慶大・清原正吾の猛打爆発で思い出す、初めて会見場に登場した2年前の光景
あらためて知らしめたそのポテンシャル
現在行われている伝統の早慶戦。昨日(11月9日)の1回戦で、進路が注目されている慶應義塾大学の清原正吾(4年)が4打数4安打と大暴れ。勝利に貢献した。6回にはレフトスタンド中段付近に飛び込む、今シーズン3本目のホームランをはなった。
先のドラフトでは指名漏れとなったが、あらためてそのポテンシャルを2万6千人の観衆の前で見せつけた格好である。
すでに知られているように、清原は中学、高校では野球をしていない。大学で、硬式経験もない半ば素人として、野球を再開した。そんな選手が、早慶戦という大学野球の晴れ舞台でホームランを打つ。信じられないことだ。
筆者はこの春、類まれな清原のポテンシャルに迫ろうと、本人を取材。2回に分けて、記事を書いた。
慶大の四番・清原正吾に聞いた6年間のブランク。他競技を経験したから「いま」がある(上原伸一) - エキスパート - Yahoo!ニュース
慶大の四番・清原正吾はなぜ野球を再開し、いかにして6年のブランクを埋めたのか?(上原伸一) - エキスパート - Yahoo!ニュース
取材時はリーグ戦で初めて結果を残し始めた頃で、清原にとって「プロ」は、まだ遠い場所にあった。現実的な道も考えているように感じた。
しかし、その後の3か月で、清原はまたも驚くほどのスピードで成長し、プロ志望届を出すに至った。5球団競合の末に、東北楽天ゴールデンイーグルスがドラフト1位で交渉権を得た明治大学の宗山塁(4年)は、10年、あるいは20年に1度の遊撃手と呼ばれる。ならば、6年のブランクがありながら、ここまで来た清原はいったい何年に1度の選手なのか…
「呪縛」と戦い続けてきた
昨日の大活躍を見ながら、思い出したのが、ちょうど2年前、清原が初めてリーグ戦の会見に現れた時の光景だった。早慶戦・2回戦の試合後である。前日の1回戦で初めてベンチ入りを果たした清原は、4点差を追う5回1死2塁で代打に登場。「代打 清原」のアナウンスに球場は沸いた。結果はライトフライ。リーグ戦初打席初安打はならなかった。
それでも、通算525本塁打の偉大なスラッガー・清原和博氏を持つ2年生は、シーズン最終戦後の会見に、4年生の主将(下山悠介、現・東芝)と、巨人からドラフト2位指名を受けたばかりの4番打者の4年生(萩尾匡也)とともに会見の指名選手になった(学年は2022年当時)。
代打に登場しただけの2年生としては異例である。呼ばれた理由は明確だ。清原が「清原ジュニア」だったからである。それでも、清原は戸惑う様子も見せることなく、姿を見せた。慶大野球部に入部した当初から「清原ジュニア」として、メディアから注目をされていた。自分が初めてリーグ戦の打席に立てばどうなるか。それを悟っているかのようだった。
一方で、取材陣の「大人」たちは、やや緊張しているように映った。父親の事件のこともあり、何をどう質問していいか、難しいところがあったからだろう。当時の清原は「清原正吾」ではなく、紛れもなく「清原ジュニア」であった。
あれから2年―。清原は野球選手として、そして1人のアスリートとして大きな進化を遂げ、堂々の慶大の4番打者・清原正吾となった。野球選手として実力をつけることで、野球を始めた頃からついて回った、常に「清原の長男」と見られる、ある種の「呪縛」から自らを解き放っていった。ホームランを打つたび、殊勲打を放つたびに、毎試合スタンドで観戦している父親を指さし、「見たか!」と声にするのは、そのための「儀式」だったのかもしれない。
早慶戦を終えた後、清原は自身の口から進路を明らかにするという。オファーがあるたくさんの独立リーグのチームで野球を継続するか?それとも別の道に進むか?
清原正吾は、清原正吾としての判断を示すはずだ。
(文中、敬称略)