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「ウクライナ語を覚えたいと思ったの!」というロシア語話者 ことばから考えるロシアのウクライナ侵攻

伊藤めぐみドキュメンタリー・ディレクター
シェフチェンコのウクライナ語の詩が書かれた椅子。ロシア語話者の男性が教えてくれた

(日本中のほとんどの人が、プーチンのウクライナ侵攻に反対し、怒っているだろう。私もその一人だ。

でもふと考える。ウクライナ政府は「ロシア語の使用制限」をしていたとも報道されている。またいわゆる「親露派」と呼ばれる人が存在するのも確かだ。それはどの程度で、どんな存在なのか。

こんな武力侵攻はダメ!という結論は何ひとつ変わらないのだが、この問題を紐解いてみると、侵攻の理由のデタラメさと、ウクライナ側の結束がよりよく見えてきた。侵攻から1カ月、ウクライナで取材した。

■未承認国家・沿ドニエストル共和国のノスタルジー■

ロシアの国旗が沿ドニエストルではあちこちで見かける
ロシアの国旗が沿ドニエストルではあちこちで見かける

取材はウクライナの隣国モルドバの「沿ドニエストル共和国」からはじめた。

沿ドニエストル共和国はモルドバ内にある未承認国家。戦争してモルドバから分かれた自称「国家」で、国際的な承認を得ていないが、ロシア軍が駐屯し、住民はロシア政府に好意的で、ロシア語を話す人も多く暮らす場所だ。

場所が違うので一緒にはできないが、ウクライナのクリミアやドネツク、ルガンスクの「親露派」の人たちと似た雰囲気が感じられるのではと思い訪れた。

沿ドニエストルの「首都」ティラスポリは建物から道路までやけにだだっ広く、なんとなく寂しげな雰囲気がした。いかにも「ザ・ソ連」をイメージさせる場所。

ホテルのオーナーの女性は、私がウクライナに行くというと心配してハグをしてくれる優しい女性だったが、「親露派」の感じがわかったのはウクライナ国境まで運転してくれたアレクサンドルとの会話だった。30代くらいの青い目の男性。文明の利器、Google翻訳で会話した。彼はロシア語話者だった。

「ロシアだけじゃなくて、ウクライナも挑発していた。ウクライナにも非がある。でも私たちはテレビで情報を得るだけだから、わからないこともある

それまで、「結婚しているの?子どもはいるの?」と愛想よく話してくれていたのに、一気に真面目な顔になった。彼はロシア政府の言い分を支持していた。「テレビで情報を得るだけだから」というところに少しの戸惑いを感じたけれども。

ウクライナにはナショナリスティックな人が多すぎるんだ。もともとはソ連によって作られたのに。そしていろんな民族がいるのに。でも、今はウクライナにはナチみたいな態度の人がいるんだ。だから戦争が起きた」

この人はいわゆる「ロシアのフェイクニュースとプロパガンダ」を信じる人ではないか。

まだウクライナに行っていないので大きなことはできないが、前日に泊まったティラスポリのホテルではロシアの国営放送が流れていた。詳細はわからなかったけれども、マイクを向けられたおじさんが「ナチスが!!!」と言い、ボロボロになったドネツクの建物を映して「ウクライナ軍が破壊している」と解説しているようだった。

この国営テレビだけを見ていたら、それがすべて事実にみえるだろう。

「僕はソ連の時代を生きてないからわからないけど、でも大きな国があって、みなができることをそれぞれしていた。ソ連は大きな一つの家族のようだった。なのに、ソ連が崩壊してから別々の国に分かれてしまった」

彼はソ連時代にノスタルジーがあるのだ。ウクライナの親露派と呼ばれる人たちの中にも、彼のように考えていた人もいるのかもしれない

■Facebookにウクライナ語で投稿するロシア語話者■

左から取材をアレンジしてくれたミハイル、アンドレイ、カテリーナ
左から取材をアレンジしてくれたミハイル、アンドレイ、カテリーナ

ウクライナ入国では事前に所得してあった取材許可証を見せると、軍服の担当官は怖い顔をにこっとさせて、

「ようこそ!」と言って通してくれた。

アレクサンドルの主張は、ウクライナに入った途端に否定された。

親露派は難しくても、まずはウクライナのロシア語話者に会いたいと思っていたら、なんと今回の取材を手伝ってくれたウクライナ人のミハイル・ガルバタウ(52歳)とアンドレイとカテリーナ・マスクビーチャヴァがロシア語話者だった。私が訪れたウクライナ南部の都市オデッサは85%がロシア語を母語とするとされる。

ウクライナ西部はウクライナ語話者が多数派で、東部や南部はロシア語話者が多数派、首都キエフはウクライナ語のほうが多いが両方の言語が使われる。

ロシア語が母語であれば、沿ドニエストルのアレクサンドロのように少しはロシア政府寄りになるのではと私は勝手に想像していた。しかし私の案内人たちは完全にこれを否定した。

違う!政治は政治。言葉は言葉!

彼らはロシア政府の支配を拒否し、ウクライナの勝利を求めていた。ロシア語を話すということと、親露派であることは全く別の問題なのだ。しかも、ミハイルはロシア語が母語だが、民族的にはユダヤ人やコサック、タタールのミックスであり、ロシア系でもない。

「ウクライナ政府がロシア語の制限をした法律についてはどう思う?」

そう尋ねると、くすっとカテリーナは笑った。ウクライナ政府は2019年にロシア語の使用を制限する新たな法律を作った。

あれは別に厳しい制限じゃなかったの。ウクライナに住んでいるからウクライナ語がもっと使えた方がいいし。私は話すのはできるけど、もっと覚えたくてFacebookではここ数年はウクライナ語で書いてたの。でも日常会話ではいつも通りロシア語を使っていたしね

カテリーナはもう一つロシア語の規制の理由をあげた。

ロシアが嘘のニュースを流してばかりいる問題もあったから。だからロシア国営メディアを規制したの」

当のロシア語話者からの猛烈な「別に規制されてない」論にあった。

2019年に、ウクライナ政府は、公的な機関での言語はウクライナ語と定めた。テレビや映画配給会社はコンテンツの90%をウクライナ語、出版メディアは最低50%はウクライナ語にするとした。また2021年にもロシア語だけではだめで、同じ内容でウクライナ語でも報じることを義務付けた。

その後、15人近くのロシア語話者に話を聞いたが、

「別にあんな規制、大した意味ない」

という人がほとんどだった。

もしかしたら当時は「嫌だな」と思った人もいたかもしれないが、こういう状況になってしまえば、「言葉よりも命!」、「表向きは言葉を守るというロシア政府より、命を守るウクライナ側」なのである。

■心が壊れた元親露派■

元航海士のアレクサンドル・ディチェフさん
元航海士のアレクサンドル・ディチェフさん

ただそれでも私はウクライナでロシア政府を支持する人たちの存在が気になった。そしてこんな現実を見た後で、それでも支持するのかを知りたかった。

私は今、混乱している。心が壊れてしまった

アレクサンドル・ディチェフ(58歳)は大きな丸い目に、体調の悪そうな顔をしていた。激しいロシア軍による攻撃が行われたミコライウからオデッサに2週間前に逃れてきた

「家は市内にあったから大丈夫だったけど、毎日、サイレンがなっていたよ」

彼が特別なのは、ロシア政府に親しみを感じていたのに、今はウクライナを強く支持していることだ

「私は編入以前のクリミアの状況はよくないと思っていたからね。だから住民が望めばロシアに編入されるべきだと当時は思っていたよ

2014年、クリミアは裏でロシア軍も介入した形で併合された。当初は多くの住民に編入は支持されていたとされる。彼の住むミコライウはそのクリミアにも近い。

私はソビエト連邦の元で若い時代を生きてきた。学校も病院も無料だった。みな平等だった。いい時代だった。大きな国だったんだ」

しかしその「若い日の思い出」が一気にひっくり返される。

そういう考えがたった一カ月前に突如、変わってしまった。ロシアがウクライナを攻撃するなんて。全然、予想もしていなかった。まだ混乱している」

信頼していたロシア(あるいは旧ソ連)という存在が、まさか自分の住んでいる町を攻撃するなんて思いもしなかっただろう。体を傷つけられるのも辛いが、自分の考えや思いを一気に崩されるのも大きな痛みを伴う。

「ソ連の時代をよいものを思っていたのは、ただ穏やかな生活をしたいからだったんですね?」

そう声をかけると、

「そうだよ。ただそう願っていただけなのに、こんなことになるなんて」

アレクサンドルを紹介してくれた案内人のミハイルは、

彼は武器を取ってロシア軍と戦うことも辞さないつもりだと思うよ

そうあとで私に教えてくれた。

とても皮肉な話だ。自分を支持してくれていたはずの支持者まで、プーチンはこの戦争で失っているのだ。

■まずは勝利、ウクライナ政治の問題はその後で■

モスクワの力が強いロシア系の教会
モスクワの力が強いロシア系の教会

「ロシア政府、おかしくない?せっかく好意的だった人たちまで、自分を嫌いになるようなことを自らするなんて」

たまらずにミハイルに言うと、

「嫌いっていうだけじゃないよ。敵にしてるんだ」

ミハイルは深くうなづいて言った。

沿ドニエストルのアレクサンドルの話をすると、困ったように笑って、

「彼はロシア語のニュースしか知らないんだよ。30代くらいだって?ソ連時代のことは記憶にないじゃないか。家族から聞いてそれでよいイメージばかり膨らむんだ。あそこはとても貧しい。モルドバよりも貧しいからね」

オデッサでもインタビューしたうちの一人だけラリサという53歳の女性は、ロシア語を制限する法律について、

お店の商品表示がロシア語からウクライナ語に変わってちょっと嫌だった

と言っていた。またこの戦争についても、「別に自分の生活は変わらない」とどこか冷めていた。

そこはオデッサの中でも庶民的、貧しい人たちが集まる地域だった。他にインタビューした人たちは「ウクライナは勝つ!」とウクライナ側を支持していたので、貧しさが原因とはいえないが、得られる情報が限られていたり、日常に不満があれば、ロシアという新たな選択肢に希望をいだかせることにもなる。ただそんな彼女でも日常生活ではロシア語で話す制限は全くなかったという。

また直接、会うことはできなかったが、ある高齢の女性はロシアの国営放送ばかり見て、また社会とのかかわりもないため、未だにウクライナ軍がロシア系住民を攻撃していると思い込んでいるという。

ミハイルの家族は今、ポーランドに避難している。

13歳の娘がね、『これからはウクライナ語を使おう』と言うんだ。僕は彼女のその考えはそれでいいと思うから、メッセージや電話のやりとりをウクライナ語で娘とはするようになったんだよ」

これを過度なナショナリズムと呼ぶのだろうか。

「だーかーら、ありがとうは、『ダクユ』よ。Diakuyu!」

ロシア語話者の人たちは、そう私にウクライナ語の発音を教えてくれながら、自分たちは「スパシーバ!」とロシア語で言ったり、たまに「ダクユ!」と言っている。

このような状況下で、ウクライナ語を使うということは、ロシア語話者の、私たちは今、ウクライナとして団結するんだという立場表明に思える。

「僕はゼレンスキーの政策を支持してなかったよ。でも今はやるべきことをしている。政治の話は勝った後さ」

そういうミハイル。

私には今、ロシアに勝ちたいと思うウクライナの人が何を守りたいか、はっきりとわかっているように見える

(写真はすべて筆者撮影)

ドキュメンタリー・ディレクター

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程に留学中。

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