「鎌倉殿」で注目の曽我兄弟、親も敵も同じ工藤一族だった
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に坪倉由幸演じる工藤祐経(すけつね)が久しぶりに登場したとき、一万・箱王という幼い兄弟が現れ、祐経のことを「親の仇」と呼ばわって石を投げるなど狼藉を働く場面があった。
そしてこの兄弟、6月5日放送の第22回に曽我祐成(すけなり)・時致(ときむね)と名乗って再登場した。兄弟は富士の巻狩りで工藤祐経を討って親の仇を晴らすことになる。これは曽我兄弟の敵討ちといわれ、元禄赤穂事件、荒木又右衛門の伊賀上野の敵討ちとともに、三大敵討ちとして知られている。
工藤氏のルーツ
そもそも、曽我兄弟の父は河津祐泰(すけやす)という。そして、祐泰の父が伊東に住んでいた伊東祐親(すけちか)で、祐親のいとこが工藤祐経である。
次々と名字がかわることから混乱するが、曽我兄弟と工藤祐経は親戚同士で、河津氏、伊東氏は伊豆に広がった工藤一族であった。
工藤氏とは、朝廷の木工寮の官僚となった藤原氏の一族が、「木工寮」の「工」と藤原氏の「藤」をつなげて「工藤」と名乗ったのが祖。のちに伊豆の地方官となり、伊東を本拠として「伊東」氏と名乗るようになる。
当時は所領のあった場所の地名を名字として名乗ることが多かったため、親子兄弟で名字が違うというのは別に珍しいことではなかった。
曽我氏と工藤氏の関係
一方、「曽我」氏は工藤一族ではない。
曽我兄弟の父・祐泰は、祖父・祐親と伊東の領地争いをしていた祐経に暗殺された。遺児となった兄弟は、母が相模国曽我(現在の神奈川県小田原市)を本拠とする曽我祐信(すけのぶ)と再婚したことから、その養子となって「曽我」を名乗った。こうして兄弟はもともとは工藤一族でありながら曽我氏となったのである。
所領争いに敗れた祐経は伊東の領地を失ったために、もともとの名字である「工藤」を名乗る一方、祐親も源頼朝追討軍に参加して敗れたために伊東の地を失い、その子祐泰(曽我兄弟の実父)は河津に転じて「河津」を名字としていたことから、この一族は名字がばらばらになってしまった。
ちなみに曽我氏は工藤一族とは違って桓武平氏の一族である。千葉氏の一族が相模国曽我を領したために「曽我」を名乗ったもので、源頼朝に仕えて御家人となっていた。
曽我氏のその後
祐成・時致兄弟は、富士の巻狩りの最中に父の仇工藤祐経を討った。兄祐成は駆けつけた仁田忠常にその場で討たれ、弟の時致は取り押さえられて尋問の末に斬首された。
仇討の直後にともに死去したことから兄弟の子孫は残っていないが、養父祐信の子孫は鎌倉幕府に仕える武士として続いた。室町時代には足利氏に仕え、江戸時代には旗本となるなど代々名家として続き、一族は各地に広がっている。
「曽我」という名字は、現在沖縄・九州以外に広く分布しており、とくに新潟県、岐阜県、愛媛県に多い。また、ルーツの地である神奈川県小田原市にも集中している。