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熱心な宗教信者だった母の下で育った実体験を映画に。母の望む選択をしてきた自分の人生に気づいて

水上賢治映画ライター
「ココロのバショ」のモテギワコ監督  筆者撮影

 安倍元首相襲撃事件をきっかけに浮上することになった、旧統一教会の問題。

 そこで一気にクローズアップされることになったのが宗教二世の存在だ。

 モテギワコ監督のデビュー作「ココロのバショ」は、そのいままさに注目を集めている宗教二世の女性が主人公。

 作品は、宗教二世として育った主人公ユメの内面の世界が描かれる。

 そういう意味で、実にタイムリーな作品になるが、決して旬のネタにとびついてできた映画ではない。

 そもそも撮影を本作が撮影されたのは2021年11月と安倍元首相の事件が起きるより前。

 そしてなによりモテギ監督自身の実体験が基になっている。

 なぜ、宗教二世だった自分と向き合い、それを映画で表現しようとしたのか?

 この物語に込めた思いとは?

 モテギ監督に訊く。(全七回)

「ココロのバショ」より
「ココロのバショ」より

自分と重なるHSPの存在を知って

 前回(第一回はこちら)、地方に移ったことで心に余裕ができて、創作意欲がわき、いままで気づかなかった自身の感情に気づいたことを明かしたモテギ監督。

 その中で、亡くなった祖母が現れて、うまくいっていなかった母との関係を新たに見つめ直した。

 そのことがメインとなり、最終的に宗教に熱心だった母と自身の関係、そして宗教二世の女性の心模様が描かれている。

 ただ、当初はまったく違った物語だったという。

「正直なことを言うと、最初はどういう脚本を書こうとしていたのかあまり覚えていないといいますか。それぐらい改稿して、いまの形になっています。

 最終的に、母との関係についてが主題にはなったのですが、当初はそこに視野をおきつつも、それにとらわれてはいませんでした。

 そもそもの始まりとしては、なにかで『HSP(Highly Sensitive Person/ハイリー・センシティブ・パーソン)』という言葉を知ったんです。

 生まれつきとても感受性が強く敏感な気質もった人のことを言う言葉なのですが、このワードを知ったときにシンプルにHSPの主人公を描いてみたいと思いました。

 というのも、わたしも思い当たるところがあったんです。

 たとえばちょっとした物音に、必要以上にびっくりして反応してしまったとか、HSPを調べていったら、自分も重なるところがかなりありました。

 そこで、敏感すぎるゆえに苦しんでいる人が、大勢いることを知ったんです。

 中でも、気になったのがHSC(Highly Sensitive Child)の存在で。

 HSCの子たちは、敏感であるがゆえに、現代社会で生きづらさを抱えることが多いといわれていて、いろいろなことを恐れて生きているところがある。

 わたしは子どものころの記憶がかなりあいまいなんですけど、それでも振り返ると、たとえば周囲から注がれる視線や言われる言葉に対してものすごく敏感で、すぐにキャッチして反応してしまうところがありました。

 親から遠回しに言われたことをいち早く察知して、その意向に沿うような感じになっていたなと。

 そういうことが思い出されたとき、子どものころからこういう性質だと、大人になっても自分の発言ができなかったり、常に周囲の様子をうかがって自分の気持を抑えてしまったりするだろうなと想像できた。

 そうやって生きるとどんどんストレスがたまって、本来の自分を忘れ生きづらさを抱え続けることになるだろうなと思いました。

 そこで、HSPの人物を描けないかと考えました」

唐突なお話になってしまうのですが(笑)、馬に出合ったんです

 そう考えたものの、脚本作りはここからまだまだ難航していったという。

「HSPの人物を主人公に、と考えて書き始めたものの、なにか納得いくストーリーにならない。

 書き進めはするんですけど、何かが足りないとずっと悩んで『ダメだな、ダメだな』と悶々とする日々が続きました。

 そういったときに、唐突なお話になってしまうのですが(笑)、馬に出合ったんです。

 映画で描いていることですけど、ある牧場に行って馬に出合って、触れあったときにものすごく癒された。

 無言の交信みたいな感覚があって、心が整うところがあった。

 これはすごいぞと思って。言葉がなくても、癒されることがあることを、馬が教えてくれた。

 で、『いまわたしが書こうとしている主人公もこの癒しを感じとることがきっとできる』と思ったんです。

 このとき、わからないですけどなにか欠けていたピースがはまった感覚があった。

 馬の優しさや繊細な心が、描こうとしている主人公と一致した。

 そこからなにかわたしの脚本作りが本格的に動き出したところがありました」

自分の思うようにしてきたようで、

実は親の期待に応えようとしてきたのではないか

 そこで、いろいろと考える中で、あることに気づくことになる。

「また少し話が飛ぶんですけど、いまから5年ぐらい前に、ちょっと自分自身と向き合う時間があったんです。

 そこで自分のそれまでの人生を振り返ったときに、自分は自分として生きていないことに気づいたといいますか。

 自分の思うようにしてきたようで、実は親の期待に応えようとしてきたのではないかなと。

 で、脚本を書き進める中で、さらに自分という人間と向き合うことで、さらにその思いが高まって……。

 それで、前回お話した、目の前にばあちゃんが現れて、母のことを訪ねたとき、たぶん確信したんです。

 わたしはずっと母の影響を受けていて、その下で生きてきたと。

 自分ではなく、母の望むことを選択してきたことに気づいた。自分で選択することがないままここまできてしまった。

 振り返ると、ここで、わたしが描くべきことがみつかった気がします」

(※第三回に続く)

【モテギワコ監督インタビュー第一回はこちら】

「ココロのバショ」メインビジュアル
「ココロのバショ」メインビジュアル

「ココロのバショ」

監督・脚本:モテギワコ

出演:葛堂里奈 岡元あつこ 大方斐紗子 小曽根叶乃 心月なつる

今井久美子 澁谷麻美 内田岳志

大阪・シアターセブンにて公開中、

横浜シネマリンにて4月22日(土)より公開、以後全国順次公開予定

場面写真及びメインビジュアルは(C)2022「ココロのバショ」製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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