大東亜共栄圏と台風
今週の月曜日(12/2)、お台場のカルチャーカルチャーで、チャリティーイベントを行いました(写真)。
震災をきっかけに始めたイベントですが、今年は事前にお知らせする時間がほとんどありませんでしたので、どれくらいの方がお見えになるのか心配でした。ところが当日、遠方の方も含め多くの方にご来場いただき、会場は満員になりました。
ご参加の皆様、本当にありがとうございました。
ところでこのイベントの中で、元気象庁の饒村曜(にょうむら・よう)さんに、台風についてレクチャーしていただきました。饒村さんは、台風のことならなんでもご存知という方で、気象庁の台風統計データも、実は饒村さんが作ったといっても過言ではありません。
その饒村さんから今回のイベントでも興味深いデータを提示していただきましたので、少しご紹介します。
それはなにかと言うと、戦前の台風発生数です。当時の中央気象台(現気象庁)の資料によると、昭和元年から昭和14年くらいまでは、多少の増減があるものの、年間発生数は12個くらいでした。それが昭和15年に、突然49個を記録するのです。
昔は、現在のように気象衛星や観測網が整備されているわけではありませんから、台風の発生を知るには、太平洋に浮かぶ島々や、船舶からの気象観測データから推測していました。
また、当時の「台風」は、現在のように最大風速が34ノット(17.2メートル)以上というような明確な基準があったわけでもないので、そもそも発生数もアバウトであることは了解できます。
しかしそれにしても、昭和15年に突然個数が増えたのはなぜなのか?
饒村さんによると、これは戦争準備で観測網が整備されたからではないかとのことです。
太平洋戦争は昭和16年12月8日に開戦されましたから、昭和15年といえばその前年で、太平洋の船舶や軍艦などから子細な気象データが収集されたことが想像できます。そのデータ量の多さが、台風の発生個数に影響を与えたと考えられるのです。
一方、開戦後の台風発生数は少しずつつ減っていき、昭和18年は35個、19年は25個、そして終戦の年は20個になっています。台風の発生数に、そんな大きな差があるとは思えませんから、これは言ってみれば日本の制海圏が狭まっていき、台風の発生を把握できなくなっていたからとも考えられます。
逆に言えば台風の発生数は、大東亜共栄圏の盛衰まで伺えるデータでもあると思いました。