スイスに学ぶ、日本の林業に欠けているもの(後編)
奈良県がスイスのフォレスター・ロルフ・シュトリッカー氏を招聘して開いた「欧州型森林管理者研修」。
現場研修だけではなく座学もあったのだが、そこで行われた講義のうち、ここでは「コミュニケーション」について取り上げたい。
フォレスターという仕事の中でもっとも重要なスキルは、コミュニケーション能力だという。森林所有者や役所、木材の販売先、そして林業作業員……多くの人と意思疎通ができないと仕事は進まないからだ。フォレスター学校のカリキュラムにも「森林コミュニケーション」の時間が多数あった。
たとえば森林所有者を対象にすると、施業内容を受け入れてもらったり、道を入れたりという事象が必要となる。また所有者からは自分の持ち山の木を伐りたい、といった要望も寄せられる。
ロルフ氏は、これらの交渉ごとにどのように取り組んでいるのか。
「こちらの意見を伝えるのに、専門的な知識から攻める……のはダメ」
初っぱなの言葉がこれだった。それでは、相手の心を硬化させる恐れがあるという。
そして「所有者の職業や経歴、奥さんや子供の名前を知らずに会ってはダメ」
家族構成や家族の就業事情、彼らの人生を知らずに話し合いはできない……。
この説明を聞いて、スイス人も浪花節なのか? と思ってしまった。フォレスターは、論理より情に訴えるのか?
だが、その後があった。
木を伐りたいというならその理由を確かめる。今売ったら高く売れると思ったのかもしれない、やむを得ない事情でお金が必要なのかもしれない。相続の心配があるのかもしれない。今は伐るべきでないと考えるなら、別の解決方法を提案してみるなり、少しでも森と所有者の両方が満足できる方法を考える……。
家族の情報を知ることも交渉の第一歩であり、実は論理的なコミュニケーションのスタートであると気づく。そして、両者が満足する方法を探す努力をする。
これは、相手の言う通りに行うだけの施業ではなく、自らの提案を押しつけるだけの交渉術でもない。相手の立場も慮りつつ、可能な範囲で自らの仕事の目的を合わせていくコミュニケーションだ。
「人間関係を築くには、長い時間がかかる。それは森と同じである」
それを聞いていて思い出したのが、「日本型フォレスター」こと森林総合監理士資格を取得するための研修の内容である。
林野庁のサイトの中で「'''森林総合監理士(日本型フォレスター)'''」
の項目には、試験勉強用の基本テキストが掲載されている。
そこにも「コミュニケーションとプレゼンテーション能力」の章があるのだが、一読すると、まるでビジネス書を引き写したかのような項目が並ぶ。シナリオをつくり、表情やしぐさ、ボディーランゲージ、さまざまな道具を上手に使うことが示され、ピラミッド型とネットワーク型、KJ法やKP法……など、テクニックが紹介されている。
そうしたテクニックを否定はしない。上手く使えばよい結果を生むかもしれない。しかし何かが欠けている。コミュニケーションには、そんなテクニックの前に必要なものがあるのではないか。
ロルフ氏の話を聞いていると、森と人に向き合う「真摯さ」を強く感じた。いかに森をよくしたいか、森林所有者の気持ちに寄り添うか、という思いだ。
日本の林業現場では、残念ながら森の将来と森林所有者に向き合わない施業が決して少なくない。もちろん頑張っている人や組織もいるのだが、伝え聞くのは無残な施業の状況が多いのである。
前回も紹介したが、補助金目当てに意味のない下刈りや間伐が行われる。貧弱なスギを残して、立派に育っている広葉樹を一律に伐採する。現在の生育状況を無視して、補助金に定められた間伐率を達成しようと伐りまくる。あるいは事業体の利益を確保するため(もしかして上司にいい顔をするために)、優良な木ばかりを伐採搬出してしまう。作業効率優先で残存木を傷だらけにする。
もちろん、現場の作業員たちが喜んでやっているわけではない。せざるを得ないように追い込まれているのだ。それが彼らのやる気を削いでいる。森が好きで就いた仕事なのに、森を破壊する仕事をさせられるのだから……。そして森林所有者のがっかりする顔も浮かぶ。
結果的に自分の仕事に誇りを持てず、人間関係も壊すだろう。
ドラッカーの言葉を思い出した。リーダーやマネージャーにもっとも必要な資質に「真摯さ」を上げていたからだ。真摯さの欠けたテクニックだけでは、誰も心の底から従おうとしない。真摯に取り組む仕事だから、そこに誇りが生じるのだ。
ロルフ氏は、最後に「(自分の担当する森の)強みと弱みを見つけるべき。強みを伸ばして、弱みをカバーする方法を見つけることが、森林経営に大切である」と言った。
「強み」と「弱み」。これによく似た言葉もドラッカーの「マネジメント」にあったと記憶する。知ってか知らずか、スイス人フォレスターの唱える言葉にドラッカーと通じる部分があるのは、森林経営もマネジメントそのものだからだろう。
ところでスイスのフォレスター候補生に「スイスの男の子の8割は、フォレスターに憧れている」と聞いたことがある。子供の頃からみんなが憧れている職業に自分は就こうとしている、という誇りが感じられた。
フォレスターは、現場5年、フォレスター学校2年……と経験を積み上げなければ慣れない難関なのだ。またフォレスターそのものが国家資格であり、権限も大きい。警察権もあれば、伐採の許認可権も握る。それゆえ醸成される「誇り」なのだろう。
前回、「考える林業」を指摘したが、それを支えるのは「真摯さ」だと思う。同時に真摯に考えても実行する実力と権限がなければ何もできない。それでは「誇り」を持ちようがない。日本の林業界に欠けているものは、やはり「誇り」の醸成なのかもしれない。