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なぜ「撮り鉄」は過熱するのか 相次ぐトラブル、「倫理と精神」はどうあるべき?

小林拓矢フリーライター
人気の高い江ノ電300形305編成(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 新車登場、もうすぐ廃車、珍しい列車……そういったときに鉄道沿線や駅ホーム上に現れるのが「撮り鉄」だ。鉄道の写真を撮るのが好きな鉄道ファンである。時代により濃淡はあっても、鉄道の雄姿を写真に収めたいという人は多く、この傾向は長い年月をかけて変わらない。

 先日も、江ノ電で人気の旧型車・300形305編成が深夜に併用軌道を走っていて、そこに自転車の男性が通りかかり、待ち構えていたカメラを持った人たちの罵声を浴びてトラブルになった。

江ノ電で通りかかった自転車の人はなぜ攻撃されたのか

 なぜ、トラブルになったのか。

 まず編成を撮影する写真に、余計なものが入らないというのが「撮り鉄」にとっての大原則である。そのために撮影者はポジショニングに力を入れ、何人も集まっているので周りの人とも協力し――あるいは場所取りを競い合い――、一枚の形式的な写真を撮影する、というのがよくあるパターンである。

 こんな編成が走った、特別な列車がやってきた、というのは鉄道雑誌の投稿欄に多く寄せられるだけではなく、近年ではSNSなどで公開されるようになり、そのためにどんどん写真を撮りに行くようになっている。

 本来、撮られるべき写真はどのようなものだったのか。夜間に貴重な305編成が、検修などを終えて久々に出て来たのだろうか、その姿をきれいに一枚の写真に収めたかったというのが本当のところである。

 ところが、そこに自転車に乗った人がやってきた。この人は歓迎されていると思ったらしく、手を振った。しかし、車両を撮影していた人から抗議を受けた。

 この話には後日談があり、その人が経営していたお店がわかってしまい、レビューサイトで悪評が大量につけられた。なお現在は消えている。ただし、あまりに興味深い話だったためか、そのお店には多くの客がやってきたという。

 この写真については、共同通信社の原田浩司カメラマンが次のように述べている。

 本職のカメラマンの目からすると、この写真はいい写真だということだ。

 なぜ、こういった齟齬が起こったのか。

「撮り鉄」は何を重視するのか

「撮り鉄」のいう「いい写真」と、報道を含めたそれ以外のカメラマンの「いい写真」とは、別の価値観で動いているということだ。どちらの考えも、わかる。

 意外なことに、芸術性や独創性よりも、形式性や記録性を重視する写真撮影者の集団が、「撮り鉄」である。鉄道雑誌などがやっているコンテストでも採用されない一方、鉄道雑誌が特集を組む際に記録写真として採用されるような写真を、好んで撮りたがるのである。芸術写真としての鉄道写真は、それはそれで別にあるのだ。

 問題となるのは、同じような撮影地に同じように人が集まって撮影し、混乱を起こすケースである。

 先日、東京メトロ18000系が運行を開始した。その際に、何日から運行を開始します、という案内は、なかった。出発式などもなかった。ただでさえ現在はコロナ禍である上に、多くの人が集まって不測の事態を招いてはいけない、という考えがある。17000系の運行開始の際には、出発式こそあって一番列車は運行されたものの、事前に式を行うということはメディア関係者以外に案内されておらず、その日の運行は一番列車だけで終わりにした。

 このあたり、過熱する撮り鉄対策といえよう。

 撮り鉄関連のトラブルは多い。

どんなトラブルがあったのか?

 いくつか、最近のニュースを見たい。

 2020年に小田急のロマンスカーを撮影するために線路に立ち入った少年3人が、ことし6月7日に家裁の支部に送致された。ホームの下に隠れ、車両が来た際に線路に出て撮影したというのだ。

 中央線国立駅をEF64形37号機が通過するということで人が集まり、その際に怒号が飛び交ったということもあった。

 千葉市内で線路内に立ち入り、成田線開業120周年記念列車を撮影しようとしたところ、列車が非常停車したということもある。

 八王子市で中央線の撮影のために植木を無断で伐採して、警察が捜査に入ったという事件もあった。

 こういった「撮り鉄」トラブルは、ひんぱんに報じられている。だが取材でカメラを持つ機会がある立場からすると、過熱してしまう気持ちもわかるのである。

プロの取材現場から考える「撮り鉄」の過熱理由

 鉄道関連のメディアだけではなく、新聞社や通信社、テレビ局も現地に大勢くる。筆者は比較的小さなミラーレス一眼をもって記事執筆も兼ねて現地に行っている立場であるため、新聞社などのカメラ専任の人とポジショニングを争うのは、怖いものがある。

筆者の使用しているミラーレス一眼。取材者の中ではコンパクトな機材のほうである(筆者撮影)
筆者の使用しているミラーレス一眼。取材者の中ではコンパクトな機材のほうである(筆者撮影)

 何とかすき間をぬって、撮影をする。大きなカメラを持っている人の後ろや横から、うまく構図や露出、ピントが合うことを祈りながら。

 カメラを、それも大きなカメラを構えると、人は威圧的になりがちだ。それはプロもアマチュアも変わらない。

 大きなカメラを持ち、それを振り回すことで、何か力を持ったかのような気になる。しかも、プロならば会社の規模や本人の売り上げ、アマチュアならば撮影者の収入により機材に大きな額を投じられるため、より大きな機材を使用したがる傾向がある。鉄道雑誌に毎月広告を出しているカメラメーカーもあるのだ。

 カメラを持つと、武器を持ちいくさに挑んでいるような姿勢になってしまう、というのはよくある。いい写真を撮るためにはさまざまな障壁を乗り越える。それが「撮り鉄」の過熱化にある背景ではないか。

 では本来はどうあるべきか。

「撮り鉄の倫理と鉄道ファンの精神」を考える

 譲り合い、安全にということは簡単だ。実際にそれができていない鉄道ファンも多い。しかし、「撮り鉄」の間ではその世界の基準に沿った「いい写真」を撮影しようと競い合い、時にはいさかいも起こす。SNSで「いい写真」が簡単にどんどんアップされるようになると、「いいね!」をめぐる競争はとどまるところを知らなくなる。

 これは自省をこめての話ではあるが、鉄道ファンの多くは、知識の量や乗った鉄道の距離、写真のうまさなどでマウンティング合戦をしたがる傾向がある。望ましい「倫理と精神」が、現実とかけ離れているのだ。

 写真撮影に関しては、鉄道雑誌がときたま注意喚起を行う。危険な場所から撮影した写真は、採用しないようにしている。

 それでも「武勇伝」は表には出ない形で語り合われるようになっている。

 内輪の「承認欲求」を満たそうとし、その外側から厳しい目で見られる、というのが現実である。

 この状況を変えるのは簡単ではないが、時々は注意喚起を行うしかないだろう。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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