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熱心な宗教信者だった母の影響を受けて。家族の存在が自分の生きづらさの一因になってはいないか?

水上賢治映画ライター
「ココロのバショ」のモテギワコ監督  筆者撮影

 安倍元首相襲撃事件をきっかけに浮上することになった、旧統一教会の問題。

 そこで一気にクローズアップされることになったのが宗教二世の存在だ。

 モテギワコ監督のデビュー作「ココロのバショ」は、そのいままさに注目を集めている宗教二世の女性が主人公。

 作品は、宗教二世として育った主人公ユメの内面の世界が描かれる。

 そういう意味で、実にタイムリーな作品になるが、決して旬のネタにとびついてできた映画ではない。

 そもそも撮影を本作が撮影されたのは2021年11月と安倍元首相の事件が起きるより前。

 そしてなによりモテギ監督自身の実体験が基になっている。

 なぜ、宗教二世だった自分と向き合い、それを映画で表現しようとしたのか?

 この物語に込めた思いとは?

 モテギ監督に訊く。(全七回)

「ココロのバショ」より
「ココロのバショ」より

自分で選択しているつもりでも、

実はいつも自分の頭の横に母の顔があるような感じ

 前回(第二回はこちら)、脚本作りで試行錯誤する中で、自身がずっと「親の期待に応えようとしてきたこと、自分で選択することがないままここまできてしまったこと」に気づき、「このことを描くべきではないか」と考えたことを明かしたモテギ監督。

 明確に自分の人生を自分で選択することなくきてしまったことを認識した瞬間はあったのだろうか?

「そうですね。5年前に、そういう瞬間がありました。

 あるとき、家族で食事をしたんです。

 そのとき、なにが原因ではあまり覚えていないんですけど、母に対して怒りが抑えられなくなってしまった。

 自分の感情をもうコントロールすることができなくて、母にその憤りをそのまま言葉でぶつけてしまった。

 もしかしたら、そのときがちょっと遅いですけど、わたしの反抗期だったのかもしれない。

 とにかくそれまでとそこからで、母の見方がガラっと変わったというか。

 それまでは言われたことに対して疑問もなく受け入れてきたところがあった。

 でも、そのときからは盲目的に信じることはできなくなっていった。

 ただ、なんでそうなってしまったのかはしばらくわからないでいたんです。

 で、例のばあちゃんが現れて、母のことをきいたら『あの子は、ああいう子だからね』と言われて、わかったんです。

 わたしは母の影響が大きくて、わたし自身の選択をできないできたことを。

 自分で選択しているつもりでも、実はいつも自分の頭の横に母の顔があるような感じがあることに気づいた。

 だから、5年前の気づきがあったときのころは、毎日が『あれ?あれ?』といった疑問の連続。

 ちっちゃいことかもしれないですけど、朝食なんて自分が食べたいものを食べればいいじゃないですか。

 でも、母の顔色を伺って生きてきた時間が長いので、自分が何を食べたいのかがわからない。

 母に疑問を抱くようになってからは、『なんで朝食くらい自分で選べないのか』となる。

 ただ、いざ、自分でじゃあ好きなものにしようとなると、選べないんです。

 それまで自分で決めてきていないから、なかなか決められない。

 ここからは自分で種選択していこうとなるんですけど、急にはやっぱり変われないんですよ。

 ある種、刷り込まれてしまっているので。あまり何も考えないでいると、知らず知らずのうちに母の望むようなことをしていたりする。

 なので、しばらくは自己嫌悪に陥っていたというか。

  『ああ、なんでこうも自分の選択ができないのか』と。

 洋服を選ぶのに一時間以上かかったり、出掛ける時もほんとうにに行きたいのかどうか考えたりと、嫌になることの連続でした(笑)。

 だから、時間をかけてでも自分で選択する練習をしていきました。

 5年たったいま、ようやく自分の軸のようなものができて、自分の選択で何事にも向き合えているところがあります」

「ココロのバショ」より
「ココロのバショ」より

いまは、親には親の考えがあって、わたしにはわたしの考えがあると、

切り離して考えることができる

 振り返ると、東京から富山へと移住したことは、もう自分の道を歩むという意思の現れだったかもしれないという。

「移住をきめたときは、あまり意識していなかったですけど、あとあと振り返ってみると、もうここからは自分の人生を生きるんだ、という思いがあったなと。

 いまは、親には親の考えがあって、わたしにはわたしの考えがあると、切り離して考えることができる。

 ただ、移住を決めたぐらいのときは、まだそこまで切り離せてなかった。

 別に隣にいるわけでも、移住の手続きをみられているわけでもないのに、頭の片隅にその存在が浮かんでくる。

 これをどうにかして断ち切らないといけない。

 その自分で生きていくことを決めて、自分の道を踏み出す一歩が、いま考えると移住だったのかもしれません」

日本に限らずだと思いますが、家族や親の存在が、

自分の生きづらさの一因になってはいないか

 自分で選んでいるようで実は自分で選んでいないということに気づいてから、周囲も大きく違ってみえてきたという。

「実は、自分で選んでいるようで実は自分で選んでいない。他人が望んでいるであろうことを選択してきた。

 5年前のわたしと同じような人が、けっこうな確率でいることに気づきました。

 家族は大切な存在であることは確か。でも、その人にとってひとつの縛りにもなっているのではないかなと。

 たとえば、結婚にしても、選択は自身にあるのだけれど、親に気に入ってもらえるかどうかが重要な家族もあって。家族として存在はするけど、個人としての生きている実感を持ちにくい気がします。

 家族の存在が頼りにもなるときもあるのだけれど、逆に振れるとものすごく重荷にもなるようなところが日本の社会にはあるような気がして。

 日本に限らずだと思いますが、家族や親の存在が、自分が生きたいように生きられない、自分の生きづらさの一因になってはいないかと思いました。

 そして、自分の人生を自分で選んで生きている人がどれだけいるのだろうか?と思いました。

 そのことを強く感じるようになりました」

(※第四回に続く)

【モテギワコ監督インタビュー第一回はこちら】

【モテギワコ監督インタビュー第二回はこちら】

「ココロのバショ」メインビジュアル
「ココロのバショ」メインビジュアル

「ココロのバショ」

監督・脚本:モテギワコ

出演:葛堂里奈 岡元あつこ 大方斐紗子 小曽根叶乃 心月なつる

今井久美子 澁谷麻美 内田岳志

横浜シネマリンにて4月22日(土)より公開、以後全国順次公開予定

場面写真及びメインビジュアルは(C)2022「ココロのバショ」製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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