台湾の人々は本当に望んでいるのだろうか。

 少し言葉に気を使いつつ現状維持を続け、経済を発展させながら誰も傷つかない未来と比べてみたとき、どちらが理想的な選択だろうか。あえて危ない橋を渡ろうとする台湾のメリットはどこにあるのだろうか。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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