石炭火力からの卒業がやっぱり日本でも合理的である5つの理由
7月3日以来、経済産業省がエネルギー政策の転換を思わせる方針を次々に打ち出している。旧式の石炭火力発電所の大部分を2030年までに休廃止、再エネ拡大のために送電網の利用ルールを見直し、また、政府の方針として石炭火力の輸出支援を厳格化、といった具合だ。2018年に定められた第5次エネルギー基本計画を具体化しているだけだというが、筆者には潮目の変化のように感じられる。
気候変動対策の緊急性の認識が世界で高まり、CO2排出量の大きい石炭火力への風当たりが強くなっている。ほとんどの先進国が脱石炭に向かう中で、日本政府が石炭火力を維持する姿勢は世界から強い批判にさらされてきた。
日本の言い分は、日本には国内資源が乏しい、面積に比して人口密度が高くエネルギー需要が大きい、隣国とつながる送電網が無い、といった理由でエネルギー安定供給のための火力発電、とりわけ資源調達の容易な石炭火力をある程度維持したいということだろう。
環境NGOなどはこれを言い訳と見ており、今回の方針に対しても批判的な姿勢を崩していないが、筆者はある程度もっともな言い分だと思っている。しかし、それでも遠からぬうちに日本も石炭火力を卒業するのが合理的だと思う。筆者はエネルギーの専門家ではないので技術や経済の詳細な議論には立ち入らず、大局的な観点からその理由を5つ述べたい。
1. 脱炭素は待ったなし
昨年、米国と中国の共同研究グループがNatureに発表した論文によれば、世界全体の既存の発電所、工場、自動車等のインフラを、従来の標準的な稼働率と寿命で運転することによって今後排出されるCO2は、それだけでパリ協定の努力目標である「1.5℃」(産業革命前を基準とした世界平均気温上昇量)を超えてしまうのに十分な量だということだ。
「1.5℃」を目指すのであれば、既に今の状態から、インフラを寿命前に止めるか、稼働率を落とすか、CCS(CO2を地中に封じ込める技術)を後付けするか、もしくは大気からCO2を吸収する技術を使うか、といった対策が必要なのだ。
いうまでもなく、CO2を排出するインフラの新設はきわめて望ましくない。これは石炭火力だけでなくガス火力にもいえることだが、CO2排出量の大きい石炭火力の新設がより望ましくないのは明らかである。
CO2を吸収する技術がそのうちできるならいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、一度出したCO2をコストをかけて吸収するのと、最初から出さないのとではどちらが合理的かを考えてみたらよいだろう。
2. 世界が脱炭素した暁には日本は「勝ち組」
やはり昨年発表されたノルウェー等の研究者による論文で、世界のエネルギー転換による(つまり、いつの日か世界のエネルギーが化石燃料から再エネに完全に置き替わった場合の)各国の地政学的な損得を分析したものがある。
その結果によると、日本は明らかな「脱炭素勝ち組」なのだ。資源量のみに注目した場合、人口密度に比して再エネ資源がそれほど豊富ではないので評価は中程度になるが、貿易への影響を考慮するとぐっと評価が上がる。化石燃料輸入のために国外に流出していた年間20兆円前後が国内で回るようになるのだから当然だ。国内秩序の安定性を考慮に入れるとさらに評価が上がる。
国益を考えるならば、日本は全力で世界の脱炭素化を目指すのが合理的なのである。
3. 日本の再エネポテンシャルは十分にある
そんなことをいっても、日本国内の再エネで日本のエネルギー需要がまかなえないと仕方がないじゃないかと思うだろうが、どうやらその点は大丈夫である。
環境省による最新の調査によれば、日本の再エネ導入ポテンシャルは年間発電電力量にして73,000億kWh、そのうち経済性を考慮した導入可能量は26,000億kWh程度と見積もられている。その内訳は洋上風力が6割、陸上風力と太陽光が各2割程度である。この導入可能量は日本の現在の消費電力量の2倍以上であり、熱量換算すると9.4エクサジュールで、最終エネルギー消費量の13エクサジュールにせまる数字である。
つまり、単純計算では、日本の電力をすべて再エネでまかなうことは十分に可能である。火力発電も原発も必要ない。さらに、技術進歩等により経済性が少し改善されれば、燃料等を含む一次エネルギー全体を再エネでまかなうことも視野に入るといえるだろう。
もちろんこれが可能になるためには、送電網の増強や、需給バランスを確保するための蓄電設備やデマンドレスポンス(需要側の調整)などへの投資や制度整備が必要なので、すぐにできると言っているのではない。究極的に(といっても30年で、できればもっと早く)これを目指すという話である。
ここで、メガソーラーの自然破壊などの心配も出てくると思うが、環境アセスメントも廃棄費用の積み立ても義務化されたので、乱開発は是正されるだろう。
4. 石炭火力でもうかりますか?
経産省の方針では高効率の石炭火力は維持、拡大するといわれており、環境NGOはこの点を特に批判している。しかし、石炭火力を新設しようとする事業者がどんなふうに経済的な合理性を見込んでいるのかが、筆者にはわからない。
再エネのコストはどんどん安くなっており、世界の多くの地域(英国のシンクタンクCarbon Trackerの報告によれば日本も含む)で既に新設の石炭火力よりも新設の再エネの方が安い。この傾向は今後さらに拡大していくだろう。また、再エネが増えるほど、火力発電は出力制御をしなければいけなくなるので、稼働率が落ちて収益性が下がる。
本格的なカーボンプライシング(炭素税や排出権取引)が日本でも導入されれば、石炭火力のコストはさらに上がる。すぐに導入されるかはわからないが、10~20年にわたって導入されないと想定する事業者はさすがに楽観的すぎるだろう。CCSを後付けできればカーボンプライシングはかからないが、もちろんCCSのコストがかかる。
もしも筆者が石炭火力を計画中の事業者の立場であったならば、全力で引き返す判断をするだろう。既に投資してしまった額によっては辛い判断になるかもしれないが。
5. やがて常識が変わるだろう
米国や欧州で人種差別に抗議する大きな社会運動(Black Lives Matter)が起きている。映画「風と共に去りぬ」が配信停止になったり、コロンブスなどの銅像が破壊されるのを見ると、奴隷制や植民地主義のころに常識であったことが、現代の新しい常識からみて、厳しい倫理的な批判にさらされているのがわかる。
日本ではほとんど認識されていないが、実はこのことは気候変動の問題と相似形である。現在、われわれ先進国の人間が普通に生活していると大量のCO2が排出されるが、それが途上国の人々や将来世代を苦しめているという認識を、われわれは持てていない。これはおそらく、奴隷制が当然であった時代に、白人が黒人を苦しめているという認識を持てていなかったことと同じだろう。
やがて技術的にも経済的にも脱炭素が可能だと誰もが思うようになり、CO2を出さずにエネルギーを作ることが世界の常識になる時代が来るだろう。そのときの新しい常識から現在をみると、「あの頃はひどいことをしていた」と評価されるにちがいない。特に、脱炭素の選択肢があるのを知りながら、CO2を多く排出するインフラを新たに作ることは、きわめて悪質な行為として後世の人たちから厳しい倫理的な批判にさらされるだろう。
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石炭からの卒業については、以前に朝日新聞の石井編集委員による秀逸な記事があった。この記事は次のように締めくくられている。「どうせ別れるのだから、きっちりと準備して、これまで世話になったことに感謝して別れたい。後腐れや恨みっこは、なしで。」
筆者も同じ気持ちだ。1970年代の石油ショック以降、石炭を高効率でクリーンに燃やす技術を研究開発し普及させてきた日本の科学者、技術者、事業者への尊敬と感謝を忘れてはいけないと思う。彼らには、貧しい途上国に安価でクリーンな電気を届けたいという思いもあっただろう。それは時代が要請する技術だった。
ただし、それは今ほどCO2の問題が大きく認識される以前までのことだ。時代は流れ、常識は変化する。
石炭に笑顔で感謝しつつ、毅然とした表情で前を向き、石炭の時代から卒業したい。