戦国時代まで髭の武士が多かったのに江戸時代に少なくなったのはどうしてか??
コロナ過のマスク生活の影響で、ここ数年は髭の手入れをさぼる男性が増えたと聞きます。
日本の髭文化は、オシャレで伸ばしている人、マナーの一環として剃っている人のオシャレと邪魔モノの二つのパターンがありますね。
歴史的に、髭は権力の象徴や男らしさを誇示する目的で伸ばしていました。
中東地域では髭を蓄えていない男性は認められない風習があり、童顔の男性たちが口ひげ植毛手術を受けるのだとか。日本ではその逆で、髭剃り後の青髭が気になって髭脱毛をする男性も多くなっています。
ちなみに、キリスト教が多く点在するヨーロッパやアメリカなどでは、髭の有無にこだわりはない様です。
日本の偉人達のさまざまな肖像画を見ると、髭が書かれた人物が多くいます。
平安時代の藤原道長や鎌倉時代の源頼朝、織田信長や豊臣秀吉などの肖像画も髭を蓄えています。ところが、江戸時代のある時期を過ぎた肖像画には、髭を蓄えている人が少なくなっています。※豊臣秀吉は付つけ髭だったらしい…
浮世絵などの人物画の男性はほとんど髭を見られませんし、武士の肖像画も髭を蓄えている人が戦国時代に比べて格段に少なくなっています。
なぜ江戸時代の武士たちは髭を生やさなかったのか?
今回は、髭ついて触れてみたいと思います。
江戸時代の初期には逆に髭ブームだった!
戦国武将の肖像画を見ていると、髭を生やしている人物は多くいました。織田信長もチョビ髭が生えてますし、家臣の柴田勝家はモジャモジャしています。
やはり戦国時代の武将たちにとって髭は、強さのシンボルだったようです。
しかし、江戸幕府が開かれると、大名たちは自慢の髭を剃ってしまいます。その理由が、髭を伸ばすことで【幕府への反逆心】につながるからでした。
一方で、庶民たちは大名たちの逆で立派な髭を生やしていました。
その後、江戸の町に髭ブームが巻き起こります。
当時流行したのが、一番目立つ鎌髭(かまひげ)と呼ばれる髭で、奴凧(やっこだこ)に書かれている髭の形状です。
髭が無くなったのはやっぱり幕府が禁止したから
髭を蓄える人が少なくなったの理由は、やっぱり幕府が禁止したからでした。
江戸時代初期には、男性の象徴であるあごひげと口ひげには寛容でした。
大坂の陣で豊臣家が滅んで戦乱が無くなり平和な時が続くと、江戸幕府も安定。四代目・家綱の頃には、軍人としても武士が必要なくなった事から、事実上無職の旗本・御家人が増えていきます。
こうした者たちの不満のはけ口が【辻斬り、ばくち等】で、次第に江戸の治安が乱れていきます。
そこで、荒くれ者たちを取り締まる法令を定めました。
この時は、禁止事項の一つとして髭禁止の記載があったようですが、あくまでも荒くれ者たちの取り締まりがメインとなっています。
髭の記載は、家綱が髭嫌いだった説もあるようです。
しかし、治安が一向に改善されない事から、幕府はついに【大髭禁止令】を出すことに。
特に武士や大名には厳格に守らせ、髭を剃った姿が正装とされました。
この法令以降の肖像画で髭を蓄えているのは十五代将軍・慶喜の父・徳川斉昭だけです。しかし、医者や山伏・神官や還暦を過ぎた長老と呼ばれる隠居した老人はある程度黙認されていたようです。
確かに、時代劇ではお医者さんとおじいさんは髭を生やしているイメージがありますね。
それ以外で髭を生やしている、人物が登場する時代劇があれば実際にはあり得ない事で、時代考察の間違いとも言えるでしょう。
水戸黄門も本当は髭などなかった!
時代劇の髭の人と言えば、黄門様でおなじみの水戸光圀。
水戸黄門は髭がトレードマークで、石坂浩二さんが黄門様を演じる時に髭を使用しないという事で一時期話題にもなりました。
では、実際の水戸光圀はどうだったのでしょうか??
上記の肖像画を見る限り、髭は生えておりません。
ドラマの水戸黄門は、おじいさん設定なので髭が生えているのでしょうか?
年齢的なものもありますが、大髭禁止令を考えると石坂浩二さんの水戸光圀も間違ってはいないように思えます。
実際の光圀は、大日本史編纂のために学者たちを日本各地へ派遣はしますが、自身が諸国漫遊した記録は一切なく、江戸と国元の往復くらいでしかも、徒歩ではなく馬などで移動していたようです。
こうして、江戸時代は大髭禁止令によって髭を禁止されていました。
これが、明治に入ると断髪と同じように【髭=文明開化】と考えられるようになり、政治家や学者、実業家などの一定の地位がある人ほど髭を蓄えるようになりました。
一種のステータスにみたいなものなのでしょうね。