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松本人志「M−1採点」の歴史 島田紳助がいなくなってから変わったこと

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

松本人志「M−1」で審査員15回の歴史

いよいよ2022年のM−1グランプリが始まる。

松本人志はM−1で過去15回、審査員をつとめている。

M−1は2021年までで17回。

松本は第4回(2004年)と第11回(2015年)の2回をのぞき、ずっとつとめている。

お笑い芸人からの信頼が高いから、ということもいえるだろう。

1990年代の半ばごろ、お笑い界の頂点はビートたけし(北野武)から松本人志にうつった。

爾来30年近く、日本お笑いのトップにいる。

ときどきつらくないのかとおもうが、やはりそこは相方の浜田雅功がいることで軽減されているのだろう。

「M−1採点」での松本人志のスタイル

松本人志の採点には松本らしい基準がある。

点数の付け方は時代によって違うのだが、でもその底には「松本採点スタイル」があるのがわかる。

最初期の段階は、けっこう大胆な採点であった。

第1回(2001年/中川家優勝)は最低50点で最高は75点、5点刻みで採点している。

具体的に言うなら、麒麟75点、中川家とますだおかだ70点、アメリカザリガニとDonDokoDon65点、ハリガネロックとおぎやはぎ60点、フットボールアワーとキングコング55点、チュートリアル50点。

この採点はやや厳しい。みんながこんなに低かったわけではない。西川きよしは95点を3つ、91点を1つつけている。

ただ、いまのように「80点代後半から90点台で刻んで採点する」という習慣はまだなかった。

最低点が50点台、60点台というのはふつうにあった。

かなり幅広く採点していた。

第2回から第5回「5点刻み」の時代

第2回(2002年/ますだおかだ優勝)

この年も同じような採点。この年は85点が最高で、60点が最低、5点刻みで6段階だった。

第3回(2003年/フットボールアワー優勝)

フットボールアワーに97点をつけ、最高点を高くした。最低点は70点、千鳥とアメリカザリガニ。基本5点刻みだが、85−84−80―75−74−70と少し変形である。

第4回(2004年/アンタッチャブル優勝)は審査員をやっていない。一回休み。

第5回(2005年/ブラックマヨネーズ優勝)

珍しく、3チームに最高得点をつけている。

ブラックマヨネーズ、笑い飯、チュートリアルに95点。松本採点史上初めてのことであり、これが最後でもある。刻みはやはり5点刻み。最低はアジアンへの70点。

第6回から第10回の採点

第6回(2006年/チュートリアル優勝)

最高は95点(チュートリアル)、最低は75点(変ホ長調)。

基本は5点刻みながら、89点と87点というあいだの採点も入っている。

第7回(2007年/サンドウィッチマン優勝)

最高は95点(サンドウィッチマン)で、最低が80点(千鳥)。

以降、最低は80点より下になることはなくなった。

5点刻みを基本にしながら、93点、88点という採点も入っている。

6回大会と同じような採点。

第8回(2008年/NON STYLE優勝)

最高95点(オードリー)、最低80点(ザ・パンチ)で、そのあいだは、93−89−86−85−83と刻まれている。

2007年から2009年は「最高95−最低80」のあいだで採点している。

第9回(2009年/パンクブーブー優勝)

最高95点(笑い飯)、最低80点(ハリセンボン)。

あいだは93−92−88−85−83。

第10回(2010年/笑い飯優勝)

最高97点(パンクブーブー)、最低85点(カナリア)。

あいだは96―90−89−88―87−86

80点台後半は1点刻みにつけている。

ここまででM−1の第一期が終了。

第12回以降、最高点と最低点の差が縮まる

2011年から2014年までの休止期間を経て2015年に第11回大会(トレンディエンジェル優勝)が開かれるが、松本は審査員をしていない。

第12回大会(2016年/銀シャリ優勝)から審査員に戻り、このころから松本の採点は細かくなっていく。

最高は基本95点。第15回大会(2019年/ミルクボーイ優勝)だけミルクボーイに97点を付けているが例外的な高得点といえるだろう。

最低点は、12回大会から並べると、84―84−80―82−85−87である。

高くなっていく傾向にある。

最高点と最低点の差が小さくなっている。

去年第17回(2021年/錦鯉優勝)は最高96点、最低87点なので、10組に対して10点差で付けている。つまりほぼ1点刻みでつけている。

これはおそらく「やらかした出演者」が少なくなったということだろう。

以前は、何かを間違えて、受けないことがあった。そのまま修正できずに舞台が終わってしまい、そういうやらかし組が1つ2つあったのだ。

最近は(少なくとも2021年は)それがいなかったということだ。

「5点刻み」だった初期松本の考え

松本人志の採点は、初期は「5点刻み」と決めていたようである。

第5回まではその採点方法を守り、6回以降は5点刻みを基本としながら、あいだにも点数を入れるようになった。

5点刻みは、おそらく「しっかりと順位をつける」という意識だったのだろう。

採点するかぎりはきちんと順位づけをしなければいけない。

1組ずつそのつど採点する方式だから、最終的に何点から何点になるかは事前にはわからない。途中で迷ったりしないように、事前に5点刻みと決めて、おもいきった覚悟で採点していく。

そういう腹の括りようだったのだろう。

島田紳助が審査員だったとき

5点刻みが基本、というのは9回大会(2009年)まで続く。

そしてこの当時は審査員に島田紳助がおり、彼はM−1の発案者でもあったので、実質的な審査委員長格であった。

松本も、紳助さんがいるから、という意識での採点だったとおもう。

紳助は松本の兄貴分である。(『松本紳助』という番組が懐かしい)

島田紳助の存在と、大胆な5点刻み採点というのは関係があったとおもう。

なぜか10回大会(2010年)から1点刻みに変わり(この大会ではまだ島田紳助は健在である)、以降、1点刻みでつけている。

彼の審査員としての意識が変わったのだとおもわれる。

松本基準「誰が1位だったかを決める」「上位3組で区切る」

そして第1回から一貫して守っているポイントがある。

ひとつは「必ず誰が1位だったかをファーストラウンドから決めること」である。

ファーストラウンドでまず1位を決めている。

もうひとつは「ファーストラウンドで上位3組で区切る」という点である。

ファーストラウンドの採点は、そもそも上位3組を選ぶものである(第1回は2組)。

そのため審査としては「ファーストラウンドの上位3組」を選ぶのが正しい選択である。

ときに上位4組以上を同点にするのは、それは「私ではなく、ほかの審査員のみなさん、よろしくお願いします」という意味になるからだ。

だから「私はこの3組を選んだ」という明確な採点がのぞまれる。

審査員というのは本来、そういうものだろう。

松本は、だいたい上位3組を選んでいる。

審査員を休んだ翌年は基準からはずれる

ただどちらも例外がある。

第5回大会(2005年)では95点の最高点を3組(ブラックマヨネーズ、笑い飯、チュートリアル)につけている。ちょっと珍しい。トップバッターに笑い飯がきて、そこで高得点をつけて、それの影響だったのだとおもわれる。

また12回大会(2016年)では銀シャリ95点、和牛93点につづき、さらば青春の光とスリムクラブのどちらにも90点をつけている。

どちらも3番ということである。

何かのミスではなかったかとおもわれる採点であるが、そうなっている。

この年は、2010年以来6年ぶりの審査員だったので、ちょっと勝手が違っていたのかもしれない。

松本人志の場合、自分の採点方式を強く意識して文章化しているわけではなさそうで、審査員席に座ったときに(ああ、そうそう、こういう採点やってたな)とそこでおもいだしているような気がする(あくまで完全に推測です)。

なので間隔が空くと、ちょっとそれまでと違うことが起こったりするのではないか。

1位3人の2005年も、前年2004年は審査員をやっていない。その翌年の採点が松本基準からはずれたのは、それと関係ある気がする。

優劣つけられないのは失礼という考え

松本人志の採点が際立っているのは、「全員を採点したあとの最終結果」を意識しているところにある。

明確に順位をつけられたか、という最終形を考えての採点である。

出場者を全員順位づけしてあげるのが礼儀である、と考えているのだろう。

「なんだか優劣つけられないから同位だ」という態度がきわめて失礼だと考えているということだ。

漫才パフォーマンスすべてに順位をつけるのは、とてもむずかしいことであり、ある意味無茶なのだが、でも自分の全感覚を研ぎ澄ませて、すべてに順位をつけるように努力する。それが松本人志スタイルなのだろう。

このあと起こりそうなことも織り込んで、(予想外のパフォーマンスが行われることも何となく予想して)採点していくのは、かなり意識的にやらないといけない。

審査員が自分一人だけとなっても、それですべてが決められてもいい、という意識である。自分の採点だけで全員の順位が決まってもしかたないという覚悟だ。

これはかなり強い意志がないとできないものだろう。

多くの漫才師は「松本さんは何点をつけたのか」を一番に見る、と言われる。

そのおもいを受けて立って、松本人志はいつも切実で誠実な採点をしているのだとおもわれる。

2022年もまた松本人志は、M−1審査の中心にいる。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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