Yahoo!ニュース

トルコ攻撃によるシリア・クルドの難民たちは何を恐れ どんな経験をしてきたのか

伊藤めぐみドキュメンタリー・ディレクター
イラク・クルド自治区のバルダラシュ難民キャンプ(筆者撮影)

◆二度目の活躍をするキャンプ

イラク・クルド自治区の首都アルビルから車で1−2時間、乾いた草の大地の真ん中にバルダラシュ難民キャンプはある。トルコ政府によるシリア北東部への攻撃でイラク国境を超えて来たクルド人たちが収容される場所だ。幹線道路が目の前にあるのでいささかの活気はあるのだが、日が落ちると遮るもののないキャンプは冷たい風が吹き、人々の体に直に染み込む。

実はこのキャンプ、二度目に使われるキャンプでもある。2014年から2018年までイスラム国の侵攻で生じた国内避難民を収容していたのだ。しかし人々が元いた街に帰還したため一旦はキャンプは閉じられた。それが今回のトルコ軍攻撃による難民の発生で大規模な修繕をし再開させることになった。皮肉にも争いの絶えないイラク、シリアだからこその「準備」があったということになる。

今回の攻撃で生じた難民・避難民の数は20万人。そのうちの1万2千人6%ほどがイラクのクルド自治区に逃れて来ている。全体の割合としては少なく、隣国にまで移動できるある程度の所得をもった難民たちだが、一方でイラクまでやってきた難民だからこその特別な経験や事情がある。シリア北東部で何が起きているのか。難民たちに話を聞いた。

※トルコ軍侵攻の1)背景2)現状についてはこちらから。

◆難民たちは何を経験してどうやって逃れて来たのか

 各テントを訪ねて聞き取り取材を行った(筆者撮影)
各テントを訪ねて聞き取り取材を行った(筆者撮影)

音楽一家の出身でドラムの演奏をするというファワズさん一家。トルコ軍が最初の空爆を行ったラスアルアイン(クルド名:セラカニア)出身だ。一家は2週間かけてシリアからバルダラシュ難民キャンプにたどり着いた

「ラスアルアインでは午前4時に空爆が始まりました。飛行機2機が12個の爆弾を落としていきました。車がある人は車に乗って逃げましたが、私は車を持っていなかったので子どもを連れ4時間歩いてタル・タマルの街まで行きました。そこから親戚などに頼ってハサカ 、カミシリを経由してここまで来たんです」

ファワズ一家は故郷の街に帰るつもりはないという。

街は家も学校も病院も壊されて、知らない人たち(トルコ政府が送り返すこの地域出身ではないシリア・アラブ人の難民)が多く街にやってくるはずなので帰ることはできません。

しかも一家が戦争に苦しめられたのは今回がはじめてではない。

5年前に息子がアサド政権に徴兵されそうになりました。男子は18歳になると2年半軍隊にとられます。シリアが内戦中だからさらに長期間、徴兵されてしまう可能性がありました。そうはさせてくなかったので、その時は家を売って密航業者に2000ドル払ってドイツに息子を送りました。私たちも息子のいるドイツにいけたらいいのですが

シリアのクルド人たちは繰り返される戦争と対立の中で翻弄されてきたのだ。ちなみに調査の時期によってばらつきはあるものの避難して来た家族の24%がここ数年の間に家を追われた経験がすでにあるという。

ファワズさん一家と隣人(筆者撮影)
ファワズさん一家と隣人(筆者撮影)

カミシリ出身のルワイダさん。少し乱れた髪にピンク色のヒジャーブをゆるくまとい、テントの入り口に幼い子ども達と一緒に座っていた。

空爆は手当たり次第に行われて、隣人が空爆で亡くなりました。空爆が恐くて逃げてきたんです」

カミシリから国境までピックアップトラックに35人ほど乗って3〜4台の車で移動し、そこから1時間歩いて国境を超えた。彼女は妊娠2ヶ月で、幼い4人の子どもがいた。夫や兄弟は一緒でなかったため、居合わせた若者たちが子どもたちの移動を手伝ってくれたという。難民家族のうち20%が女性がその時の家長となって避難してきている。

「夫はアサド政権や、それからクルド人民防衛隊(YPG)の批判をしていました。逃げる途中に彼らに捕まってしまう可能性があったので、私たちと一緒に逃げられなかったのです」

取材を進めていく過程でわかった。避難することを決断させた一番の理由はトルコ軍による空爆であることは調査でも示されており、トルコ軍を恐れていることは明らかだ。しかし同時にイラクのクルド自治区に逃れて来た難民たちの中には、クルド人人民防衛隊(YPG)に懸念を示している人がある一程いる。

◆クルド人民防衛軍(YPG)の妨害と密航業者

バルダラシュ難民キャンプ(筆者撮影)
バルダラシュ難民キャンプ(筆者撮影)

23歳の青年バシャルはこういった。

「国境付近までたどり着くことができました。でもYPGに自分の家に戻れと言われました。クルドの土地を守るために逃げてはいけないというのです。自分たちの街のために戦いなさいというのです」

遡ること2012年、シリア内戦で疲弊したアサド政権はクルド人が多く住むトルコ国境地帯からシリア国軍や国家機関を撤退させた。2014年からはYPGとその政党クルド民主統一党(PYD)はこの地域での「自治」を始めた。イラクのクルド自治区を超える国境もシリアのクルド人支配勢力(YPG)が管理している。

今回のトルコからの攻撃を受け、自分たちの自治を維持したいYPGは隣国へ逃げようとする人々を止めようとしていたのだ。

先ほどのルワイダさんもいう。

「一緒にいた若者のうち何人かはYPGに捕まってしまいました。街に戻されたのかもしれませんし、どうなったのかはわかりません」

行く手を塞がれた難民たちに残された手段はスマグラーと呼ばれる密航業者を使って国境を越える方法だ。

金額は人によって異なり、1人あたり200ドルから450ドル、子どもは少し安くなる。その金額を家族の人数分払うのだ。密航業者の多くは国境付近に住む同じシリアのクルド人だったり、時にアラブ人だったりするという。このお金が払えず、家族のメンバーをシリアに残してきた家族は2635%に登る。

今回の取材では撮影を断る人や話すことを躊躇う人が少なくなかった。YPGの指示に反して越境したため、自分たちが越境したことがわかってしまえば、YPGから仕返しされるのではないかと懸念する人が少なくないのだ。

「悪いのはトルコのエルドアン大統領」という人もいれば「トルコ政府もシリア・アサド政府軍もYPGも怖い」という人もいる。「YPGに避難を妨害されたがYPGの統治には満足」していたという人もいるし、キャンプ外で話を聞けば「YPGがいなかったヨーロッパにもっとイスラム国の戦闘員がいたかもしれない。世界はそのことを忘れている」と強く支持を示す人もいる。

さまざまなシリアのクルド人の声。その言葉が異なり、対立しあっていくほどに、自分ではどうにもならない大きな政治に翻弄されるのは一般の人たちの姿が見えてくる。

◆「トルコの空爆が始まればイスラム国がやって来る」

キリスト教徒の女性(筆者撮影)
キリスト教徒の女性(筆者撮影)

恐怖はトルコ軍の攻撃やYPGによる妨害だけではない。

カミシリ出身のキリスト教徒の女性の懸念はこうだ。

「怖いのはイスラム国です。トルコの空爆が行われれば、(その混乱の中で)イスラム国がやって来ます。私はキリスト教徒です。キリスト教徒はイスラム国の標的にされてしまいます

ラスアルアイン出身のファワズさんはすでにイスラム国によって自分の家が荒らされてしまったと話した。

私たちが逃げた後に家はイスラム国に物を奪われ、荒らされたのです。私たちはその場にはいませんでしたが、知人がフェイスブックにアップされたあるビデオを教えてくれたのです。イスラム国の戦闘員が私たちの家の中に入り込んで、物を奪っていく様子が撮影されていました」

制服に付けられたロゴなどの様子から親トルコで、反政府武装勢力(自由シリア軍系)のシリア人民兵で、同時にイスラム国のメンバーでもある人たちだとわかるという。

◆急ピッチで進められるテント設置作業

ガウィラン難民キャンプ(筆者撮影)
ガウィラン難民キャンプ(筆者撮影)

現在、イラク・クルド側では難民を受け入れるために非正規の国境を2つ開いている。難民キャンプの運営は国連機関、NGO、クルド自治区政府との役割分担によって行われる。国境を超えた難民たちは、イラクのクルド人自治区の兵士ペシュメルガから安全のための検査を受ける。クルドの人道支援団体から食事や毛布の配布を受け、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とNGOの設置したテントで待機した後、バスに乗せられてこの難民キャンプまでやってくるのだ。

「10月14日に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から連絡があり、テントの設置を要請されました。そこからスタッフたちはほぼ休みなくテントの設置のために働いています」

日本のNGOピースウィンズ・ジャパンの井上恭子さんは話す。難民キャンプを開く際に最初に必要となるのがテントやシェルターの設置である。この作業のすべてをUNHCR・イラクのパートナー団体の1つであるピースウィンズ・ジャパンが行っているのだ。10月26日の時点でコンクリートで地盤を固める基礎工事を含め、2,673のテントを設置した

「イラク・クルド人のスタッフは毎日、休みなく働いています。仕事がほしい難民も多いので、給料を払ってテントの設置の仕事を頼んでいます。

現在、バルダラシュ・キャンプは定員の1万1000人に達したため、次のキャンプ、ガウィラン難民キャンプの設置を行っている。ガウィラン・キャンプには数年前からシリア内戦を逃れて来た難民たち8000人が今も住むキャンプがあり、それを拡張する形でテント設置が進められている。

「スタッフたちが各テントを周って何か問題がないか聞き取り調査をしています。いろいろ気を配って質問したり、相談に乗れたりするスタッフたちを現場に行かせています」

イラク・クルド自治区にやってくる難民の数は一旦減少したが、トルコ軍、ロシア軍、シリア・アサド軍、アメリカ軍などの勢力関係で今後はどうなるかわからない状況である。クルド自治区にまで逃げてくることのできない国内避難民の状況はさらに過酷なことが予想される。

あるクルド人女性の言葉が重い。

「人から『アイム・ソーリー、残念に思います』と言われるけれども、でもそう言うだけ。言葉だけ。世界は止めようと思ったらこの事態を止めることはできたはず。なのに本当に止めたりはしなかった。私たちはもっと強くならないといけないのかもしれない」

今回の取材の一部をピースウィンズ・ジャパンの協力で行いました。取材内容への責任は筆者にありますが、様々な情報提供や取材協力に感謝いたします。

ドキュメンタリー・ディレクター

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程に留学中。

伊藤めぐみの最近の記事