東京有数の超難関校は高校野球とどう向き合っているのか?早稲田大学高等学院の場合
早大直属の附属校である自負
西武新宿線の上石神井駅(東京・練馬)から歩くこと8分。新青梅街道にぶつかると、早稲田大学高等学院(以下、早大学院)の正門が見えてくる。早稲田大学直属の附属校として最初に設置された早大学院は、東京有数の超難関校として知られる。受験生の子を持つ親にとっては憧れの学校の1つだ。
もっとも、高校野球ファンからすると「東京の早稲田」と言えば、名門・早稲田実業学校(以下、早実)のイメージが強いだろう。昨年まで甲子園出場は春、夏合わせて50回。早実の知名度は全国区である。
早大学院も甲子園出場こそないが、東京では実力校として数えられる。例えば、昨春の東京大会3回戦では、敗れはしたものの、こちらも名門の日大三高相手に1対2の接戦を演じた。過去には、2010年の西東京大会でベスト4に進出している。準決勝では早実との「早早対決」となり、注目を集めた。
例年5人程度が「兄貴分」の早大野球部でプレーを続けるなか、神宮で活躍しているOBもいる。早大の新3年・山縣秀は昨秋のリーグ戦、2年生ながら遊撃のポジションをつかみ、攻守で活躍を見せた。また投手で、ドラフト候補にも名を連ねた柴田迅は4年時(2020年)は早大のエース番号「11」を背負った。
早大の附属校としての自負もある。
「(『系属校』の)早実は校歌をはじめ、ユニフォームの帽子や襟の形が早大と異なりますが、早大学院は全て同じですからね」
こう話すのが、早大学院野球部を09年から率いている木田茂監督だ。OBでもある木田監督は、外部指導者の立場で毎日指導にあたっている。交通費は一定額支給されているが、監督としての報酬はなく、ボランティアである。
リトルリーグや中学硬式チームでも指導歴がある木田監督は、野球に対する熱量が高い。出張が多かったサラリーマン時代には、全国の高校野球の練習を見て回ったことも。「北は北海道の旭川実業高から、南は沖縄の沖縄尚学高まで、2年間で約400校に行きました」と言うから驚きだ。400校もの練習を見た稀有な経験は、早大学院の監督になった時に様々な形で活かされたという。
やる以上は高みを、甲子園を目指したい
早大学院の生徒は基本的に100パーセント、早大に進学できるが、勉強は厳しい。毎年学年で3パーセントほどは留年しており、前述の山縣も「高校時代は授業についていくのに必死でした」と明かす。制服はなく、校内には自由な雰囲気が漂うが、優先されるのは学業であり、生徒は「自律」が求められる。
当然ながら、部活動は主ではなく、野球部の練習時間も限られている。日没が早い冬場は2時間がやっと。グラウンドも人工芝ではあるが、75メートル×120メートルの長方形で、平日はその半分を使用。校内でフリー打撃ができるのは、夏の大会直前を除いて、週1回だけ。それも朝の短い時間だ。
それでも高校野球をやるのなら、高みを、甲子園を目指したい―。木田監督が就任後すぐに取り組んだのが、強豪校との練習試合を組むことだった。選手たちがどこか漠然ととらえていた甲子園出場という目標に、「輪郭」を与える狙いもあった。面識がない学校には足を運んでお願いをした。「早大学院と名乗っても予備校と勘違いされたこともありましてね」苦笑まじりに振り返るが、縁がなかった強豪との練習試合を次々に実現させた。
「選手たちは当初は、相手の胸のマークに委縮していましたが、甲子園常連校との差を肌で感じることで、自分たちの課題は何か、具体的に理解できるようになったと思います」
強豪との手合わせは今も続いており、練習試合のスケジュールは名の知れた学校との対戦で埋まっている。
選手の情報は「早稲田」のネットワークから
強いチームを作るには「柱」となる選手が必要だ。とはいえ、甲子園常連校のような勧誘活動はできない。そもそも野球推薦はなく、入学するには難易度が高い試験に合格しなければならないのだ。こうしたなか、大きな助けになっているのが、早大学院と早大のネットワークだという。
「OBからの情報が頼りです。野球が上手いだけでなく、学業成績も良く、かつ早慶戦への憧れを持っている子がいると聞くと、どんな選手か、見に行っています」
注目されている右腕・西山恒斉(こうせい、新3年)との出会いも、早大学院OBからの連絡がきっかけだった。「西山が所属していた中学チーム(岐阜・各務原リトルシニア)のオーナーの息子が、早大学院野球部のOBだったのです」。
西山が中学2年の春休み、木田監督は岐阜まで出向き、その実力を自分の目で確かめた。持参した投球の回転数や回転軸を解析できるボールで投げてもらったところ、2300を記録(中学生では回転数が2000を超える投手はなかなかいないと言われる)。逸材という触れ込みに間違いはなかった。
西山はすでに10校から声がかかっていたが、野球一色の高校生活は希望していなかった。父親が岐阜大学・応用生物科学部准教授で、兄も一橋大学在学中という高学歴の家庭環境もあり、学力レベルが高い大学への進学を見据えていた。
木田監督は西山の両親とも話をして、早大学院で野球をするメリット、つまり早大の附属校なので、そのまま早大野球部でもプレーができることを説明。西山は岐阜から東京に行く決意を固めた。一方で、合格できる保証はない。木田監督は西山のように自ら早大学院との縁を取り持った選手には、塾を紹介したり、受験勉強のアドバイスもしている。
自己推薦入試もハードルは高い
早大学院には、一般入試の他に、自己推薦入学試験がある。高校では文武両道に励み、早大でも野球をしたい、と目的意識を持っている選手は、自己推薦入学試験を選ぶことが多いようだが、こちらも難関であるのに変わりはない。
まず、5段階評価の9教科の評定合計が40以上必要になる。その上で、調査書や中学時代の活動記録報告書、そして出願者調書の提出が求められる。特に9項目ある出願者調書の作成は難しいという。
「項目の中には、附属校なので、早大ではどの学部に入ってどういう研究をしたいか、具体的なビジョンを詳しく記入するところもあります。出願書類をもとに行われる30分間の1対3での面接では、特にこの項目についての突っ込んだ質問をされます。例えば、スポーツ科学部でイップスの研究をしたい、ではダメで、○○先生の研究室に入って、将来はイップスの改善に役立つことをするつもりです、というところまで求められるのです。野球と勉強しかしていない子にとっては、かなり高いハードルだと思います」
情熱を持って野球部の強化に取り組んでいる木田監督だが、超難関校ゆえの指導の難しさもあるという。
「選手たちは頭がいいので理解力は高いのですが、先読みをしてしまうのです。春の段階で自分は無理だと、夏のベンチ入りを諦めてしまう子もいます。しゃにむになれないというか、頭の中で計算してしまうところが見受けられます」
こと勉強においては成功体験を重ねてきた選手たちばかり。最後まで諦めずに野球と取り組んだ結果、メンバーに入れないよりも、早めに自分に見切りをつけたほうが「傷」は浅く済む…もしかしたら、そう考えているのかもしれない。
木田監督は、早大でも野球をするために入学してきた生徒と、一般入試を経て野球部を選んだ生徒との意識の差も感じており、それがチームの課題になっているという。超難関校に入るという目標を達成した生徒は、次なる大きな目標がなかなか見出せないのだろうか。
高校野球をする目的は何か?超難関校の早大学院の部員たちも、それぞれがそれぞれの胸に問いながら、今日もグラウンドに立っている。